森山直太朗、コロナ療養期間に問い直した生きる意味 「僕の心が変わったから世界が素晴らしく思えた」

森山直太朗が問い直した生きる意味

20年目にして無垢、剥き出しの状態になった

ーー直太朗さんは実際、この2年間も様々な活動を続けてきました。2021年元旦にYouTubeチャンネル「森山直太朗のにっぽん百歌」を開設し、3月にはTikTokもスタート。さらにテレビドラマに出演するなど、活動の幅も大きく広がって。

森山:僕はこれまでの人生で、音楽を通していろんな人たちと出会ってきて、それが活動の広がりにつながったと思っているんですよ。ただ、同時に音楽以外の表現に対する好奇心や衝動もずっと持っていて。今までは音楽活動の予定がけっこう先々まで決まっていたし、それ以外のことをやる時間がどうしても取れなかったんだけど、『人間の森』ツアーが終わったタイミングで、「もっと自分自身が自立しないと、先細りするだろうな」と思って、1回休みたいという話をスタッフにしたんです。たとえば土をいじったりとか、視野や見聞を広めたくて。実際、ツアーの最終公演(2019年6月)から年末まではほとんど仕事を入れないつもりだったんです。そうしたら、ちょうどそのタイミングで『心の傷を癒すということ』というドラマと、朝ドラの『エール』から出演依頼が来て。

ーースペースを空けたら、新しい風が吹いてきた。

森山:まさに。YouTubeやTikTok、インスタライブなどは、コロナ禍になって、音楽活動が制限されてから始めたんです。これまでとは違うツールで代替したわけですけど、どれもおもしろくて。空白ができたら、そのなかで表現の幅が広がったというのかな。楽曲提供もそうですね。

ーーなるほど。「アルデバラン」(AI)、「懐かしい未来」(上白石萌音)もそうですけど、最近の提供曲は“作詞・作曲/森山直太朗”とクレジットされてますよね。これまではほとんどの楽曲が“作詞・作曲/森山直太朗・御徒町凧”だったわけですが、直太朗さんが単独で曲作りをすることが増えたということですか?

森山:そうですね。デビューアルバム(『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』)に入っている曲は、作詞が僕と御徒町、作曲が僕になっていたんだけど、それ以降は連名が多くなって。オカちゃん(御徒町)には曲作りから始まって、プロデュース、ライブの演出まで預けてきたんですけど、『人間の森』ツアーの後、もう一度彼と新鮮な感覚で向き合いたくなったんですね。それは自分のためでもあり、彼にとっても絶対いいことだろうなと思ったし、「出会った頃に戻ろう」みたいな話をして。

 僕ら、もともとはサッカー部の先輩、後輩だったんですよ。僕は熱血派のキャプテン、あいつはおさぼり系のベンチ要員だったんですけど(笑)、いつの頃からか立場が逆転していたんです。僕はどこか淡々としていて、みんなが用意してくれた舞台で歌を歌う。オカちゃんは全体を引っ張っていく立場になった。それはそれでよかったと思うんだけど、このタイミングで一度、当初の関係に戻ろうと。それで失われるものもあると思うんですよ、たとえば活動における客観性とか。そのことを含めて御徒町やスタッフと腹を割って話して……。つまり“本当にやりたいことを、やりたいときに、やりたい人と本気でやる”ということなんですけどね。何でも彼と二人でやる、責任も半分ずつだと、この先は通用しないと思ったので。めんどくさいですけどね。20年目で、最初のスタイルに戻るって(笑)。

ーーこれまでは“森山直太朗というアーティストは、直太朗さんと御徒町さんのユニット”という捉え方もありましたからね。

森山:Boseさん(スチャダラパー)にもそう言われました(笑)。確かにそういう時期もあったんですけど、いつかボタンの掛け違いが起きるんじゃないかという危機感もあったし、ちゃんと自分で責任を取れる状態を作っておきたかったんですよね。『人間の森』ツアーで御徒町が引導を渡してくれたところもあるんですけど。それくらい追い詰められたし、このままでは進めないと実感したので。

ーーその結果、自然と活動の幅が広がったと。

森山:そうですね。これまで通りのスタンスだったら、お芝居や楽曲提供もやってなかったと思うし、自分の色も出せなかったんじゃないかな。あと、ちょっと厚かましいんだけども、「もっと何かの役に立ちたい」という思いもあったんです。この先はどうなるかわからないけど、まずは自分の殻を自分で割って、やりたいことをやってみようと。20年目にして無垢、剥き出しの状態になりました。

ーーアルバムの収録曲についても聞かせてください。まずはタイトル曲「素晴らしい世界」。この曲は御徒町さんとの共作ですが、どういうプロセスで生まれたのですか?

森山:御徒町も去年の初めにコロナに罹ったんですよ。あいつは無症状に近かったんだけど、家族と離れて、しばらく家で隔離されていて。あの頃はずっと天気が良くて、麗らかな日が続くなかで、自分は社会と分断されている……そのときに感じたことを詩にしてたんです。その詩を、「へえ、こういう感覚だったんだ」なんて気軽に読んでたんだけど、その後、自分も罹ってしまって。さっき言ったようにかなり辛い経験をしたんですけど、その後、改めて御徒町が書いた詩を読んだときに「ぜんぜん違うじゃん」と思ったんですよ。自分が経験したのはまったくの別次元、僕は漆黒の闇で溺れるような感覚だったので。

ーーそれもコロナの特徴ですよね。人によってまったく捉え方が違うという。

森山:そうなんですよね。アルバムに対する所信表明(※1)にも書きましたが、僕がコロナに罹った後に感じたのは、“解放”だったんです。生きていれば社会と密接に関わることになるけど、コロナで分断されて、さらにフィジカル的にも追い込まれて。言ってみればダブルの孤独を味わったんだけど、その先にあったのは自由だったんです。今までは人工的な自由というか、“これが自由だよ”って言われたものを受け取っていた。本当の自由、本当の解放は、暗闇や孤独の先にあるものなんだと実感したんですよ。

ーー物事の捉え方も変化しそうですね。

森山:そう、日常のすべてが愛おしくなった。たとえば踏切の音を聴いたり、太陽の陽射しを見るだけで、嘘じゃなく、涙が出てくるんです。排泄さえも愛おしいというか(笑)、「これ以上、何を求めればいいんだ?」という気持ちになって。つまり、僕の心が変わったから世界が素晴らしく思えたということですよね。世界は外側ではなく、自分の内側にあるんだと確信したし、「まだまだ捨てたもんじゃないな」と。で、オカちゃんに相談したんです。彼が書いた詩は淡々としていて、フラットな感覚を描いていて、それも理解できるんだけど、自分が経験したコロナはもっとジェットコースターみたいで、高低差があった。なので自分なりに作らせてほしい、と。

ーーそれがアルバムに収録されている「素晴らしい世界」になったんですね。

森山:そうなんです。ちなみに御徒町が書いた詩は、アルバムに付いている“詩歌集”に掲載されています。この20年のなかで発表した歌詞をまとめたものなんだけど、御徒町にあとがきを頼んだら、「詩でもいい?」って言われて。「なんだよ、カッコつけやがって」と思ったけど(笑)、「素晴らしい世界」のもとになった詩をあとがきの代わりに載せることになったんです。あいつと僕で感じ方は違ったけど、一周して同じ光を感じていると思ったし、御徒町の詩にインスパイアされたのは事実だから、「素晴らしい世界」は共作ということになりました。

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