『ジュラシック・ワールド』がシリーズ最高傑作である理由 速水健朗が見どころを解説

速水健朗の『ジュラシック・ワールド』解説

全編に溢れる『ジュラシック・パーク』第1作への心憎いリスペクト

 いや、まじでスピルバーグ以外の監督によるスピルバーグ作品続編(実はあんまりないけど!)の最高傑作じゃないだろうかこれは。

 1993年公開の『ジュラシック・パーク』は、スピルバーグマニアが気に入る作品ではないかもしれないが、スピルバーグ的映画であることは間違いない。未知の生物との遭遇と主人公の片親の不在問題を平行して描く手法という王道。さらには、金髪ヒロインの魅力のなさ加減など、どれをとってもスピルバーグを構成する主要成分でできているのである。

 最初の作品から22年、前作からも10年以上の月日が空いた4作目である本作に抜擢されたのは、まだ日本語版Wikipediaの項目にすら登録されていない新人監督のコリン・トレボロウ。スピルバーグがてがけてきたシリーズというプレッシャーは大きかっただろうが、彼はシリーズ最高傑作として見事この『ジュラシック・ワールド』を作り上げた。

 本作は、1作目から22年という歳月をうまく利用している。まず、このシリーズの看板役者であるティラノサウルス・レックスの登場場面は、1作目へのオマージュを強く感じさせてくれる場面だ。いやまて、CGで描かれたT-REXに「1作目と同じ」も何もないだろう。倒錯している。だが、1993年の『ジュラシック・パーク』は、CGってここまでできるのかと、世間を驚かせたイノベーティブな作品だった以上、そこでのシンボリックな存在だったT-REXが、歴史的な扱いをされるのは当然だろう。そのT-REXがどこで登場するかはサプライズ要素なので言わないが、この登場の仕方には「そうだよね」と一人納得し目頭が熱くなった。

 『ジュラシック・パーク』の一番の悪役が、T-REXではなかったことも思い出して欲しい。小型で獰猛で頭がすこぶるいいヴェロキラプトルが真の敵役である。そして、彼らは今作にも登場する。しかも、恐竜側ではなく人間側として。つまり、1作目で敵だった存在が、続編では味方になるパターンだ。いわば『ターミネーター』のシュワちゃんである。その辺の演出も続編ならでは。1作目へのリスペクトから生まれたアイデアだろう。心憎い。

 さて、物語にも触れていこう。舞台はかつて恐竜脱走の事故でオープン間際に崩壊した「ジュラシック・パーク」があるコスタリカのヌブラル島。本編には、主人公たちがかつてのパークの廃墟に迷い込む場面も描かれている。

 この場面で見せつけられるのは、当時のパークと「ジュラシック・ワールド」では、予算も規模も桁違いであるという事実だ。ジュラシック・ワールドは、かなりの大規模テーマパークとして生まれ変わり、すでに多くの人を集めている。

 かつての「ジュラシック・パーク」が株主の存在を気にするあまり、かなり切り詰めたコストで運営されていたことに比べると、今度のインド人オーナーは、太っ腹だ。彼は目先の儲けよりも、偉大な恐竜パークにふさわしい「正しさ」への理解がある。さらには、自分でヘリコプターを運転するために、免許も取るような好奇心の強い人物。これはこれで、嫌な予感しかしないのだが。

 『ジュラシック・パーク』は、開園前のごたごたが描かれたが、今回は、すでに開園し、すでに多くの来場者が世界中から押しかけているという世界だ。22年前のCG技術で、恐竜という誰も実際の動きを見たことがない絶滅静物をリアルに動かすことは可能になったが、数万人の来場者を描くだけの余力はなかった。すでにオープンしている「ジュラシック・ワールド」を描くということは、CGの技術の発展でもあるのだ。

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『ジュラシック・ワールド』/ILM / Universal Pictures and Amblin Entertainment

 主人公は、このテーマパークを訪れる2人の兄弟である。弟のグレイは、恐竜が大好きな11歳。だが兄のザックは、恐竜よりも少し年上の女の子たちが気になって仕方がない年頃。彼らの両親は、本国で離婚調停中だ。すでに述べたが、未知との生物の遭遇という話と片親の不在を同時に描くのは、スピルバーグ作品では、鉄板の構造である。ただし、ここでそれが機能しているわけではない辺りは少し引っかかる。『スーパー8』(2011年)におけるJ.J.エイブラムズのように、片親ネタをいじるのは、単なるスピルバーグへのオマージュ表現であって、それ以上の意味はないのかもしれない。

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