アトム・エゴヤン監督が『白い沈黙』で問いかけるものーー描かれない“空白の8年間”の意味とは
映画において、観客の関心を引きつける役割を一手に担うという意味で、“ファーストカット”は非常に重要だ。カメラがパンする動作とともに真っ白な雪景色がゆっくりとスクリーンに映し出されるーー。アトム・エゴヤン監督の最新作『白い沈黙』は、そんなファーストカットで幕を開ける。そして、その真っ白な雪のイメージが示唆する“喪失感”や“空虚さ”、“不安感”が、映画を観終えたあとでも強烈に印象に残るのだった。
本作の舞台は、カナダのオンタリオ州に位置する街ナイアガラフォールズ。主人公マシューは、スケート選手を夢見る9歳の愛娘キャスを迎えに、スケート場まで車を走らせる。2人はその帰り道、チェリーパイを買うために行きつけのダイナーを訪れる。キャスを後部座席に残し、ひとりで店に入るマシュー。数分後、パイを手にしたマシューが車に戻ると、後部座席にいたキャスがいなくっている。周囲を探すがどこにもいない。何者かに拐われたと疑うマシューは、急いで警察に駆け込む。しかし、物的証拠がなく目撃者もいない上、過去に犯罪歴があることから、事件を担当するダンロップ刑事とコーンウォール刑事から、逆に容疑者として疑われてしまうマシュー。一瞬でも目を離したあなたが悪いと、妻のティナからも非難されてしまう。
そして、8年後。捜査は行き詰まり、キャスは結局見つからずに依然として行方不明のままだ。ティナと別居したマシューは、毎日車を走らせキャスを探し回っている。そんなある日、ティナの勤務先のホテルから、ヘアブラシやトロフィーなど、過去にキャスが所有していたものが次々と発見される。また、コーンウォール刑事はネット上でキャスに似た少女の画像を発見する。そして、マシューの元にもある異変が起こるのだった。
…と、ストーリーの全体像をまとめると上記のようになる。だが、時間軸がバラバラに組み替えられているので、そのまま流れを追っていると、その全体像を掴むのに少々戸惑う。雪景色のファーストカットの次のカット、つまり2カット目で犯人が登場してくるのだから驚きだ。そこから現在と過去の出来事をパズルのピースのように並び替えていくその構成は、サスペンス映画としての緊張感と、映画としての複雑性を我々に与える。そして、キャスが失踪してから現在に至るまでの“空白の8年間”が全く描かれないため、彼らがその間に何を考え、どのような行動原理で動いていたのか、我々にはわからない。犯人の動機やキャスの心情も明確にはわからない。映画としての構造の複雑さに加え、映画の中では描かれない事実や彼らの心情などを推測する必要があるため、観客にとっては非常に不親切な映画だと言える。しかし、1993年に実際に起きた「ウエスト・メンフィス3事件」を映画化した前作『デビルズ・ノット』でもそうだったように、“観客に対しての問題提起”というアトム・エゴヤン節が、これでもかというほどに炸裂した作品のように感じた。