米津玄師「毎日」は“攻めの姿勢”で寄り添う1曲に 軽快なリズムで本音を吐き出す真骨頂

 新曲「毎日」を発表した米津玄師。この曲で彼は、変わらない毎日を、あるいは変わらない自分自身を、半ばヤケクソ気味に歌い放っている。日に日に募る虚しさややるせなさを、ある種開き直って、空元気を出して叫んでいる。その飾らない剥き出しの言葉が今、多くの人々に刺さっている。

 日本コカ・コーラのコーヒー飲料「ジョージア」のCMソングとして書き下ろされたこの曲。「ジョージア」と言えば、坂本九の名曲「明日があるさ」のウルフルズによるカバー(「明日があるさ(ジョージアで行きましょう編)」)を使用して大ヒットを記録したのが印象に残っている人も多いだろう。坂本九による原曲は片思いする男子の恋心を歌った曲だが、ウルフルズバージョンはグローバル化や世代間の摩擦など、より現代人が共感しやすいテーマを盛り込みつつ、あくまで未来への明るい希望の歌として軽やかにまとめ上げられていた。トータス松本ならではのソウルフルな歌唱も相まって、結果的に同曲は日本のテレビCM史においても大きなインパクトを残すこととなる。その後も「ジョージア」のCMは、サンボマスターによる「あの鐘を鳴らすのはあなた」(和田アキ子)のカバーや、明石家さんまも作詞に携わったBEGIN with アホナスターズ「笑顔のまんま」などを起用。いずれも世間に向けたささやかな応援歌といった方向性で、明るく弾けるようなポジティブさが共通している。

 こうした「ジョージア」のタイアップソングの歴史に対して、米津は自由だ。まずのっけから聴き手に“現実”を突きつけてくる。

 列車の騒音が流れるなかで、ピアノのずっしりとした低い音から始まるイントロ。絶望感、疲労感、先の見えない日々……そうしたイメージが一気に耳に飛び込んでくる。聴く人が聴けば、ちょっとしたトラウマを呼び起こす冒頭と言えるかもしれない。この仄暗い情景を皮切りに、この歌は〈毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに〉と報われない心情を吐き出す。〈何一つも変わらないものを/まだ愛せるだろうか〉とフレーズの最後を素朴な疑問形で締めているあたりも生々しい。

 さらに、石川啄木『一握の砂』収録の歌(「はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る」)やディズニー映画『白雪姫』の劇中歌「ハイ・ホー」といった、古今東西の“労働歌”からの引用が登場。フックとしてこれほど強いものはない〈クソボケナス〉や、〈以下同文〉のやけっぱち感など、歌詞は全体的にうんざりしているといったニュアンスで充満している。

 それでもと言うべきか、だからこそと言うべきか、CMに使われている30秒間でこの歌は、唯一〈あなた〉だけが救いだと歌う。生きることの苦しさや途方もなさの中で〈あなた〉だけは消えないで側にいて、と。これは昨年、自身が同CMに書き下ろした「LADY」からの地続きと言えるラブソングテイストの部分で、働く人のみならず、世の中の人々すべてに当てはまりうる普遍的な感情と言えるだろう。この切実な愛情表現があることで、この曲は現状に対する単なる愚痴の域を超えて、現代人(特にこの曲で歌われるような働く人々)にとっての愛のかたちを捉えた共感性の強い楽曲に着地しているように思う。

米津玄師 - 毎日 Kenshi Yonezu - Mainichi ( Every Day )

 コーヒー飲料のCMソングとしての異色さは言うまでもない。無根拠に未来を明るく歌うのもポップソングの務めだが、「毎日」のように正直にリアルな現実を歌ってくれるほうが、より親切で共感できるという人も多いはず。そして彼ほどのポップスターでも、市井の人である私たちと同じようなことを考えて暮らし、歌ってくれているということそれ自体に心が楽になる感覚がある。

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