eastern youth、真夏に燃え上がらせた“命の歌” kurayamisakaと名対バンを繰り広げた『極東最前線』

eastern youth、太陽の如く叫んだ“奪われてはいけないもの”
eastern youthはしかし、彗星のごとく現れた若手をベタベタ褒めたり擦り寄ったりはしない。「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聴こえぬ歌がある」と、まずは本日のサブタイトルを読み上げ、いきなり身を翻して爆音の中へ。音が鳴る瞬間に吉野寿(Vo/Gt)が叫ぶ。「うぉおい!」。フロアに向けたものではなく、どこからどう見ても自身を鼓舞するために発した声だ。

1曲目は「街はふるさと」。今から21年前の曲だが、時間軸も追憶もへったくれもなく、今の吉野がぐぐっとズームで迫ってくる。その表情、目つき、右手や左手の動き、首に浮き上がる血管の一つひとつ。すべてが音楽表現というより吉野の生き方とイコールになって見えるのは、『極東最前線』が始まった31年前も、21年前も、今この瞬間も変わらない。他者が入り込む余白がないし、みちみちいっぱいに吉野寿だけ。たとえ歌詞が〈ラララ〉であっても、それは気軽にシェアできるみんなの歌にはならないのだ。

他者と交わったり大多数にまぎれることで得られる安心をきっぱり拒絶する。孤高の精神、と言えば格好いいが、ひとりだけなら仙人化しそうな我の強さは、どっしり構えた田森篤哉(Dr)のドラム、村岡ゆか(Ba)の歌心豊かなベースに支えられることで不思議と風通しのよさを保っている。また、3曲目「それぞれの迷路」のように、村岡がともにボーカルを取る曲も増えた。いきり立つ吉野の隣にたおやかな歌声が寄り添うシーンは現体制になって生まれたもので、今では、この3人だけの安定感が確かにあるのだった。


「毎日毎日37度とか、ムリ。夏が好きだったのに、もう嫌い」。そんな吉野のMCは笑いを誘うが、ただ、このあと続く曲が〈目に滲みいる青と白〉を歌う「浮き雲」であり、〈真っ青な夏〉に立ち尽くす「カゲロウノマチ」だったりするように、eastern youthの曲は真夏をテーマにしたものが本当に多い。歌詞に限らず、空に突き抜けるメロディラインの眩しさが、突き刺す日差しみたいに鋭いギターリフが、ぼやぼや突っ立ってたら死ぬぞと言わんばかりの切迫感が、すべて、晩夏でも夕暮れでもない、乱暴な「真夏!」のイメージと重なり合うのだ。

そして、現実世界が同じとは言わないまでも、ライブハウスで味わうこの真夏はなぜか恐ろしく気持ちがいい。笑顔の連帯とはまったく違う喜びだ。ギラギラした太陽に向かって俺は死なねぇぞと叫び続ける、その壮絶な姿を目の当たりにすることで、こちらもまだまだ生きていると背筋が伸びる。逆説的に考えれば、普段どれくらい感受性を押し殺し、死んだようにやり過ごしていることが多いのか思い知る人も多いだろう。がっぷり四つ。どこまでも真剣勝負。逃げ場のなさゆえに心底胸がすくのである。


名曲が続く。「踵鳴る」、「ソンゲントジユウ」、さらには「街の底」。後半はより大きなテーマを扱う曲が増えるから、ゆっくりと気づいていく。真夏というのはおそらくメタファーに過ぎない。誇れるものがなくても、不平等や格差が当然のようにあったとしても、これだけは奪われてはいけない。そういう命のありようを彼はずっと歌い続けているのだ、と。

アンコール。ゲストのkurayamisakaに感謝を述べ、「『極東最前線』、本当にいいイベントだなと思って見てました」とファン丸出しの口調になる村岡のMCは、今では空気を和ませる名物のひとつになった。彼女のバンド加入から今年でちょうど10年になるそうで、フロアからは惜しみない拍手が沸く。そこから始まるのは名曲中の名曲「夏の日の午後」。フロアからは次々と拳が上がりオイコールが起こる。とはいえ盛り上がる定番クラシックという感じではない。あるのはやはり、今この瞬間だけ。最大限に燃える命をぶつけ合ってこの日の『極東最前線』は終了した。やりきって、燃え尽きて、そして明日が来て、また次の『極東最前線』が始まるのだろう。


























