アンジェラ・アキ、『この世界の片隅に』音楽で描いた戦争と日常 渡米10年でシンガーとしての転機も

 2月7日に配信された再始動第1弾シングル「この世界のあちこちに」に続き、アンジェラ・アキが4月24日にアルバム『アンジェラ・アキ sings「この世界の片隅に」』をリリースした。アンジェラにとって約12年ぶりとなるこのアルバムは、5月から日本全国で上演される東宝オリジナル・ミュージカル『この世界の片隅に』のために書き下ろした30曲以上のなかから厳選された10曲を彼女自身が歌唱したもの。ミュージカル音楽作家として活動を始めてから制作した初めてのアルバムだが、“ピアノと歌”を主軸に表現されるその世界観は、やはりアンジェラ・アキのオリジナリティを十分に感じさせる。アメリカで作曲を学び直すなどして、この10年も真摯に音楽に向き合い続けた彼女の、ひとつの成果とも言えるだろう。

 渡米してからの約10年についてのことやミュージカル音楽作家としての道を歩み始めた経緯についてはオフィシャル・ウェブサイトに掲載のインタビュー(アンジェラ・アキ Official Website (angela-aki.online))で語られているので、そちらを読んでいただくとして、ここではニューアルバム『アンジェラ・アキ sings「この世界の片隅に」』のことをじっくり話してもらった。(内本順一)

ミュージカルの音楽は直感では作れない

New Album「 アンジェラ・アキ sings『この世界の片隅に』」全曲FLASH

――2012年の『BLUE』以来、12年ぶりにオリジナルアルバムを届ける今の気持ちはどうですか?

アンジェラ: 12年はあっという間だなと思うときもあるし、長かったなと思うときもあるけど、振り返れば個人的にもいろんなことがありましたからね。『BLUE』を作ったときの私とは人間として違う感じがするし、単に「楽しい時間でしたー!」って軽く済ませられないところがある。日本で活動していたときとは、今は生活のリズムも全然違うし、意識も違うから。10年前に日本での音楽活動を終えたのは自分が納得できるミュージカル音楽作家になるためであり、そのためにはアメリカの音楽学校に入って勉強しなければならない、逃げ道を日本に残して中途半端に活動することはできないと思ったからですけど、実際にそうして納得いくまで勉強して、それでまた機会を与えていただいて世に出す作品ですから、すごく嬉しいし、感慨深いです。ただ、何年振りの何枚目のアルバムですみたいな感じは、自分にはなくて。

――ある意味、デビューアルバムのようなものですもんね。

アンジェラ: そうそう。ミュージカル音楽作家としてはデビューアルバムですから。

――アメリカでじっくり音楽の勉強をして、技術もしっかり身についたという実感はやはり大きいですか?

アンジェラ: それはもう。正直に言うと、自分の昔の曲が聴けなくなった時期も3年くらいあったんですよ。それは、プロになった大人の画家が8歳のときに入賞した自分の絵を見るような感覚に近かったかもしれない。入賞しているってことは何らかのよさがあるんだろうけど、技術を身につけてからの目で見てみるとどうしても稚拙に感じられてしまうというような。稚拙と言ってしまうと、自分に対しても楽曲に対してもファンの方に対しても失礼になってしまいますけど、でも聴くとどうしても“今ならこうしたのにな”という気持ちになってしまって。CDからサブスクの時代に切り替わった頃はまだそういう感じがあったんです。だけどその時期を通り越して、あるときからまた捉え方が変わっていった。あの時代の曲は宇宙から落ちてきたものをキャッチするみたいに直感を頼りに作っていたわけですけど、だからこそピュアなよさがあったし、自分にとってすごく大事なフェーズだったなと思うようになったんです。ただ、ミュージカルの音楽は直感では作れない。それは確かなことで。

――シンガーソングライターとして曲を作ることと、ミュージカル音楽作家として曲を作ること。その一番の違いは視点だと、前回のインタビューで話されていました。

アンジェラ: そう、視点が違う。シンガーソングライターとして作るときには私の個人的な視点を反映させるわけですけど、ミュージカルの場合はキャラクターの視点であり、どの人のどの時点での視点なのかを考えることが一番大事なんです。

ーーミュージカル音楽の作曲で、特に意識するのはどういうところですか?  例えば大きな会場・大きな舞台に映えるように、よりドラマチックなメロディの動きを意識するようなところもあったりしましたか?

アンジェラ: 劇場をイメージして作るってことはなかったけど、その場面場面での音の役割を考えることは多かったですね。音楽をひとりの登場人物として考えて、それがどういう動きをするのがいいのか、どういう役割を果たせばいいのか。そのことを考えながら作曲していました。

――例えばある曲でAメロからBメロ、あるいはBメロからサビへと移るときに、シンガーソングライターとしての自分の楽曲だったら滑らかに動かすところを、ミュージカルに使う楽曲となるともっとダイナミックに動かそうとか、そういうことを考えたりは?

アンジェラ: いわゆるポップスの方程式みたいなものってあるじゃないですか。そのルールを手放して作ることの楽しさは確かにありました。なんていうんだろ、例えば限られたひとつの部屋のデザインをするのがシンガーソングライターとしての曲作りだったとしたら、ミュージカルはビル全体を好きなように作ってくださいと言われているみたいなワクワク感。さあ、屋上はどうしよう、地下室はどうしよう、建物全体の色合いはどうしよう、みたいな。今までは決まったサイズの部屋のなかで、壁の色をどうしようかと考えて作っていたようなところがあったけど、ミュージカルの音楽は全体をイメージした上で、どういう色を塗るのがいいかを考える。言ってみれば、絵を描くキャンバスのサイズが違う。全体を見渡した上でのクリエイティブ感が必要とされるというか。

――なるほど。となると、もちろん繊細さも大事だけど、大胆にメロディを動かすところは思い切り大胆に行ったほうが面白くなるというのもありますよね。ミュージカル音楽のほうが、より思い切って自由に動きをつけられるというか。

アンジェラ: そうですね。絵の具をバシャッと投げてみて、そこから色を広げてみる、みたいな感じ。ピアノに手を置くときも、いつもより大胆だったかもしれない。

――あ、それはわかりやすい。

アンジェラ: 「えい!」「いけ!」みたいな(笑)。

――それから、物語の舞台が広島県の呉(くれ)であり、時代は昭和初期から戦時下にかけてということで、それに合った懐かしさを感じさせる日本的なメロディというようなことも意識したりしましたか?

アンジェラ: あの時代にヨーロッパとかで音楽を勉強してきた作曲家の大先輩が長く残る日本の名曲を作っていたわけじゃないですか。例えば「赤とんぼ」がそうですけど(作曲は山田耕筰。「赤とんぼ」「待ちぼうけ」といった童謡でよく知られるが、それ以前にベルリン芸術大学で作曲を学び、ヨーロッパの音楽をいかに日本的なものと融合させていくかにトライした)、洋楽を身体に入れてジャパニーズの歌を作ることをした作曲家の試みからああいう歌が生まれて今も残っている。私もそういうふうに、洋楽ではないけれど、どストレートな和のメロディというわけでもない、それが融合されたあたたかみのある曲を作りたいと思っていました。時代性に関しては、自分自身が昭和の人間だから、そこに寄せるのは難しいことではないんですよ。「昭和ってどんな時代だろ?」って検索して調べる必要もないし(笑)。

――徳島や岡山で過ごした自分の幼少時代を思い出しつつ、懐かしさを呼び起こしたり。

アンジェラ: 風景だけじゃなくて、人のあたたかさだったりを思い出しながら作っていましたね。私は『北の国から』(フジテレビ系)が大好きなんですけど、あのなかで起きることのほとんどはちょっとしたことじゃないですか。近所のおじさんの一言がずっと主人公の心に残っていたりとか。大きな社会のなかでのことというより、コミュニティのなかでのちょっとした事件だったり、人の優しさだったり。自分もそういうなかでのあたたかさを知らないわけじゃないから、曲を作りながら懐かしさを感じているところもありました。もちろん戦争が差し迫る時代背景ですから締め付けられるような感覚もありましたけど、ミュージカルの脚本と演出を担当された上田一豪さんがおっしゃっていたのは、戦争をメインとした話にはしたくない、あくまでも戦争は物語の背景であって登場人物たちの日常のなかで繰り広げられるドラマがメインなんだということだったので、暗いサウンド、暗いメロディにするのではなく、私が思う昭和初期のあたたかな部分、よき家族の形を音楽にして表現できればいいなと思っていたんです。

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