マリブル 海音、長崎原爆と向き合った「1945」に託した覚悟 佐世保から東京へ――“今”の思いを語る

今年4月に長崎から上京した長崎県佐世保市出身の3人組ガールズバンド・マリンブルーデージーの海音。上京してすぐに出演したライブで「革命の日」と語った初ステージや、原爆をテーマにした新曲「1945」への挑戦を経て、彼女は確実に次の段階へと歩みを進めている。今回、新たな一歩を踏み出した海音に、今の等身大の思いとこれからの展望を語ってもらった。(編集部)
15歳当時の自作曲「眠れない夜に」を東京で演奏 「当時の自分が報われたような気持ち」
——まず、今年4月に上京して、ひとり暮らしを始めた心境から聞かせてください。
海音:今、めちゃめちゃ楽しいです! 正直、長崎が自分にあんまり合わないのかもと思って上京してきた部分はあったんですけど、逆に長崎も好きになったし、東京も好きになって。結果的によかったなと思っています。
——東京と長崎、それぞれどんなところに良さを感じてますか?
海音:改めて、東京に来て感じたのは、長崎の人のあったかさですね。でも、東京も思っていたよりも人が冷たすぎず、意外とあったかくて、私には合うなと思いました。
——「自分に合う」っていう感覚なんですね。
海音:そうですね。私、中学生の頃から東京に遊びに来てたんですけど、上京する前にお母さんから『その頃から上京するんだろうなと思ってたよ』って言われたんです。私も初めて東京に来た時に何だかそういう空気を感じて。将来ここで住むんだろうなって思っていたので、必然的というか……来てよかったですね。
——ホームシックにもなっていない?
海音:長崎には帰らずに東京にいたいなって思っちゃうくらいには楽しめてますね。ひとり暮らしも楽しいですし、ベースの嶺香が近くにいるので、一緒に遊んだり曲のことを考えたりもできています。あとは、没頭したい時に没頭できるっていう環境がすごくありがたいです。

——そして、上京してすぐの4月23日には弾き語りで下北沢MOSAiCの『City Lights vol.110』に出演しました。MCでは「今日は私の人生にとって大事な日で、革命の日です」とおっしゃってましたね。
海音:それまでは佐世保に住みながら、東京には旅行感覚で来て、ライブをしていて。でも、今はまったく違う状況になったので、メンバーがいない中で、ひとりでどれだけ頑張れるかっていうのを試したい日でもあったんですね。だから、自分の中で“大事な日”と伝えて、バンドだけに頼らず自分が作った曲がどれだけ人に通じるのかっていうのを試したい気持ちもあったので、“革命”という言葉を使いました。
——実際にひとりでステージに立って、どんな感想を抱きましたか?
海音:もう、最高でした! 技術的にはまだまだなんですけど、その日にたくさんの出会いもあって。ちゃんと曲が届いてるっていう安心感もあったし、これからのビジョンが見えた日でもありましたね。今のところではありますけど、上京して一番楽しかった日でした。
——これからのビジョンについては追々伺いたいと思いますが、弾き語りでは15歳の時に作った「眠れない夜に」も歌っていました。バンドではやってない曲ですよね。
海音:そうですね、すごく感慨深いものがありました。私にとっては初めて作った曲なんですよ。15歳の時に『いつか東京で歌って、いい意味で今と心情が変わっているといいな』という希望を持って作った曲だった。それが18歳になって、上京して、東京で演奏できて。当時の自分が報われたような気持ちがありました。
——15歳の時の心情は、18歳になってどう変わっていましたか?
海音:15歳の時は不登校になって、将来が見えなくなってしまっていた時期で。これからどうしよう、どうやって生きていくんだろうっていう不安が強かったんですね。でも、あの日演奏した時は、「この曲は届くべくして届くものなんだ」みたいな確信があって。上手く言葉にできないんですけど、いい意味の曲に変わっていて嬉しかったです。
——その後、7月にはサポートメンバーとして、シベリアンハスキーの結楓さんをドラムに迎えて、バンド形態で上京後初のライブを行いましたね。
海音:すっごい勉強になりました。もちろん、すずきのドラムも大好きだし、人間として一緒にいたいってめちゃめちゃ思ってるんですけど、結楓さんは結楓さんで、ドラムの腕もすごかったり、音楽への考え方が素敵だなと思う部分もあって。いい感じに吸収させていただこうと思って、たくさんお話しさせていただきました。
——何か発見はありましたか?
海音:結楓さんがあえてドラムアレンジをたくさんしてくださったんですけど、それが本当にかっこよくて。ドラムのすごさも感じましたし、ドラムが変わるだけでバンドの音がこんなに変わるんだっていうことを初めて体験できた日でした。自分たちがどういう音を目指していきたいかというのがだいぶ明確になりましたね。

——先ほどもおっしゃっていましたが、バンドとして見えたビジョンというのは?
海音:まず、技術的には3人でぎっしりと合わせたい。音を合わせるためには心もある程度繋がってなきゃいけないなと思うので、これからも変わらず仲良しの3人でいたい。3人でいることに必然性がある、と言えるくらいのバンドになりたいと思っています。
——また、あの日は少し落ち込んだりもしていると話していました。
海音:そうですね。体は元気で健康だし、苦しくなりすぎないように気をつけてはいるんですけど、それでもやっぱり、長崎のお母さんやお父さんのこと、音楽のことで悩んだり、結構気持ちの落差があって。
——ご両親は上京に反対だった?
海音:いえ、反対はなかったんですけど、寂しがってはいますね。ふたりがケンカしちゃったりとか、お父さんの鬱気味だった症状が悪化しちゃったり。心配だった部分もあったんですけど、せっかくふたりが送り出してくれたので、自分はこっちで成果を出して喜んでもらおうっていう気持ちが強いです。悩んだり落ち込んだりすることも、それはそれでいい経験だなと今は思ってます。


















