林部智史、南こうせつ・小椋佳ら大先輩たちとの『縁』が結実した新作――緻密な歌声分析、表現の原点に迫る

林部智史、“縁”が結実した新作

 2026年にデビュー10周年を迎える林部智史が、2年ぶりのオリジナルアルバム『縁(えにし)』をリリースした。2024年にリリースしたカバーアルバム『カタリベ ~愛のエクラン~』収録のカバー曲をきっかけに、加藤登紀子、因幡晃、南こうせつ、小椋佳、丸山圭子、堀内孝雄、宇崎竜童らが楽曲提供した本作は、叙情歌コンサートも定期的に開催している歌い手・林部智史の無二の個性が発揮されている。朝露のような粒が輝く歌声、今のミニマルなボーカルアプローチにたどりついた経緯とは? 自らを「僕は淡々としたタイプで感情のスイッチが入りにくい」と自己分析する林部の“歌と自分”について分解していく。(伊藤亜希)

小学生時代から多重録音に熱中、歌声を原点に見出した林部智史のルーツ

――今回のアルバムタイトル『縁(えにし)』はどのような経緯で決まったのでしょうか?

林部:昨年『カタリベ2』『カタリベ 〜愛のエクラン〜』という2枚のカバーアルバムを出したんです。そこでカバーした大先輩方にお願いし、書き下ろしていただいた楽曲たちが収められているのが今回のオリジナルアルバム『縁(えにし)』。カバーだけで終わらずに、そこから繋がってオリジナルアルバムになった、そこをタイトルにしたいなと思っていたんです。先行シングルで6月に「ひまわり」をリリースしたんですが、歌詞の1番のサビに〈縁〉という言葉が出てくるんです。今回のアルバムにぴったりだなと思ってタイトルに決めました。

――楽曲提供については、ご自身でお願いしたんですか?

林部:はい、そうです。僕が一方的にカバーをさせてもらって、そこからライブに呼んでいただいたり、歌番組などでご一緒したりして、お話しさせていただくように。そこから、曲をお願いできませんか、と。

――大先輩から言われて嬉しかったお言葉とかありますか? たとえば、声について褒められたとか。

林部:声については、皆さんから嬉しいお言葉をいただくことが多いかもしれないです。今回プロモーションの一環として、アルバム曲を書き下ろしてくださった大先輩の方々からお手紙をいただいているんですけど、そこには、本当に嬉しい言葉たちが並んでいました。嬉しいけど、ちょっと、でも……読みながら緊張しましたね(笑)。やっぱり皆さん、僕の声に触れていただいてくださっていたので。確か、自分のオフィシャルHPにアップされるはずなので、機会があったらぜひ読んでいただきたいです。

林部智史(撮影=三橋優美子)

――今回の取材にあたり、アルバム『縁(えにし)』や過去作品も聴かせていただきました。そこで今回、歌声、歌に対するスタンスを掘ってみたいと思いまして。まずは、ご自分の歌声を初めて聴いた時のことを教えてください。

林部:小学校4年生の時。合唱コンクールの映像を観て、自分の歌声をしっかり聴いたのを覚えてますね。そこから5年生、6年生と、多重録音を結構やっていて。

――多重録音、どういうことですか?

林部:ちょうど当時『ハモネプ』(『全国ハモネプリーグ』(フジテレビ系))が流行っていたんですよ。それで、自分の声を重ねて、ハーモニーをつけて遊んでいたりしてたんです。だから、自分の声を聴く……というか、歌声として意識したのは、割と早かったんじゃないですかね。

――すごい小学生ですね(笑)。多重録音はどうやって?

林部:歌っている人たちのそれぞれの音を聴いていくと、ボイスパーカッションとか、ベースボーカルとか、いろいろ入っているのがわかったので、一人ひとり聴き分けて、パート毎に自分でコピーして収録していったんです。そうやって出来上がっていくのが楽しかった。結構、夢中になりましたね。

――つまり、アカペラを耳コピし、ひとりで再現しようとしてたということ?

林部:はい、そうです。もともとアカペラで歌われていた曲を耳コピして。ここは、結構ルーツにはなっているかもしれないですね。

――アカペラってジャンルではなく、ひとつの手法ですよね。自分の中でのルーツを考える際、やっぱり歌うことが最初の出発点だった?

林部:出発点は歌だったと思います。ピアノを習ったりもしたんですけど、全然続かなかったし。歌うことが多分、自分にとっては一番の熱量なんだと思うんです。僕、ジャンルやアーティストとかではなく、曲が好きになるタイプで。このアーティストのこの曲、あのアーティストのあの曲が好きっていう音楽の聴き方をしてきたんですよ。そういう意味では、ルーツは歌にあると思ってます。

林部智史(撮影=三橋優美子)

――高校時代はプロのバスケットボール選手を目指して、出身県内の強豪校に進学したんですよね。その頃、歌は?

林部:部活の仲間と一緒にカラオケに行って、盛り上がる曲、たとえばゆずさんの「栄光の架橋」とか歌ってましたね。ただ、バスケ中心の生活の中だったので、歌は趣味として続けてました。僕の中で趣味というのは、好きを突き詰めて、どこからか知識を得てっていうのが条件として必要だと思うんですよ。当時はそこまで至っていなかったけど、今思えば立派な趣味だったなっていう感覚ですね。

――周りに同じような趣味、嗜好の同級生はいました?

林部:いませんでしたね。だから何かを調べる時でも、自分ひとり。プロバスケット選手をずっと目指していたんですけど、全国レベルを体感して限界が見えたんです。それで看護の専門学校に進学しました。でも、違うなと思い始めて。ずっと自分の中で続いていたことが歌だったから、やっぱり歌の道に行こうと思ったんです。

――その決断は、自分にとってエネルギーがいるものだったのでは? 周囲の説得も必要になっただろうし。

林部:エネルギーも必要だったし、自分の中でも大きな決断だったと思います。看護の専門学校に通うのが、いわば僕の中ではレールだった。自分で決めて進学したけど、実は周囲の目を気にして決めたのかなと思い始めたんですね。それで、学校を辞めた時には、レールから外れなくちゃいけなくなった。

――今度は自分でレールを敷くことになったわけですね。

林部:そうですね。違うレールを敷き、走る、みたいな。そこから全国を住み込みで点々としながら、いろいろな仕事をしました。この時、地元から出たっていうのは、自分の中で大きかったですね。ここで初めて自分を見つめ直したのかな。この頃には、もう歌が自分の中心にきていました。

――それで歌い手になろうと思った?

林部:そうです。22歳くらいの頃。歌手になるために何をしたらいいのかなと考えた時に、音楽の専門学校が出てきた。当時は、ほかに方法が探せなかったんですよね。だから、音楽専門学校に行こう、と。僕は自分で詞曲も作りますが、シンガーソングライティングの授業があって、それで初めてオリジナル曲を作って。何か自分の中から湧き上がって曲を作ったとかではなくて、方法を学んで、それを実践したって感じでした。今、曲を作る時はそんなことはないですけどね。でも、シンガーソングライティングの授業を受けていなかったら、曲を作り始めてなかったかもしれないとは思います。逆に、歌うことは何があっても続けていたんじゃないかなとも思いますね。

林部智史(撮影=三橋優美子)

“歌ノート”の存在、叙情歌で見つけた自分だけの個性

――先ほど、ルーツはジャンルやアーティストではなく、曲にあるとおっしゃったじゃないですか。では、アップテンポより、ミディアムやバラードが好きなタイプ?

林部:好みはミディアム、バラードですね。

――その理由を教えていただけますか?

林部:歌っていて、気持ちがいいのがまずひとつ。 改めて考えてみると、小さい頃からバラードとかが好きだったのは、(歌の)技術が掴みやすかったからだと思う。耳で聴いて、その技術を歌で表現してみることが多かったから。これは歌い手それぞれが違う考えを持っていると思うんですけど、僕自身はアップテンポの方がスキルが必要なんじゃないかなと思っています。

――技術をトレースするというのは、歌というより楽器に近い考え方かも。一音一音、分解してコピーしたりしてました?

林部:そうですね。たとえば、フレーズ最後の「は」の後半でビブラートをかけるとか。ここのフレーズの「え」で少ししゃくるとか。そういう風に分解して、それをノートに書いてました。自分では「歌ノート」って呼んでたんですけど。

――どんなノートだったんですか?

林部:まず歌詞を書き写して。そこに、さっき言ったような歌う際のポイントを書いていくんです。自分にしかわからないような記号を使って(笑)。それが何冊もありました。分析しては歌い、分解しては歌いの繰り返し。でも当時の自分の歌を聴くと、あくまでもオリジナルの歌い手さんの物真似なんですよ。

――アルバムのレコーディングでも「歌ノート」的なメモをしながら?

林部:そうですね。「忘却のタンゴ」の最初の1行、〈君を忘れられるなら 何を捨ててもいいさ〉の最後の「さ」は“ビブラート抜く”とか。ビブラートをかける意味がないから、ちょっと投げ捨てるように歌ったり。

林部智史「忘却のタンゴ」プロモーションビデオ(ショートバージョン)

――歌詞を大事にした結論が、その表現だった?

林部:はい。叙情歌自体が歌詞、言葉で描く情景を大切にするところから生まれたものなので。そこは毎回、すごく考えますね。なので、こうせつさんが作ってくださった「追伸」はひとつの手紙だと思っているので、この曲はほとんどビブラートを抜いて歌ってます。淡々と文章を手紙を読むスタンスで、歌入れの時も左手で歌詞カードを持って、手紙に見立てて歌いましたね。本当に、曲によって歌い方って変わると思っていて。詞先なのか曲先なのかも大事ですし。ちなみに、「追伸」は曲先でした。

 以前、こうせつさんと一緒に出させていただいたコンサートがあったんですが、その時にはすでに曲のお願いはしていた状態で。朝、会場に入ったら、こうせつさんが「ちょっと来て」っておっしゃる。で、楽屋に伺ったら、ギターを持って「こんな感じだけど、どう?」って歌って聴かせてくれて。

――それは感動しますね。

林部:はい、朝からすごい経験を(笑)。今回の『縁(えにし)』を制作するにあたり、大先輩の方々とどう絡んでいけるだろうなっていうのは、自分の中に課題としてあったんです。だから、失礼ながら「ここ、こうしたらどうでしょうか?」みたいなことを言わせてもらったりして。

――林部さんの心臓が強すぎる(一同笑)。

林部:(笑)。こうせつさんの懐の深さがあってこそのコミュニケーションというか。お互いの中で、懐まで入っていいと思っているんじゃないかな、と。あくまで僕の想像ですけども。そうだったらこれ以上に嬉しいことはないですし、やっぱり音楽の力、人の力、縁って素晴らしいなと思います。

――林部さんのボーカルアプローチって、技術をそぎ落としたスタイルだと思うんですよね。そこが無二の個性になってるんだな、と。

林部:そうおっしゃっていただけると、素直に嬉しいです。特に叙情歌や唱歌を歌う時は、まさに技術のそぎ落としに近いです。どのくらいのビブラート残すのかとか、トーンはどこまで伸ばすのかとか、自分の中で細かく相談しながらやっていきますね。叙情歌のあり方、童謡・唱歌のあり方を考えて「本当にいいの?」と自問自答しながら。もちろん、自分の個性を出す歌い方は技術としてできますけど、それをやってしまうと、皆さんが求める曲ではなくなってしまうと思うんです。

 たとえば、叙情歌では“ふるさと”がテーマになることが多いんですけど、聴いている方々に、僕自身のふるさと……山形を見せたいならば、オリジナリティをつけてもいいですけど、皆さんそれぞれの中で想う“ふるさと”を見せるならば、それはそぎ落とした方がいいっていう考え方なんです。これはちょっと叙情歌寄りだなとか、逆にこっちは自分の気持ちも少しは乗せていい曲だなとか。自分の作る曲でも、叙情歌寄りとそうじゃない曲では、歌のアプローチが違う。曲によって自分の中での解釈も違うので、アプローチも違ってくるのは当然としてあって、その中で、細かく調整しながら構築していくんですよね。

――ご自分の声質については、どう思ってます?

林部:こればかりは親からの授かりものなのかなと。感謝しないとな、と思いますね。結局、個性とオリジナリティは若干違うものだと僕は思うんですけど、自分の個性はやっぱり声。どんな歌い方をしても、声そのものは変えることができない。そういう意味で、歌声が個性だと思っているんです。その中で、オリジナリティは、自分の技術で出すことが多いのかな、と。実は、自分はずっと個性がないと思ってたんです。でも、叙情歌と出会って、それで個性を見つけられた。オリジナルの自分の技術を駆使しなくても、歌を聴いて、その人だけのふるさとが見える歌い方をしてる方は、たくさんいらっしゃると思うんですよ。僕が言うのもおこがましいですが、小椋(佳)さんの声は、そういう意味では個性の塊だと思います。透明に色なく歌えるっていう個性。僕は、小椋さんの歌で、そこに気づかせていただくことができました。

林部智史(撮影=三橋優美子)

――歌、表現に対して、自分の気持ちの持ち方でのこだわりは?

林部:「演技にしたくない」ってことですね。演じているのがわかってしまうと、聴く側もちょっと構えちゃうかなと。だからこそ、やりすぎないことをいつも心掛けているというか。コンサートは、その日来ていただいた皆さんの空気に合わせることが多いかな。この歌をコンサートで一番の聴かせどころにしたいという部分は作っていくので、最終的な地点は変わらないんですけど、そこまでの持っていき方がそれぞれのコンサートで違うんです。

 たとえば、隣の席の人が泣いている、でも私は泣いていない、それで置いていかれたと思われるお客さんもいると思うんです。置いてけぼりになったままで終わらせないように、そこをできるだけ感じ取るようにする。そこに対して、自分の感情をどこまで乗せるか乗せないかは、割と察知してやってるんじゃないかな……。それこそ細かいことで言ったら、今日はこの曲では動きすぎないようにしよう、とか。空気を見ながら、自分なりに変えていってるんです。肌で感じて何となくやっている部分もありますが、それがどう伝わってるんだろうっていうのは、僕の自己満足でしかないかもしれないけど、まあ、音楽ってそういうところだと思うから。

――9月27日からは全国ツアーも始まりますね。追加ファイナル公演も発表になりました。

林部:アルバムを携えたツアーなので、“縁”や“つながり”を歌でも表したい。世代を超え時代を超えて、大先輩方に楽曲提供をお願いした『縁(えにし)』というアルバムは、僕自身のこれからのアーティスト像につながるものになったと思います。ツアーでは『縁(えにし)』収録曲以外に、カバー曲もオリジナル曲もやる予定です。セットリストからこれから僕の目指すバランスが見えるんじゃないかなと。2026年にデビュー10周年を迎えるんですけど、10周年を意識し、次につながるコンサートにしたいと思っています。

林部智史『縁(えにし)』
林部智史『縁(えにし)』

■リリース情報
林部智史 アルバム
『縁(えにし)』
2025年9月24日(水)発売
特設サイト:https://hayashibe-satoshi.com/enishi/

【CD】
品番:AVCD-63762 
価格:¥3,200(税込) 

<収録曲>
01. 忘却のタンゴ(作詞・作曲:加藤登紀子)
02. 見えないね(作詞:鮎川めぐみ 作曲:因幡晃)
03. 追伸(作詞:松井五郎 作曲:南こうせつ)
04. 祈り(作詞・作曲:小椋佳)
05. 時が過ぎるまで(作詞・作曲:丸山圭子)
06. 小さい男(作詞:小椋佳 作曲:堀内孝雄)
07. ひまわり(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)
08. 遥か(作詞・作曲:林部智史)

■ライブ情報
『林部智史 CONCERT TOUR 2025・秋 ~ 愛させてくれて ありがとう ~』
9月27日(土)栃木・栃木県総合文化センター メインホール
10月2日(木)東京・東京国際フォーラム ホールC
10月5日(日)福島・けんしん郡山文化センター 大ホール
10月8日(水)埼玉・大宮ソニックシティ 大ホール
10月13日(祝・月)北海道・札幌市教育文化会館 大ホール
10月18日(土)山梨・YCC 県民文化ホール(山梨県立県民文化ホール)大ホール
10月21日(火)愛知・愛知県芸術劇場 大ホール
10月26日(日)宮城・東京エレクトロンホール宮城 大ホール
11月1日(土)福岡・福岡市民ホール 大ホール
11月2日(日)熊本・熊本県立劇場 演劇ホール
11月9日(日)群馬・太田市民会館
11月14日(金)神奈川・鎌倉芸術館 大ホール
11月16日(日)山形・やまぎん県民ホール 大ホール
11月23日(日)大阪・NHK 大阪ホール
※追加ファイナル公演
11月30日(日)東京・東京国際フォーラム ホールC

■関連リンク
林部智史 公式サイト:https://hayashibe-satoshi.com/

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