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熱狂的『PEANUTS』ファン田中宗一郎は、映画『I LOVE スヌーピー』をこう観た

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世界で最も有名なアンチ・ヒーロー、チャーリー・ブラウン

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——そもそも、タナソウさんはどうしてそこまで『ピーナッツ』を愛して止まないのか、その理由を教えてもらえますか?

田中:チャーリー・ブラウンっていうのは、多分、世界で最初に現れた、そして、間違いなく世界で一番有名なアンチ・ヒーローなんだよね。

——おぉ。

田中:で、スヌーピーっていうのは、チャーリーとの対比として存在する、『ピーナッツ』世界の中で唯一完全無欠のスーパーマンなの。ただ、スヌーピーには一つだけ決定的な欠点があって、それは彼が犬だということ。で、彼自身はそれをずっと受け入れることが出来ない。だからこそ、彼は撃墜王だの、世界一有能な弁護士だの、いろんな妄想に浸るヴィジョナリーなんだけど。ほら、映画の中でもスヌーピーがルーシーにキスをすると、ルーシーが「犬のバイキンが伝染る!」って騒ぐシーンがあるじゃない?

——普通に見ると「ルーシー、ヒドい」って思います(笑)。

田中:でも、スヌーピーからすると、「犬? このボクが?」って感じで、まったく理解できないわけ。でも、ビーグル犬であることを除けば、スヌーピーは万能でさ。どんなスポーツも得意だし、彼得意の妄想の世界では、第一次世界大戦の撃墜王であり、ディケンズの『二都物語』を引用する小説家であり、“ジョー・クール”って名前の、ビートニクから影響を受けて白いタートルネックを着て『市民ケーン』を20数回観たのが自慢のシネフィルでもある。

——原作では、チャーリーとスヌーピーは、共依存関係にはまったくないんですよね。

田中:そう。個々のキャラクターが共依存関係にないというのは、『ピーナッツ』を語る上での一番のポイントだと思う。『ピーナッツ』のキャラクターっていうのは、全員が欠点だらけで。まあ、絵柄がかわいらしいから、わかりずらいんだけど、実はリンチの『ツイン・ピークス』とか、コーエン兄弟の『ファーゴ』みたいな世界観なんですよ。アメリカの田舎町にありがちな、閉ざされた世界特有の変人だらけ。で、主要キャラクターが10人いるとしたら、それぞれのキャラクターの1対9の関係がきっちりと描かれていて、その関係性から、それぞれの短所と長所が見えてくる。でも、だからといって誰もそこで具体的に支え合うことはなくて、常にキャラクター同士が相手の欠点を口汚く罵りあってる。ホント容赦ない関係なの(笑)。でも、そうやって、それぞれのキャラクターが抱えている欠点や問題を相対化することで、笑い飛ばそうとしてる。そうすることで、ある意味、問題を無化させているんだよね。つまり、共依存関係のまったく真逆にある。

——あぁ、もっとも心に響くのは、そこの部分なんですね。もっとわかりやすく、カウンターカルチャー的なスタンスから『ピーナッツ』を支持しているのかと思ってました。

田中:60年代後半に、アメリカの大学生たちが『指輪物語』のガンダルフ、『スター・トレック』のミスター・スポック、『ピーナッツ』のスヌーピーを大統領にしようって面白半分に運動したって有名なエピソードがあって、その話は大好きなんだけど、『ピーナツ』の中でカウンターカルチャーを表象しているのは、さっきも言ったようにビートニクに心酔していたりするスヌーピーであり、それこそウッドストック・フェスティバルからそのまま名前をとったウッドストックくらいなんだよね。50年代初期からのキャラクター、パティやバイオレットなんて、旧態然としたヴィクトリア王朝的っていうか、ピューリタン的価値観の持ち主だったりするし。

——え? ウッドストックって、あのウッドストックだったんだ!? だって、原作ではウッドストック・フェスティバルが開催されるよりもずっと前から出てきましたよね。

田中:うん。でも、69年以前は名前がなくて、日本語版の谷川俊太郎の翻訳では「ヌケサク鳥」って呼ばれてたの。

——あぁ、そうだった!

田中:もともとウッドストックは「ヌケサク鳥」であり、間抜けなキャラクターという位置付けだった。だから、そのキャラクターに後からウッドストックという名前を付けたシュルツは、決してカウンターカルチャーに対して無条件に肯定的だったわけじゃない。スヌーピーの“ジョー・クール”のキャラクターにしても、むしろ当時のアメリカの若者たちの風俗をからかっている部分の方が強かった。ルーシーの「ガミガミ屋」っていう属性は、おそらく当時のウーマンリブ運動に対する保守的な視点からの観察が元になってるはずだし。だから、『ピーナッツ』という作品を楽しむ上でもっとも重要なのは、シュルツの極めて相対的な視点だと思う。それぞれ欠点を持った変人奇人たちが、互いを傷つけ合いながら、なんとか共存しているところ。それって『モンティ・パイソン』とか、イーストウッド映画『グラン・トリノ』の中で、長年の親友同士であるポーランド系移民の主人公とイタリア系移民の床屋が互いに差別用語を使って罵りあうシーンを思い出すんだけど。でも、あれって最高に幸福なシーンでしょ? 『ピーナッツ』のキャラクターには、サリーのような反抗者もいれば、ライナスみたいなアンチ・クライストもいるし、黒人のフランクリンのような順応主義者もいるし、チボーみたいな女性蔑視者もいる。世の中のほとんどの作品って、どこかに作者の思想性が投影されているものだと思うんだけど、『ピーナッツ』には何かに寄ったところがないんだよね。だから、どんな立場の受け手もアクセスできる。で、自分にとってそれは、ある種、「理想のアメリカ合衆国」のコンセプトそのものなんだよね。

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