現代日本の病巣を描き出す傑作、月村了衛『半暮刻』クロスレビュー 書評家5名が多面的に紐解く

 『機龍警察』シリーズで知られる社会派エンタテインメント作家・月村了衛の小説『半暮刻』(双葉社)が、著者の最高傑作として評論家筋から高い評価を受けている。昨年末から大いに世間を騒がせているホスト問題を端緒に、この国の病巣を鋭く描き出した本作は、なぜ読書家を唸らせているのか。その重層的な魅力を、5名の書評家に紐解いてもらった。

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杉江松恋:この国の全体像を描く社会小説

 月村了衛は活劇·冒険小説ジャンルから出発し、昭和から現在に至るこの国の全体像を描く社会小説の書き手へと変貌を遂げた、稀少な物語作家である。転換点は元総理大臣の田中角栄をキーマンに配した2018年の『東京輪舞』(小学館文庫)で、以降も1964年の東京五輪裏面を描く『悪の五輪』(2019年。講談社文庫)、豊田商事事件に材を採った『欺す衆生』(同、新潮文庫)と意欲作を連発している。『半暮刻』もその系譜に連なる作品だ。

 女性客に対する悪質な営業を行うホストクラブの話題から始まり、ヒトをヒトと思わず、金を生み出すモノとして扱う人間の精神性を、主人公の運命流転を辿ることで浮き彫りにしていく。ピカレスク·ロマン、あるいは教養小説の構造を用いて、現代人の一典型を描き出すことが作品の主題であり、題名にある「半グレ」とはそれを象徴する言葉なのである。

 二人の主人公を置き、その違いを際立たせるための道具として小説が使われていることも印象的だ。一人の主人公は、小説を読むことで世界を知り、自分自身と対話をするきっかけを得る。だが一方は、そもそも読書自体を無駄と見なして顧みないのである。精神の貧困さとは何かを表現する見事な対照だ。

千街晶之:犯罪が容易に揉み消されてしまうグレーゾーン

 二人の主人公が半グレの経営する店で、悪事によって頭角を現す……という発端から、多くの読者は『半暮刻』を犯罪小説として読むことになるだろう。ところで、この小説に「犯罪」はどのくらい描かれていただろうか。主人公のうち一人は早い段階で逮捕·収監されるが、同じ罪を犯した他の人間は逮捕を免れたり、執行猶予で済んだりする。また、もう一人の主人公は、半グレと関わっていた過去を隠して国家的な大プロジェクトに参画するが、そんな彼が取り込まれるのは、半グレばかりでなく、政治家も芸能人も広告代理店も、みな限りなく犯罪に近い行為(あるいは犯罪そのもの)に手を染めながら法網から逃れているグレーゾーンである。そこでは、狭義の「犯罪」など容易に揉み消されてしまう。

 はっきりとした反社集団であるヤクザよりも更にたちが悪い、金と地位とコネさえあれば罪がなかったことにされる世界。そこで蠢く灰色の悪党たち。著者は、その絶望的なまでに透徹した眼差しで、日本という国そのものがそんな連中の共犯関係で成立していることを見据えている。ラスト、主人公の一人がもう一人に投げかける「どうしておまえは平気でいられるんだ」という言葉は、恐らく著者自身がこの国に感じている苛立ちなのだ。

細谷正充:現実を照射する小説の力

 月村了衛の作品には、現実を照射する力がある。一例として『半暮刻』を挙げよう。半グレ集団のカタラグループは、女を引っかけ、風俗に沈めていた。児童養護施設育ちの元不良·翔太と、有名大学に通いながら〈学び〉のためにカタラに参加した海斗は、コンビを組んで頭角を表していく。しかしカタラが摘発され、二人の道は大きく分かれるのだった。

 私たちの平凡な生活のすぐ隣に、地獄へと続く穴が開いている。前半で描かれる半グレの実態から、そのことが強く伝わってくる。

 また、カタラが摘発されると、翔太だけが実刑判決となる。刑務所を出た後も、地べたをはいずるような暮らしが続く。一方の海斗は逮捕を逃れ、広告会社に入社し、ひたすら上を目指す。だがそれは他人を踏みにじり、その屍の上に成り立っている。ある件(現実の事件をモデルにしている)により、そんな海斗の人生も崩壊していく。翔太の人生に、ささやかな救いはあるが、とにかく読んでいて息苦しい。

 だが、それだからこそ見えてくるものがある。立場も生き方も違う二人を交差させることで、今の日本人が抱えている“本当の邪悪”が露呈するのである。これが、月村作品の照射によって浮かび上がった現実なのだ。

若林踏:小さな覗き穴から広い世界を見渡して

 『半暮刻』は月村了衛が近年、力を入れている日本の現代史を背景とした犯罪小説の路線に連なる作品だ。本作の主人公である山科翔太と辻井海斗は、女性を借金漬けにして風俗業へと紹介する悪質ホストとして最初は登場する。『半暮刻』が刊行された翌月の2023年11月に発生した歌舞伎町ホスト殺人未遂事件が象徴するように、悪質ホストは現在進行形で起きている社会問題だ。だが、作者の関心は単に悪質ホスト問題を題材とした小説を書く事には無い。ホストの話はあくまで入口に過ぎず、月村はその向こう側に何十年もの歳月のあいだ日本社会が抱えている病巣を描き出してみせるのだ。小さな覗き穴から広い世界を見渡してみようとする、何とも壮大な小説が『半暮刻』なのである。

 また、本作では小説が物語の重要な転換点を生み出す。悪質ホストや半グレの世界を描くアウトロー小説のような序盤からは一見かけ離れているような文学作品が、登場人物の運命を大きく左右するものとして出てくるのだ。そこには文学こそが狭い世界から人間を解き放ってくれるという、月村の小説観そのものが現れていると言って良い。

藤原奈緒:『半暮刻』におけるソーニャ

 本作は、第1部は「翔太の罪」、第2部は「海斗の罰」という2部構成からなる作品である。まずそこで本作は「罪の意識がないまま、罪を犯した若者」、つまりはドストエフスキー『罪と罰』のラスコーリニコフ的存在であるところの、現代の日本を生きる若者2人の名前を各章のタイトルに配した上で、「罪と罰」を二分し、それぞれに分配する。

 沙季という女性は、いわば、本作におけるソーニャ(『罪と罰』においてラスコーリニコフが出会う女性)である。彼女は、この灰色から漆黒に染まっていくかのような物語の中で、燦然と輝く唯一の光だ。一時翳りを見せるが、それでもなお、輝きを失わない。ある時、デリヘルドライバーをしていた翔太は、移動中いつも本を読んでいる沙季と出会う。彼女が読んでいたモーパッサンの『脂肪の塊』が気になった翔太は、古本屋で同じ本を購入する。それを機に、読書の面白さに目覚めた翔太の心の中で、何かが変わり始める。

「海斗、おまえ、本は読むか」と翔太が問いかける場面がある。苦労人の翔太と違い、罪に問われることもなく、華やかな日々を送る海斗の最大の不幸は、沙季と出会えなかったこと、すなわち、本と出会えなかったことに違いない。

■書籍情報
『半暮刻』
著者:月村了衛
価格:2,090円
発売日:2023年10月18日
出版社:双葉社

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