My Hair is Bad、“共に生きていく音楽”を鳴らした5年ぶりの武道館 過去と現在に向き合って見出した新たな答え

マイヘア、5年ぶり武道館レポート

「アルティメットホームランツアー、日本武道館ファイナル。新潟県上越、My Hair is Bad、始めます! 全員で始めようぜ!」

 昨年4月に5thアルバム『angels』をリリースしたMy Hair is Badの『アルティメットホームランツアー』。昨年5月からスタートし、長い時間をかけて全国をまわったツアーは、広島・横浜の振替公演を残すものの、2月10〜11日の大阪城ホール公演、2月18〜19日の日本武道館公演といったアリーナ4デイズでいったん締め括られた。

 本稿では、2月19日の日本武道館公演に言及する。マイヘアの武道館ワンマンは2018年の『ギャラクシーホームランツアー』以来、約5年ぶり。振り返れば2018年の初武道館は、止まったら死んでしまうマグロのようにツアーをまわり続ける日々の延長線上にあったもので、小さなライブハウスと全く変わらないテンションでライブする3人の姿が痛快だった。しかし今のマイヘアはもっとすごい。しかも“歳を重ねて丸くなった”という単純でつまらない話でもない。シンプルに言うと、激しいマイヘアと穏やかなマイヘアの両方がいる。もっと詳しく言うと、嘘や見栄を引っ剥がした裸の音と言葉は健在ながら、“心ー楽器ーアンプ”を繋いでライブする自分をやや離れたところから客観視するマイヘアがいて、さらにそれを俯瞰するマイヘアがいて……という立体構造になっている。ドロステ効果のように果てしないイメージが浮かぶ。

 20代最後の作品として制作された『angels』は、何か真新しいことをやるというよりも、これまでの活動で培われたマイヘアの王道を今の彼らでブラッシュアップさせたような作品だった。そんな『angels』の楽曲群を世に放ち、全国各地で響かせたこの1年間は、彼らにとって、30代になった今の視点から20代の頃の自分たちと向き合った時間だったのだろう。この日の「フロムナウオン」で出てきた言葉を借りるならば、My Hair is Badとは、「誰でもないし誰にもなれない、ずっと自分のターン」である人生の際限ない感じを表現しているバンドなのだ。メンバーはこの1年でそのことに気づいたのか、それとも、ずっと気づいていたけれどバンドの表現が追いついたタイミングが今だったのか。いずれにせよ、今、椎木知仁(Gt/Vo)、山本大樹(Ba/Cho)、山田淳(Dr)の3人が集まった時に鳴らされる音楽は結果的にそういうものになっていて、そんなバンドが、20代集大成の作品を携えてまわったツアーの最終日が、これまでのバンド人生を思わせる内容になることは想像に難くない。「そんなライブになるだろう」という必然に、「そんなライブにしなければならない」という覚悟を持って対峙し、夢中になり、燃焼した。加えて、終盤に椎木が「みんなすごく集中してこっちにパワーをくれてありがとうございます。My Hair is Bad、夢中になってやれてすごく幸せです」と感謝を伝えていたように、観客一人ひとりも夢中になり、燃焼し、大きなエネルギーをステージに送った。間違いなく、今まで観た中で最もカッコいいMy Hair is Badであり、今まで観た中で最もカッコいいMy Hair is Badのオーディエンスだった。

山本大樹

 『angels』収録曲と初期曲で構成されたセットリストを、時に暴れるような爆音で演奏し、時に全体を大らかに包み込むようなサウンドで演奏する3人。人は変わっていく生き物だから、今と過去を照らし合わせれば違いが浮き彫りになるだろう。例えばマイヘアの場合、生傷を曝してもがくような表現よりも、痛みを認めた上で、自分のことも他者のことも許すような表現が増えた。そして『angels』には“別れを告げる”、あるいは“終わらせる”ことを歌った曲が多い。しかし彼らにとってそれは過去を無慈悲に切り捨てることではなく、自分の弱さや後悔、それでも懸命だった事実を認めた上で先に進むことなのだろう。やさしい音楽を奏でられるようになっても相変わらず全身全霊、涼しい顔など一切せず、汗を流しながらライブする3人を観てそんなことを感じた。

山田淳

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