スパイダーマンはどう映画化されてきた? 今夜放送『アメイジング・スパイダーマン2』に寄せて
近年MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)映画をはじめとして、アメコミヒーロー映画が隆盛を極めている。その潮流に先鞭をつけたのは、2002年公開からのスパイダーマンシリーズと言って間違いない。
そんなシリーズのリブート版(仕切り直し)2作目『アメイジング・スパイダーマン2』が、今夜地上波放送に初登場する。同日に上映が開始される『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』に合わせた企画だろう。本作の主軸であるアイアンマンやキャプテン・アメリカのシリーズも放送してほしいところではあるが、スパイダーマンシリーズの日本での大ヒットを考慮したら、少なからず納得がいく。もしかしたら、スパイダーマンをクローズアップしたのは、ピーター・パーカー=スパイダーマンの行動が、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のキモになることを示しているのかもしれない。
今回放送される『アメイジング・スパイダーマン2』。前作にて、ピーター・パーカー=スパイダーマン(アンドリュー・ガーフィールド)は、失踪した父親が密かに遺伝子改良の研究を行っていたことを知り、その謎を探っていく中、オズコープ社の研究室に潜入。そこで遺伝子改良の実験中であったクモに噛まれたことで、スパイダーマンの能力を身につけた。スパイダーマンとして、ニューヨークの犯罪者検挙への協力、人名救出、ヴィラン(悪役)との戦いと並行し、高校の同級生グウェン・ステイシー(エマ・ストーン)との恋愛にも勤しんでいた。しかし、ヴィランとの戦いで犠牲になったジョージ・ステイシー(デニス・リアリー)の遺言で、「グウェンを戦いに巻き込まないために彼女に近づくな」と警告されたことから、ピーターは彼女と距離を置いていた。そこから本作は始まる。
本シリーズが他のアメコミヒーローシリーズと決定的に異なるのは、過去2回、担当した監督ごとにシリーズの区切りがつけられている点である。1シリーズ目はサム・ライミ、2シリーズ目はマーク・ウェブ、そして次期シリーズはジョン・ワッツだ。
まず、ライミのシリーズは、3のように世間的には失敗作とされる作品も存在するが、全体として高評価を受けた。ライミは元々、『死霊のはらわた』シリーズや『XYZマーダーズ』のように、おふざけの度が過ぎたスラップスティック・コメディを得意とした監督。人間の日常生活ではまずやらないような、誇張されたコミック的な動きの演出が特徴的だ。1作目の冒頭、ピーター・パーカー=スパイダーマン(トビー・マグワイア)が慌ててバスに乗り、派手にこけるシーンが印象的でライミらしさを感じる。しかし、一方で『シンプル・プラン』のように、人間の心理状況を微細かつ的確にとらえたリアルな演出も得意としている。これは、ピーターがヒロインのメアリー・ジェーン(キルステン・ダンスト)に対して、恋とヒーロー的行動との両立の難しさからくる葛藤を打ち明けるシーンなどで活かされている。コミックの要素も踏まえた非人間的な演出、微細な心理状況を捉えた演出のハイブリットは、1作目を映画としても紛れもない傑作にした。
一方、ウェブは、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズを手掛ける前は、厳密にはラブストーリーとは言えないが、男女の出会いを描いた傑作『(500日)のサマー』などを監督していた。リアルな青春映画をベースにした世界観や描写でストーリーが展開されつつ、時折ミュージカル的な演出で高揚感を表現する点は共通している。ピーターがグウェンと会話をする中、ウェブシューターで彼女を引き寄せる際に、彼女が回転し、スカートをひらひらさせて近づいていく演出などにその作家性は現れている。また、ウェブの過去作に通底する、“ロマンティックな演出の中に本質を忍ばせる”というテーマは、『アメイジング・スパイダーマン』2作にもあらわれている。この2作は、ピーターとグウェンのラブストーリーがウェイトを占め、そのたわむれにムズかゆくもなるが、見終わった後には微笑ましさも感じられる。こう書くと、「ラブストーリーが前面に出過ぎた軟派なヒーロー映画」という印象を受けるかもしれないが、ラストではピーターが、「自分はなぜヒーロー的行動を取るのか」というシリーズの本質に最も肉迫しており、紛れもなくヒーロー映画であることを再確認させてくれるのだ。