access、デビュー30周年迎えてもなお強くなる“最先端”への渇望 90年代から現在までブレない創作スタンスとは?
2022年11月でデビュー30周年を迎えるaccess。携帯電話がまだアナログ波を使っていた1992年、浅倉大介によるデジタルサウンドと、貴水博之による唯一無二のハイトーンボーカルで、メインストリームに躍り出た彼ら。以来、斬新かつ画期的な創作活動を続けている。
11月23日には、Blu-ray3枚組『30th ANNIVERSARY MUSIC CLIPS COLLECTION BOX』がリリースされる。Disc 1は、デビュー曲 「VIRGIN EMOTION」 から2017年のシングル曲 「Knock beautiful smile」 までのMUSIC CLIP集。Disc 2では、1993年から1994年にかけてリリースされた『LOOKING 4 REFLEXIONS』 シリーズ4部作をコンプリート。撮影現場などの舞台裏を捉えた貴重映像も収録されている。Disc 3は、ライブ2本立て。1992年のデビュー前日(11月25日)、原宿ルイードで開催された初ライブのドキュメンタリーと、翌93年に行われた初の全国ツアー『FAST ACCESS TOUR ‛93』の中野サンプラザ公演。ともに初の商品化となる。
本取材では、この映像BOXを軸にaccessの過去・現在・未来を語ってもらった。インタビュー前、「昔のことは、ほとんど覚えていない」と言っていた浅倉だが、語るに連れ、記憶が蘇る。いつもどおりフランクな貴水は、デビュー当時の葛藤をそのまま吐露した。貴重映像が満載の『30th ANNIVERSARY MUSIC CLIPS COLLECTION BOX』同様、貴重発言が連発するインタビューとなった。(藤井徹貫)
「恐れを知らないって、まさにあのときの僕らを表している」(浅倉)
ーーaccessのライブの原点ともいえる1992年の原宿ルイード公演が、ついに正式リリースされますね。
浅倉大介(以下、浅倉):あの映像を観るとビックリします。恐れを知らないって、まさにあのときの僕らを表している言葉。どうしてあんなに堂々とできたのか、今となっては覚えていないから、すごく不思議です。
貴水博之(以下、貴水):若さゆえ、かな?
ーーただ、よくよく観察すると、貴水さんの目がときどき泳いでいる(笑)。
貴水:それは錯覚じゃありません(笑)。必死でしたから。すべてが初めての連続で。プレッシャーと戸惑いの毎日でした。
浅倉:僕が鮮明に覚えているのは、ハードウェアのシンセサイザーをルイードに山ほど持ち込んだこと。打ち込みの音をライブで再現するテクノロジーが、今みたいに完成されていない時代で、ハードディスクもなかったし、記憶媒体がフロッピーディスクの時代でしたから。1台でいくつもの音源を鳴らすこともできなかったし。なので、accessの音をライブで再現するため、機材車がハードシンセだけで一杯になるくらい持ち込みました。で、ステージ脇にズラッと並べて、それでも置き切れないから、ステージ上に立てかけていました。
ーー今の「ハードシンセ」という言葉も、1992年当時は存在しませんでしたよね。
浅倉:そうそう。2010年頃、PCにインストールするソフトシンセが使われ始めたから、それと区別するために出てきた言葉です。accessがデビューした90年代は、単にシンセとしか言わなかった。
貴水:90年代といえば、ドキュメンタリーに映っているファンの人もスタッフもその時代を物語る服装や髪形でなつかしいような、新鮮なような(笑)。
浅倉:僕らの私服もね(笑)。
貴水:僕が強く覚えているのは、あの小さなライブハウスに、花道が設置してあったこと。
ーーステージ下手から客席側に花道(通路型の舞台)がありました。
浅倉:ステージセットに大きな歯車が2個あったよね。1stアルバム『FAST ACCESS』のジャケット写真でも大きな歯車を2個使っているから。ステージ上は、シンセと大きな歯車でギューギュー、フロアはそれでなくてもお客さんで一杯なのに、花道を造ったからなおさらギューギューだった。
貴水:目標にしている武道館コンサートまで「一気に駆け抜けるぞ!」と熱く語るスタッフもいたし。その熱に煽られて、裏づけのない自信のようなものだけがみなぎっていた気がします。高鳴り、興奮、意気揚々とか、そういう言葉で表されるライブでした。
ーーこの原宿ルイードの2カ月前の9月29日に行われた浅倉大介ソロライブ『Day-Trick』が二人の初のライブ共演でしたね。
浅倉:はい。9月2日に2ndソロアルバム『D-Trick』をリリースして、そこにゲストボーカルとして参加してもらったのがそもそもの始まりです。その流れでソロライブにも出演してもらって。
貴水:あのときは、どうしたらいいのかわからなくて、歌い終わったら、おじぎと同時に引き上げて(笑)。終演後、舞台監督から「バラードだから、もっと余韻を持たせて」と言われました。
浅倉:それが今じゃ、HIROのほうが最後までステージに残ってる。
貴水:大ちゃんは、「今日はここまで」と自分で区切ったら、さっさと引き上げる(笑)。
ーーそして、ルイードからわずか8カ月で中野サンプラザ。「一躍」という言葉がピッタリの破竹の快進撃でした。
貴水:今、中野サンプラザのライブ映像を観ると、ルイードとはまるで別人ですね。
ーーある意味、中野サンプラザ公演は、すでに完成されている。
貴水:あの8カ月がそれくらい濃密で凝縮された時間だったということでしょうね。僕らも含め、あのときのチームの一体感が忘れられません。一人ひとりのベクトルが、同じ未来を目指していた。そこから生まれるスピードやパワーは凄まじかった。遅れないよう、振り落とされないよう、必死でした。
浅倉:普通や一般的な新人の活動を知らなかった分、確かに無謀だったけど、エキサイティングでした。今は、新人の売り出し方も、一定の方程式というか、ひな型が確立されていますよね。あの頃はまだ、出たとこ勝負みたいな感覚も残っていて(笑)。
貴水:前しか見てなかった。
浅倉:前しか見えなかった。中野サンプラザのときも、一気にここまで来たって達成感より、武道館コンサートへ進む、ひとつのステップアップという気持ちが強かった気がします。
貴水:武道館コンサートとアルバム1位がデビュー当時の2大目標だったから。