京都発3人組バンド KI_EN 初インタビュー 出会い、ルーツ、楽曲制作――1stアルバム『旅立ちのとき』に繋がるすべて

野川爽良(Gt/Vo)、橋本歩夢(Key)、澤風雅(Gt)によって結成された京都発の3人組バンド、KI_EN(きえん)。これまで重ねてきたライブの本数、フェスやイベントへの出演回数は決して多くはないが、関西圏を中心に、少しずつ、しかし確実に、認知と支持を広げつつあるバンドである。今回、リアルサウンドでは、まだまだ謎のベールに包まれている彼らに、バンド初となるロングインタビューを実施し、バンド結成の経緯や、11月19日リリースの1stアルバム『旅立ちのとき』の制作過程について聞いた。やがて来たる〈旅立つとき〉に向けて、これから彼らはどのように歩を進めていくのか。3人にじっくり語ってもらった。(松本侃士)
Mrs. GREEN APPLE、藤井 風、SEKAI NO OWARI……三者三様のルーツ

――今回が初めてのインタビューということで、まず、バンドの基本情報や成り立ちからお聞きしていきたいと思っています。皆さんは、今おいくつですか?
野川爽良(以下、野川):全員、2003年生まれの22歳の代です。
――京都を本拠地に活動されていますが、皆さん、生まれも育ちも京都なのでしょうか。
野川:僕と橋本は生まれも育ちも京都で。家が真裏の幼馴染なんですけど、もう幼稚園に入る前から、家族同士で旅行に行ったりとかしていたぐらいで。澤君は、愛媛県生まれの徳島育ちです。僕と澤君は、大阪の音楽専門学校のギターボーカルコースに通っていて、そこでたまたまクラスメイトでした。ただ、澤君は歌うことにあまり興味がなさそうで、願わくばずっとギターを弾いていたいみたいな感じやったんで。「じゃあバンドやるか」って思って、そこで誘いました。
――橋本さんは、どのような経緯で合流することになったのでしょうか。
野川:橋本君は、元々ボーイズグループをやっていて。そのグループが高校2年生のタイミングぐらいで解散するってなって。
橋本歩夢(以下、橋本):それで、高3の夏ぐらいからピアノを始めました。それまで楽器をやっていなかったんですけど、そこで初めてピアノを触り出して。で、すぐに音大に行こうと思ったんです。
野川:ピアノを始めて半年で(笑)。
橋本:それで実際に音大の作曲コースに入学しました。もともと「大学でバンドを組もうかな」と思っていたんですけど、学校のメンバーはあんまりピンと来なくて。それで、爽良が音楽をやっているっていうのを知っていたので、ちょっと連絡してみたんです。「バンドやってみいひん?」みたいな。
野川:本当にいきなり連絡が来たんです。当時、僕もちょうどメンバーを探していたタイミングだったので、「じゃあやろうぜ」っていう。

――この前、ライブを観させていただいたとき、野川さんがバイオリンを弾いていたり、澤さんがキーボードを弾いたり、橋本さんが歌ったりしていて、皆さんのマルチプレイヤーぶりに驚きました。皆さんの音楽との出会いについておひとりずつ聞かせてください。
野川:僕は3歳のときにピアノを始めました。並行して、たまたま家の真向かいにバイオリン教室があったのでバイオリンも始めて。
――裏が橋本さんの家で、正面がバイオリン教室だったと。
野川:そうです(笑)。通いやすいし、ちょっとやってみたいなって親に言って。そこからピアノは15歳までやって、バイオリンは11歳ぐらいまで並行してやって。ギターは中学1年生から独学で始めました。
――先ほど、専門学校では、ギターボーカルコースだったとおっしゃっていましたが、もともとバンドの音楽は好きだったんですか?
野川:好きでした。小学6年生ぐらいのときに最初に買ったCDが、Mrs. GREEN APPLEさんの1stアルバム『TWELVE』と、星野源さんの『YELLOW DANCER』で。ラジオが好きで聴いていたんで、そこからいろいろと音楽を知っていきました。
――橋本さんは、はじめはボーイズグループで活動をされていたとおっしゃっていましたが、もともと音楽が好きだったんですか?
橋本:そうですね。もともと歌うことがすごく好きで、ボーイズグループのときはメインボーカルを務めていました。その活動が終わってから、「また音楽がしたいな」と思ってピアノを始めたんです。
――どんなアーティスト、もしくは、どんなジャンルの音楽が好きでしたか?
橋本:ピアノを弾く上で憧れていたのが藤井 風さんで、今でもプレイスタイルがちょっと似ていたりするんですけど。R&Bも好きですし、あとはポップスも好きで。特にOfficial髭男dismさんが好きです。
――澤さんは、楽器を始めたのはいつ頃でしたか?
澤風雅(以下、澤):中学1年生の終わりか2年生の始めぐらいにギターを手にしたのが最初だったと思います。3つ上の姉がいるんですけど、姉が高校の授業でギターを弾いていて、練習していたものを僕が横取りして弾き始めたのが最初なんです。始めたばかりの頃は、「となりのトトロ」を単音で弾いてました。当時、入っていた運動部をやめちゃった時期で。することがなかったんで、「ギターをしよう」って。
――どのようなアーティストが好きでしたか?
澤:ずっと昔からSEKAI NO OWARIさんが好きで、ツアーも毎回1公演は絶対に行っていたぐらい好きです。
「今が楽しくないと未来が楽しくなる保証なんてない」(野川)

――KI_ENというバンド名の語源は“奇縁”、つまり、「思いもかけない不思議なめぐりあわせ」とのことですが、このバンド名に決めた経緯や背景などがあれば教えてください。
野川:僕と橋本が幼馴染であることや、僕と澤君が専門学校で同じクラスやったこととか、そういう巡り合わせを感じる機会が多くて。それこそ、トイズファクトリーさんとの出会いもそうなんですけど。そういう縁が僕たちの始まり方でもあるので、これからも大事にしていきたいと思って、このバンド名に決めました。
――ここから、今回のアルバムについて聞かせてください。全体を通して、過去、現在、未来といった“時間の流れ”を強く感じる作品だと思いました。永遠はない。全ての物事には、いつか必ず終わりが来る。だからこそ今を生きる。そういう人生観、死生観は、昔からあったのでしょうか?
野川:高校生のときに考え方に変化があって。当時、僕はプロのスキー選手を目指していたんです。プロスキーヤーになるために、長野県の白馬村っていう場所にある高校に行っていたんですけど、白馬村には、それまで自分になかった考え方を持っている方がたくさんいて。僕たちはどうしても先のことを考えてしまって、「未来のために今は我慢しよう」とか、そういう考え方をしがちだと思うんですけど、白馬村には「今日が楽しけりゃそれがいちばん」っていう考え方の人がたくさんいました。白馬村は景色がめちゃくちゃ綺麗なんですよ。その景色を見るだけで、今日を生きる意味になっているというか。そういう考え方の人たちにすごいはっとさせられて。
僕自身、「進路が〜」とか「大学に行かないと就職が〜」とかすごい考えていた時期があったんですけど、ただ、やっぱり今が楽しくないと未来が楽しくなる保証なんてないなってすごく強く思って。そこからはもう、とにかく未来の自分のために今を楽しく生きようと。それをずっと継続できてれば、未来も必ず素敵なものになっているんじゃないかって考え方に変わりました。

――それこそ、「Better」のなかに〈今一瞬を誇りに思うよ〉という歌詞がありますね。今一瞬を生きる。その積み重ねの軌跡によって、素敵な未来へ辿りつける。そうした人生観は、リード曲にして、そのままアルバムのタイトルにもなっている「旅立ちのとき」にも色濃く滲んでいるように思います。
野川:僕は普段から「最後に自分がどう思うのか」を常に考えています。この「旅立ちのとき」って、僕のなかでは、全ての終わりを意味しているイメージがあって。それこそ、人生の終わりなのか、音楽活動の終わりなのか、そういう、いろんな意味合いの終わり。そこに向けて自分はどういうことができるかなって。常に「旅立ちのとき」を意識するからこそ、今の行動、今できる選択肢が増えていくんじゃないかな、と思っています。
――野川さんは、“旅立ち”を起点ではなく終点として捉えている。そこが独自のポイントだと思いました。澤さん、橋本さんは、この曲のデモを受け取ったとき、もしくはアレンジを組み立てるとき、どのようなことを感じましたか?
澤:初めてデモを聴いたとき、すごく綺麗な曲だなと思いました。バスのなかで聴いていたんですけど、色々な情景がよぎって。数分間の楽曲なのに、こんなにたくさんのものを想起させられることに感動しました。
橋本:歌詞の一つひとつから死生観を感じられるというか。ピアノのラインもすごく良くて。歌詞だけじゃなくて、曲全体で伝えてくるものがあるなと感じましたね。


















