日向坂46 四期生メンバー紹介(前編) 清水理央、正源司陽子、石塚瑶季……ダンス経験者から野球好き、活発な自然児まで
日向坂46に新たに加入した四期生12人。現在オフィシャルYouTubeチャンネルにて「四期生ドキュメンタリー・フルバージョン」と題し、毎日1人ずつ自己紹介ムービーが公開されている。そこで今回は2週に分けて、加入したての四期生メンバーを紹介していく。
清水理央(しみず りお)
2005年1月15日生まれ、千葉県出身で17歳の清水理央。「王道アイドルになりたい」と語る清水は、両親の影響で小さい頃から歌うことが好きだったという。小学1年生から硬式テニスを習っている根っからのスポーツ少女だったが、中学2年生の時に友達が出演していたミュージカルを観劇し、歌とダンスに引き込まれ「私もミュージカルやりたい!」と劇団に所属。ミュージカルの経験を通して自分の殻を破り、自己肯定感が上がった人生のターニングポイントだと本人は語る。高校ではチアダンス部に所属し、高校野球の応援にも駆けつけた。チアを始めた理由について「人を応援することもできるし、自分の表現力を磨くこともできるから」と話し、チアを経験したことで明るく笑顔の多い性格になったという。
日向坂46との出会いは高校1年生の時。初めて見た時に元気とフレッシュさに衝撃を受け、ここでなら自分も輝けるのではないかと思ったという。「青春の馬」が特に好きで、オーディションを受ける決心ができたのも同楽曲に背中を押されたから。「ゆくゆくは四期生が日向坂を引っ張っていく時に、先陣を切ってチームを引っ張って行けるような人になりたい」と語り、四期生楽曲「ブルーベリー&ラズベリー」ではセンターを務めている。
宮地すみれ(みやちすみれ)
2005年12月31日生まれ、神奈川県出身で16歳の宮地すみれ。「自分に厳しく、見えない努力を続けられるようなアイドルになりたい」と語る宮地は、これまでに水泳やピアノ、エレクトーンといった習い事から、神社での巫女なども経験。特に自分からやりたいと思って始めたことは、中学1年生からのバトントワリングだったそうで、仲間との協調性や思いやりを学んだという。
アイドルを志したきっかけは、中学校の卒業式で乃木坂46のダンスを踊ったこと。たくさんの人の前でステージに立つのが楽しく、それが次第にアイドルへの憧れに変わっていった。さらに日向坂46が東京ドーム公演で「JOYFUL LOVE」を披露した際、会場がペンライトで虹色に染まった光景を見て感動し、自分もオーディションを受けたいと決心したのだという。「ブルーベリー&ラズベリー」ではフロントメンバーを務めている。
正源司陽子(しょうげんじ ようこ)
2007年2月14日生まれ、兵庫県出身で15歳の正源司陽子。小さい頃は活発に外で遊び、魚や虫、両生類などの生き物が好きで、川や田んぼでカエルやイモリを捕まえて顔に乗っけるのが気持ち良かったと語る。友達や先生にも“やんちゃ”と言われるほど自然児な一面を持つ一方、実はフルートが得意だったり、オーディションでは空手を披露するなど、早くも意外な一面を垣間見せている。
もともと何かをパフォーマンスすることが好きで、アイドルという職業に憧れ、つまずいたり困っている人の背中を歌やダンスで押せる存在になりたいと思い、日向坂46のオーディションを受けたそうだ。一見非の打ち所がないように思える正源司だが、ドキュメンタリーの冒頭では「中学生の時に自分の素を出しすぎて嫌われたことがあるから、(自分の意見を言うのが)ちょっと怖くて。でも、本当は自分の意見をちゃんと伝えられたらよかった」と明かし、合宿で涙を流す姿が映された。時にはそうして弱さや挫折を曝け出しながらも、持ち前のピュアさで多くのアイドルファンを魅了していくことだろう。
石塚瑶季(いしづか たまき)
2004年8月6日生まれ、東京都出身で18歳の石塚瑶季。3歳の頃にバレエを始め、幼少期から人前に立つ機会が多かったという。体の柔らかさが自慢で、根っから明るく、母親からも「天真爛漫で喜怒哀楽がすごい」と言われて育ってきた。兄の影響で小学生の頃は野球に夢中になり、男の子たちに混じってプレイしていたという石塚は、飼っている猫の名前はイチローと翔平、好きな球団は巨人(読売ジャイアンツ)、好きな選手はゼラス・ウィーラーという日向坂46待望の野球好きメンバーであり、貴重なサウスポーでもある。
東京ドームへプロ野球観戦に行った際、チアガールのダンスを見て直感的に“なりたい!”と感じ、チアダンスをきっかけにアイドルという職業に興味を持つ。高校生になってからも将来の夢はアイドル以外に考えられず、オーディションを受け続けたものの落選を繰り返してきたが、“アイドルに向いてない”と諦めかけていた矢先、一番好きな日向坂46のオーディション開催を知り、運命を感じて応募したのだという。「ダンスをなくしたら何もない」というぐらいダンスが大切で、オーディションで語っていた「合格して、つらい人・悲しい人を支えてあげられる、太陽を超えた火星のような存在になりたいです」という言葉が印象的だ。