鈴木慶一に聞く『72年間のTOKYO』刊行後日談 初出エピソード、秘めたる思いも文字にした真意

鈴木慶一と振り返る『72年間のTOKYO』

 バンド・ムーンライダーズを結成して1976年にデビュー、その後もさまざまなミュージシャンとのバンドやユニット活動に参加する傍ら、CM音楽、歌謡曲などの楽曲提供とプロデュースに携わり、日本のポピュラー音楽史に多大な影響を及ぼしてきた鈴木慶一。その歩みを、音楽評論家・宗像明将がまとめた書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が2023年12月26日に株式会社blueprintから刊行され、発売から1カ月を待たずに重版が決定するなど好評を博している。『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』の発売から約2カ月後、鈴木慶一に宗像明将が再び取材し、書籍への反響、そして25時間以上に及ぶ集中取材に応じた真意などを聞いた。(編集部)

自分について真剣に掘り下げるのはいい経験であり、危険なことでもあった

――慶一さんおひとりに関する書籍は、1989年の『火の玉ボーイとコモンマン』以来、34年ぶりでした。書いた私が聞くのもアレですが、自分についての評伝が出て、感想はいかがでしたか?

鈴木慶一:たぶん昔だったら恥ずかしいなと思ったけど、70歳を越えると、一回まとめておくというのは非常に興味深いし、自分で忘れていることを思い出したり、さらには周辺の人に聞いたり、親戚に聞いたりすることによって、自分の家のヒストリーが浮かび上がってくると、「なんで私は今ここにいるんだ?」とか、そういったことを考える。まるで小学生のときのようだ。小学生で最初に自我に目覚めるときは、毎晩寝る前に「自分って何だろう?」と考えて、けっこうノイローゼのようになっていた。そういうことを考えなかった?

――うーん、私はなかったです。

鈴木慶一:「自分はなぜここにいるんだろう?」って考えることが、小学校3、4年のときにあったんだ。それはすごく恐ろしいことで、離人症みたいに自分を外部から見るような感じを味わうわけだよね。そのうち慣れてきて、そんなことどうでもいいとなるんだけど、今こうやって歴史をずっとたどると、「自分はなんでここにいるんだろうな?」ってふと考えて、ちょっと恐ろしい。「何でこんなことになったんだろう?」と。そういうことをなるべく考えないようにしてやってきたんだろう。「あのときこうだった」というのは、楽屋の馬鹿話では出るよ。でも、こうやってすごく真剣に掘り下げるのはないことだからいい経験であり、危険なことでもあった。

――書籍でのまとめ方は慶一さんとしてはいかがでしたか?

鈴木慶一:いいんじゃないですか。このまとめ方、章立てもこれでいいんじゃないですか。

――ありがとうございます。

鈴木慶一:私は『月刊てりとりぃ』で「鈴木家の音卓」という連載を書いている。今20回目で、あと4回。家で何の音楽が流れていたかを2年間、毎月書いていて、70年で終わろうと思っているんだけど、最後に向かってもう一回正確なデータを検証しようと思って、いとこに聞いてみたら、記憶が違っているところがあって。(『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』を)もう一回刷るときにはそこは直したいなとは思うよね。要するに、子供のときの時間軸が、ちょっとずれていた。親父が11人家族だったと言っていたのも、どうやら当たっていたんだよ。私の物心がついたときには9人だった。

――『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』で、慶一さんは9人家族と言っていましたが、お父様の鈴木昭生さんがかつて言っていた11人家族が正しかったと。

鈴木慶一:私が世の中が見えるようになった3、4歳の頃は9人だね。叔父さん、叔母さんも意外と早く結婚していっちゃうんだよ。65年に最後の叔父さんがいなくなり、5人になるね。弟(ムーンライダーズの鈴木博文)も64年春から1年半いないんだよ。

――博文さんが気管支炎で、伊豆の寄宿学校にいた頃ですね。書籍を読んだ方からは、慶一さんにどんな反響ありましたか?

鈴木慶一:「面白かった」って言う人が多かったね。細野(晴臣)さんが「読んだよ」って言うのでギクッてした(笑)。親父が『ミステリーゾーン』のロッド・サーリングの吹き替えをやっていたのは知らなかったって。好評ですよ。

――ありがとうございます。私がいろいろと感想を見ていると、慶一さんの記憶力に対する驚きの声がたくさんあります。

鈴木慶一:いや、それがちょっと間違ってたね(笑)。1970年以降はだいたい合っていると思うんだけど。頭脳警察をテレビで見たのが69年と言っていたけど、指摘があって、それは70年初頭らしいんだ。

――3刷目のときに修正しましょう。

鈴木慶一:あと、家から幼稚園の送迎バスが来る産業道路まで100メートルじゃなくて300メートルとか(笑)。

――あはは。

鈴木慶一:それと、借金の話が話題を呼んでるな(笑)。

――1990年代に当時の事務所が抱えた借金問題は、今回、初めて語られたじゃないですか。逆に言うと、慶一さんがなんで今回その話をしてくれたのかなと私は思っていたんです。

鈴木慶一:別に封印していたわけじゃなくて、ちょくちょく言ってたけど、原稿からは削っていた。25年経ったし、借金も払い終わったからね。この話を出して、「まだ払いきってないですよ」と借金取りが来ちゃうと怖いけど(笑)。

――そこは弁護士についてもらったのでもう平気ですよね。

鈴木慶一:ロフトに間借りをしていた時期も判明した。青野ウン坊(青野稔。ムーンライダーズの元マネージャー)に聞いたら、最初は渋谷の桜丘で、その次にロフトで間借りだ。その次に同潤会アパートで、それからノア渋谷だな。

――2月7日にロフト創始者の平野悠さん、音楽プロデューサーの牧村憲一さんとイベントをしたとき(※1)、平野さんは、ムーンライダーズはCM音楽をやってから金持ちになってロフトに出なくなったと話していました、すごく楽しそうに。

鈴木慶一:悠さんにはお世話になりっぱなしだよな(笑)。ちゃんと今もロフトには出ているしね。平野さんが西荻窪ロフト(1973年オープン)や荻窪ロフト(1974年オープン)に呼んでくれて、我々がライブをする場所ができたなっていう感じだね。渋谷のB.Y.Gもそうだけど、大きいのはロフトだね。

ムーンライダーズは変わり慣れしている

――慶一さんの多彩かつ膨大な仕事の原動力を知りたいという声もありました。

鈴木慶一:なんだろうね。この本を作って思ったんだけど、「こんなにやったかな」って感じたね。止めずにやってきたって感じだね。

――なぜ止めずにできたんでしょう?

鈴木慶一:なんなんでしょうね(笑)。面白いからじゃない?

――音楽が?

鈴木慶一:うん。あと、面白くないことを言われることもあるけれど、それに対して、回答として面白いことをやり続けるってことだな。

――なんでこんなに変わり続けられるのかという声もありました。

鈴木慶一:ひとつ大きいのは、生まれ育った場所がどんどん変わっていった。(大田区の)東糀谷エリアは、私が生まれたときは野原もいっぱいあったし、運河もあったし、すごくモダンなデザインの工場があって、車寄せがあったりした。それが消えていくんだよね。うちのおふくろが先頭に立って、公害問題を追及して、でかい工場がどんどん移転していき、すごく広大な海苔を干すエリアを持っていた海苔屋さんも廃業して、アパートになり、そこも今やマンションだらけ。すごく変化が激しいと思う。羽田にはずっと住んでいた人もいるけど、東糀谷は外から入ってきた人が多かったんじゃないかな、もともと埋立地だから。そうやってチェンジすることが、ずっと続いてるわけだよね。実家にいた30年ぐらい、本当にどんどん変わっていた。『火の玉ボーイとコモンマン』の対談を編集してくださったかたが、いいフレーズを書いてる。チェンジなんとかって。

 そういうこともあるし、変化をつけていこうということがムーンライダーズの根底に転がっていると思うんだ。「アルバムを作り終わった、じゃあ、違うものを作ろう」というのは、ひとつのコンセンサスとしてあると思う。みんなたまたまそうなんだ。その一員として、私も変わっていくわけだよ。変わり慣れしてるというか。変わらないでいようと意識したことはないかもね。ひょっとしてニューウェイヴを浴びなければ変わらなかったかもしれないけど、たぶん面白さを求めて変わっていっただろうね。

――当時の雑誌を見ていると、はちみつぱい時代はヒッピーみたいだったのに、ムーンライダーズになると数年でニューウェイヴみたいになっていて、ルックスの変化が本当に激しいんですよね。

鈴木慶一:『火の玉ボーイ』(1976年)から3年でニューウェイヴだからね。聴く音楽も変わっていくわけで、それが大きかったかもね。あと大きいのは、中学に入ったときにビートルズブームで、高校を出るときにビートルズ解散という、この6年間が激動だったからね。本当に激動なんだよ、毎月毎月、面白いシングルが出てくるわけで、全部違う音楽で、新しいムーブメントで、それを6年間見ているとやっぱ変わりたくなるよね。英米の音楽シーンがすごいスピードで変わっていったのも大きいな。自分が音楽を始めたとき、「1」から始まるわけじゃん。新しい作品を作ろうとするとき、60年代の6年間の「1」に気持ちが戻るわけだよ。しかし、気持ちだけであって必ずそのときの最新の材料に意識は向かっている。歌詞も変わっていくし、歌詞で非常に影響を受けたのはロビー・ロバートソンだね。ザ・バンドは大きな変化はしないけども、音色がどんどん変わっていくんだよ。そして、ストーリーテラーとしてのロビー・ロバートソンの書く歌詞というのは、南北戦争の頃の話だったり、浮気の話だったり、神話的だったり、いろいろある。訳詞を必ず読んで「こういうことを歌ってるのか」って知るんだ。まあ、アメリカーナだね。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる