久保田利伸、3年8カ月ぶりの新曲に表れる人生観 輝かしい“現在“を提示し続けるアーティストとしての凄み

久保田利伸、新曲に表れた人生観

 6月19日、久保田利伸が3年8カ月ぶりの新曲「the Beat of Life」をリリースした。1986年にデビューした久保田利伸は、日本音楽シーンに“ブラックミュージック”というシーンの基盤を作り上げた立役者である。R&B、ソウル、ファンク、ヒップホップなどのジャンルで、数多くの洋楽然とした楽曲をヒットチャートに送り出し、それら音楽ジャンルをメジャーフィールドに定着させた。本稿では、2026年にデビュー40周年を迎える久保田利伸の歴史を振り返りながら、今なお、R&B/ソウルの探求を続ける久保田利伸の現在地、そして年代を越え指示される理由、その魅力について掘り下げていきたい。

久保田利伸 - the Beat of Life [Official Video]

 久保田利伸の才能はデビュー前から注目されていた。彼の音楽業界としてのキャリアは、大学卒業と同時に、キティミュージックと作家契約したところからスタートしている。以降、多くのアーティストやアイドルに楽曲を提供。田原俊彦、中山美穂、小泉今日子、鈴木雅之、GWINKO、荻野目洋子、芳本美代子、小山水城、とんねるず、バブルガムブラザーズなど数え上げたらきりがない。1985年にリリースされた田原俊彦の24枚目のシングル「It's BAD」は、歌い出しからラップを取り入れた、アイドルとしては相当攻めた曲で、当時アイドルから脱皮しようとしていた田原俊彦が、キレのあるダンスを生かしたパフォーマーへと変遷していく足掛かりとなる1曲であった。また後日談として、同曲が「日本で最初にラップを取り入れたヒット曲」と称されたのを機に、いや、佐野元春の方が先だ、否、吉幾三が先だと、音楽リスナーたちの中で“邦楽で最初のラップ”について所説が繰り広げられ盛り上がった。

 1986年にシングル「失意のダウンタウン」でデビューした久保田利伸は、ハイペースでシングルやアルバムのリリースを続けながら、毎年全国ツアーを展開していく。1986年~1993年までの間に、延べ7回の全国ツアーを開催しているが、タイトルの冒頭に“Funky Live Performance”というフレーズがついており、実際のツアータイトルにも“Funky”言葉が目立つのがひとつの特徴だ。この頃の久保田にとって“Funky”という言葉は、音楽だけに限らず、自らの人生観を表す言葉だったのではなかろうか。ライブは、コーラス陣も加えたファンクバンド(※註釈:80年代のディスコバンドにも通ずる)を彷彿させる構成、ダンサーも登場するステージ演出、洋楽然としたグルーヴィーな楽曲で観客を躍らせるパーティーのようなライブ展開と、この頃の久保田は徹底してライブで“Funky”を体現していったのだ。1988年、3枚目のオリジナルアルバム『Such A Funky Thang!』で初のチャート1位を獲得した久保田利伸の人気は、毎回のツアーチケットがプレミアム化するほどだった。結果“Funky”は全国区となり、日本の音楽シーン、もっと言ってしまえば一般層にも定着させた。当時の“Funky”は、今でいうならカッコいいという意味での“ヤバイ”と同義語といってもいいだろう。スラング的な意味合いとしての“Funky”、ステージ構成としての“Funky”、そしてグルーヴとしての“Funky”を日本に根付かせたこともまた、久保田利伸だからこそ果たせた偉業だと思う。

 1993年年末、活動の拠点をニューヨークに移した久保田利伸。そこに至るまでの数年のアルバムを振り返ると、アフリカの民族音楽も取り入れた『BONGA WANGA』(1990年)、レゲエへのアプローチもみせた『PARALLEL WORLD I“KUBOJAH”』(1991年)、“水”をテーマにし歌詞で新境地を見せた『Neptune』(1992年)と、音楽への貪欲な探求心がはっきり見えてくる。また、前述した3作は、それまでの作品と比べると、久保田本人のボーカルアプローチがよりR&B色の強いものになっている。“ブラックミュージック”をもっと極めたい、そのためにルーツであるアメリカでの日常を肌で感じたいと思ったゆえの拠点移住だったのではないかと考察する。音楽は久保田利伸の人生、そのものだったのだ。

 渡米した久保田は、1995年に“Toshi Kubota”として全米デビューを果たす。そしてデビュー10周年を迎えた1996年、ナオミ・キャンベルとデュエットした「LA・LA・LA LOVE SONG」が連続ドラマ『ロングバケーション』(フジテレビ系)の主題歌となり、ミリオンセラーを記録し、久保田利伸の代表曲のひとつとなった。同曲は、2020年、久保田利伸の全楽曲がサブスクリプション音楽配信サービスで解禁された際には、楽曲のシェアを指標にしたチャートであるSpotifyの「バイラルトップ50(日本)」にて、初登場4位にランクインしている。オリジナルリリースから24年、世紀を越えてのこのチャートアクションに、久保田利伸というアーティストが、世代やジャンルを超えて支持されているのがわかる。また、同チャートにて「LA・LA・LA LOVE SONG」の次に上位にランクインした曲が「Missing」というのも興味深い。この曲は1stアルバム『SHAKE IT PARADISE』(1986年)に収録されているラブバラードだ。中西保志、槇原敬之、中島美嘉、Ms.OOJAなどに加え、米国出身のボーイズIIメン、オーストラリア出身のシェネル、香港出身の張學友など、時代と国境を越えてカバーされている。

 2010年以降は、各地のフェスやイベントへの出演、KREVA、MISIA、EXILE ATSUSHIなどのライブにゲスト出演するなど、日本の音楽シーンの現在地を的確に捉え、日本R&Bシーンのパイオニアとして、その存在感をいかんなく発揮している。

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