矢野顕子、“里帰り”ができる当たり前の日常への喜び 『さとがえるコンサート』東京公演レポ
ニューヨークを拠点に活動している矢野顕子が、毎年日本へ「里帰り」して開催している年末恒例のコンサート『さとがえるコンサート』。今年はひと足早く、11月24日の愛知県・穂の国とよはし芸術劇場PLATを皮切りに5都市にて開催し、12月3日の東京・NHKホールでファイナル公演を迎えた。
『さとがえるコンサート』がスタートしたのは、矢野がアルバム『JAPANESE GIRL』(1976年)でレコードデビューしてから20年を迎えた1996年のこと。当初はアンソニー・ジャクソン(Ba)とクリフ・アーモンド(Dr)を迎えたピアノトリオの編成だった。
2014年からは、『JAPANESE GIRL』でのセッション以来の仲である音楽ユニット Tin Panの細野晴臣(Ba)、林立夫(Dr)、鈴木茂(Gt)という編成で数年間演奏したのち、2017年には同年リリースされた弾き語りアルバム『Soft Landing』に合わせ、たった一人のピアノ弾き語りツアーとして開催。2018年から現在までの『さとがえるコンサート』は、林立夫、小原礼(Ba)、佐橋佳幸(Gt)の4人で行われている。
コロナ禍を経て、昨年から復活したイルミネーション「青の洞窟 SHIBUYA」で賑わう代々木公園ケヤキ並木を抜けてNHKホールへ。会場は矢野の同世代から20代と思しき若いファンまで混じり合い、始まる前からすでに静かな熱気に包まれている。定刻となり、まずは林、小原、佐橋の3人がステージに登場。続いてシルバーのジャケットを纏った矢野が姿を現すと、会場からは温かな拍手が巻き起こった。
1曲目に演奏されたのは「The Girl of Integrity」。この時点で矢野の熱心なファンは込み上げるものがあったのではないだろうか。1986年にリリースされたアルバム『峠のわが家』の冒頭を飾るこの曲には、当時彼女の自宅に出入りしていた野良猫「モドキ」の鳴き声がサンプリングされている。「モドキ」は今年3月に逝去した坂本龍一の楽曲「M.A.Y. in the backyard」(『音楽図鑑』収録)のタイトルの“M”にも使われている。
続く「PRESTO」は、2004年のアルバム『ホントのきもち』に引き続き、岸田繁(くるり)とのコラボレーションから生まれた楽曲。抑制の効いたタイトなリズム隊と、ツボを押さえた佐橋のギターがシンプルで味わい深いメロディを引き立てる。矢野は客席の一人ひとりに笑顔を向けながら、岸田と共作した歌詞を噛み締めるように歌っている。
1981年にリリースされ、矢野の名を世にしらしめた出世作「春咲小紅」、〈たまにね/おかあさんも ほめられたい〉と家事育児の大変さを、ユーモアを交えつつ綴った「いいこ いいこ」、そしてムーンライダーズのシングル曲のカバーで『Home Girl Journey』(2000年)にも収録された「ニットキャップマン」と、糸井重里が歌詞を担当した楽曲を3曲続けて演奏。
本コンサートで初披露された新曲「うちゅうから」の歌詞は、宇宙飛行士・野口聡一の娘さんが、小学校5年生の時に書いたもの。野口が、国際宇宙ステーション(ISS)滞在中に見た世界、感じた気持ちを歌詞にして、それをもとに矢野が曲を作り上げた宇宙と地球を結ぶ“人類史上初”のコラボアルバム『君に会いたいんだ、とても』をきっかけに生まれたこの曲は、父を宇宙へ送り出す娘の気持ちが込められている。
続いて演奏されたのは、そのコラボアルバムから「雲を見降ろす」。ドリーミーなメロディに乗せて、〈僕は、雲の反対側にいる人たちのことを想う/明日いいこと ありますように〉と歌われる歌詞は、今この瞬間にも世界中で起きている戦争や紛争、それにより苦しんでいる人たちに思いを馳せずにはいられない。
「若い方はご存知ないかもしれませんが、昔イエロー・マジック・オーケストラというグループがあって……」と矢野が語り出すと、会場からは大きな拍手が。「その後ろの方で私は、楽しくシンセサイザーを弾いたり踊ったり、歌ったりして暮らしていました。今日は、そのなかでも大好きだった曲を演奏します。うちではよく弾いているんですけど、皆さんの前で久しぶりに演奏するのは勇気が要ります。では、お聞きください。『千のナイフ』」
大きなどよめきが客席のあちこちから起きるなか、坂本龍一の代表曲でありYMOのライブでもたびたび演奏された「1000 Knives」を披露。セクションごとに目まぐるしく景色が変わっていくプログレッシブな展開と、ほのかにオリエンタルな響きをたたえた親しみやすいメロディ、そしてインプロビゼーションを交えながら後半に向かってボルテージを上げていく演奏に、この日のライブは最初のピークを迎えた。
「来年は……『ライディーン』(を演奏しよう)かな?」と演奏後に矢野がぼそっと呟くと、さらに大きな拍手が。言うまでもなく「ライディーン」の作曲者は、今年1月にこの世を去った高橋幸宏だ。