80年代ハリウッドを席巻ーー『キャノン フィルムズ爆走風雲録』が描く、ある映画人の一代記

キャノン・フィルムズはいかに成功したか?

 メナヘム・ゴーランって誰? きっと多くの人は、そう思うことだろう。しかし、『グローイング・アップ』(1978年)をはじめ、『地獄のヒーロー』(1984年)、『ブレイクダンス』(1984年)、『デルタ・フォース』(1985年)、『暴走機関車』(1985年)、『コブラ』(1986年)、そして『スーパーマン4/最強の敵』(1987年)など、ゴーランが製作した映画を観た記憶のある人は、少なからず多いのではないだろうか。周囲をあっと言わせる企画力とメジャースタジオには不可能なスピード感によって低予算の映画を大量に製作し、1980年代のハリウッドを席巻した映画会社「キャノン・フィルムズ」。わずか10年ほどの短い活動期間に、合計300本以上という膨大な作品を生み出したキャノン・フィルムズを、主に財務面を取り仕切る従弟のヨーラム・グローバスともども切り盛りしていた人物、それが監督兼映画製作者、メナヘム・ゴーランなのだ。

 現在公開中の映画『キャノン フィルムズ爆走風雲録』(監督:ヒラ・メダリア)は、そんなゴーランとグローバスが率いたキャノン・フィルムズの歴史と、その知られざる舞台裏を描いたドキュメンタリー映画だ。飛ぶ鳥も落とすその勢いから、当時「GOGOボーイズ」と呼ばれていたふたりの貴重なインタビューを主軸として、ジャン=クロード・ヴァン・ダムなどキャノンにゆかりのある人物や、イーライ・ロスなどキャンノン映画の愛好家たちのコメント、そして豊富な記録映像によって描き出されるキャノン・フィルムズの全貌。彼らは、いかにしてハリウッドで成功し、そして失墜していったのだろうか。それが本作には、余すことなく描き出されているのだった。

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 キャノン・フィルムズの歴史は、ある映画人の一代記であると同時に、1980年代の映画界を映し出す、貴重な記録にもなっている。彼らは、当時の映画界においては異例と言える、いくつもの斬新な施策を試みた。たとえば、従来別々の会社で行われてきた、製作、配給、興行をすべて自社で行うシステムを作り上げたこと。その試みは、やがて失敗に終わるものの、他者を介在することなく観客に映画を直接届けることは、多くの映画人にとって、ある種の理想と言えるだろう。そして、もうひとつは、今となっては普通に行われるようになった、キャストも脚本もそろっていない段階で、自社の映画を売りさばくこと。その黄金時代には、各国の国際映画祭の会場にキャンノンの巨大なブースが設置され、そこで未だ撮られていないどころかポスターしか存在しないキャノンの映画が、次々と売られていったという。無論、その背後には、雄弁な情熱家であるゴーランと資金集めに抜群の才覚を見せるグローバスの活躍があった。

 チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソン、シルヴェスター・スタローン、そしてゴーラン自身が見出したジャン=クロード・ヴァン・ダムを主演としたB級アクション映画を大量に製作し、その一方でニンジャ映画やホラー映画など、ジャンル・ムービーの製作にも意欲的だったキャノン・フィルムズ。大衆の熱狂的な支持を背景に、低予算の作品を連発し続ける彼らの業界内での評判は、必ずしも良いものではなかった。しかし、彼らは単なる拝金主義者ではなかった。大手スタジオに干され、資金繰りに困っていたロバート・アルトマンやジョン・カサヴェテス、そしてジャン=リュック・ゴダールといったインディペンデントな監督たちに資金を提供して映画を撮らせたのは、キャノン・フィルムズの知られざる功績のひとつである。

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