A.B.C-Z 戸塚祥太、後輩から慕われるパーソナリティ ソロライブや京本大我とのエピソードに見る生き様
2024年10月22日より、A.B.C-Zの戸塚祥太が自身初となるソロライブツアー『Solo Tour 2024 guerrilla love』を開催。10月22、23日には大阪・BIGCAT、そして26、27日には東京・Zepp Haneda(TOKYO)のステージに立ち、バンドスタイルで全4公演を行った。
新曲「Guerrilla Love」でステージの幕が上がると、自身が尊敬する洋楽アーティストであるArctic MonkeysやThe 1975をオリジナルアレンジでカバーしたほか、SMAPや錦織一清(少年隊)といった先輩の楽曲も披露した。
初のソロツアー"guerrilla love"大阪&東京4days関わってくれたキャスト様、スタッフ様、ファンの皆様、感謝です。具体的には決まっていませんが次のguerrilla loveで必ず再会しましょう!写真はMomoko Maruyamaさんに撮ってもらいました!
戸塚祥太 pic.twitter.com/7YZySOM8le— A.B.C-Z (えーびーしーずぃー) (@abcz_official) October 30, 2024
今回のソロライブ開催に際して印象的だったのは、事務所内外を問わず多くの後輩たちが見学に訪れていたことだ。
ジュニアからは、浦陸斗(AmBitious)、和田優希(SpeciaL)、猪狩蒼弥(HiHi Jets)、矢花黎(7 MEN 侍)などが会場に足を運び、彼らの公式ブログでは興奮冷めやらぬ様子でライブの感想が綴られている。また、プライベートでも戸塚と親交のある京本大我(SixTONES)もライブに駆けつけたようだ。戸塚が多くの後輩に慕われ、愛される理由は、彼自身が独自のパーソナリティを築き上げてきたことに関係しているのではないだろうか。
1999年に事務所へ入所し、今年で芸歴25年を迎えた戸塚。当初はジュニアとして活動していくつもりはなく、息子を入所させたかった母の友人のために事務所の様子を偵察するのが目的だったという(※1)。学校終わりに参加したオーディションでは遅れていったためにほとんど踊れず、翌週に呼ばれた現場でも、ほぼぶっつけ本番だったためなかなか思うようにいかない。しまいには、当時レッスン生を束ねていたほかのジュニアメンバーから詰められるなど、なんともほろ苦いスタートを切っていた。
完全に事務所を辞める方向で考えていた戸塚だが、運命の分かれ道は夏休み期間に呼ばれたKinKi Kidsのコンサートだったという。同公演で堂本剛に魅了された戸塚は、ジュニアとして活動を続けることを決意し、その後はひたすらレッスンを重ねる日々が続いた。努力が実を結び、2001年に河合郁人や塚田僚一とともにA.B.Cとして活動をスタートすると、2002年に五関晃一、2008年には橋本良亮が加入し、A.B.C‐Zとして本格的な活動を開始する。
戸塚の経歴を辿る中でとても印象的だったのが、自分と他者の境界線を完全に分けて考えているということだ。
自分は他の誰かになれず、他の誰かもまた自分にはなれない。ゆえに、他人と比べることには何の意味もないと若くして悟っていた。昔から、自分のために誰かを蹴落とすということは絶対やりたくないと語っていた戸塚。他者との境界線を深く理解しているからこそ、自分の存在意義に誰よりも悩み、それを見つけるために彼は必死にもがいてきたのかもしれない。
そんな戸塚のポリシーは、他人に迷惑をかけないところで思いきり自己主張することだ。私服へのこだわりや好きな音楽への没頭は、彼にとって限られた大切な自己表現の方法だったのだろう。表舞台ではいつも笑顔で朗らかな印象の戸塚だが、時に周りを驚かすような行動に出ることもあった。
まだデビュー前だった2011年、突如として戸塚が丸坊主になり、ファンに衝撃を与えたのだ。実はこの時、引退を考えていたという。当時、A.B.C-Zは舞台『PLAYZONE』の稽古中だったが、戸塚はなかなかグループに貢献できない自分自身に歯がゆさを感じ、積もりに積もった思いが爆発し、稽古場を抜け出して衝動的に坊主にしたのだそう。
最終的に戸塚を引き留めたのは、仲間の存在だった。
自分が辞めたら残された4人はどうなるのか、そんな問いが頭をよぎったのだろう。元来の責任感の強さ、そして仲間思いな戸塚の優しさが、回り回って今の彼へと導いてくれたのかもしれない。