teto『愛と例話』&Tempalay『あびばのんのん』特別対談
teto 小池貞利×Tempalay 小原綾斗 特別対談 同世代の2人が語る、カウンターカルチャーとしてのバンド美学
2年ぶりの3rdアルバム『愛と例話』を8月4日にリリースしたばかりのtetoと、初のシングルCD『あびばのんのん』のリリースを9月8日に控えたTempalay。今回は、ともにボーカル&ギターであり、実は共通点の多い同世代でもある小池貞利(teto)と小原綾斗(Tempalay)による対談企画を行った。音楽的にいえば小池がやっているのは素っ裸のパンクロックだし、小原のそれはユルユルと掴めないサイケデリックだが、さまざまなカルチャーからの影響を感じさせる歌詞、クセはあっても絶対的にポップなメロディセンス、音から浮かび上がる郷愁のイメージ、さらに生と死に対する似て非なる眼差しなど、話題は尽きることがないのだった。夏の特別対談、ぜひ、どうぞ。(石井恵梨子)
「バンドは全部カウンターカルチャーであるべき」(小池)
一一意外な組み合わせですよね。接点があるような、ないような。
小原綾斗(以下、小原):接点は……1回きり(笑)。(東京)キネマ倶楽部で。
小池貞利(以下、小池):あれはTENDOUJIのイベントか(TENDOUJI自主企画『MAKE!TAG!NIGHT!!!』)。でもその前に、実は下北沢の飲み屋で会っていて。もちろんその前からTempalayの音楽は知ってたけど、そこですごい熱い話をされて、面白い人だなと思ってた。
小原:そうなんだ。俺は初めてキネマ倶楽部でtetoのライブを見たけど、その時は深〜く落ち込んでたよね。覚えてる?
小池:覚えてない(笑)。
小原:内容が腑に落ちなかったのか、めちゃくちゃ落ち込んでて。俺は二階席から見てたんですけど、ステージから俺の前まで柵の上を登ってきて、そこから小池くん、後ろにこう、飛び降りたんですよ。天井見ながら。
一一え、2階の柵越しに、背中からそのまま落ちた?
小原:そうそう。俺からしたら目の前に来た顔がそのままスーッと落ちていった。まぁお客さんがキャッチしてくれたんですけどね。「この人もう死んでもいいんや?」みたいな。すごいライブする方やなぁと思って。
小池:ははは。めちゃくちゃっすね。
小原:めちゃくちゃだったなぁ。
小池:でもやっぱ、表現するならカウンターカルチャーじゃないと満足できない、みたいなところがあって。カウンターカルチャーであるべき、そもそもバンドは全部。そこは絶対この二人に共通してるんじゃないかなと思う。
小原:うん。なんていうのかな……俺、結構周りを見る能力があるんですよ。半歩先を見れるっていうか。要は被りたくないんですよ、シンプルに。壊していく作業やと思ってるので。周りを見て、足し算引き算しながら、今ないものを作っていくというか。
一一今ないものが次のカウンターになりうると。
小原:そう。今、日本において文化レベルって絶対下がってますよね。文化に対して予算を費やさない、どんどん産業的なシステムになっていって。そういう意味では、人の脳に訴える、理解できないものを作っていくことがある種のカウンターであるし、それなら作っていけるなって思う。
小池:綾斗くんに初めて会った時に「絶対音楽で消費されたくない」って言ってたこと、俺すごい覚えてる。
小原:悔しいよね。ルーティンとして、アルバムを作ってツアーをして、またアルバムを作って……っていう、まったくもって音楽にリスペクトのないその流れ(笑)。だから消費されたくないって言ったのは、世間に対してというより、それを消費しない形を自分たちで作っていけるか。自分たちで発信して、そういう態度を示していけるか、っていう意味で。
小池:バンドの姿勢って全部作品に影響するよね。ライブのやり方とか、それこそスケジュールや発言もそうだし。あと、お客さんを巻き込んだストーリーも含めて俺はバンドの姿勢だと思ってる。
小原:うん。そういう姿勢はtetoと通ずる部分があるのかなって思う。
一一面白いですね。音楽のアプローチは全然違うのに。
小池:音楽的には、Tempalayのような曲は俺には絶対できないし。でも歌い方も含めて、綾斗くんは地に足着いてるんだよなぁ。落ち着いてるし色気があるし。同じ歳なのに俺はそれができないから、そこが一番リスペクトかな。
小原:地に足着いてないんだ?
小池:俺はずっと走ってる(笑)。片足が着いたらもう片足は宙にあって、2本の足が着くことが俺はない。めちゃめちゃ転ぶし痣だらけだし。
密接に関わり合う“文化と性欲”
一一たぶん、音楽のイメージって逆だと思うんです。Tempalayのほうがふわふわと宙に浮いていて、どこに足があるのかわからない。
小原:はいはい。そもそも足があるのかないのか、みたいな(笑)。
一一でも実際はTempalayのほうが地に足が着いている?
小池:Tempalayはがっぷり四つで組んでる気が、俺はしますけどね。「芯、つよっ!」みたいな。そういう感じがすごく出てる。
小原:そうなんだ。自分の背中って自分じゃ見えないから、こうやって言われて気づくこともあるんだよね。でも小池くんは逆に真面目なんですよ。音楽に対してなのか、自分に対してなのか、人に対してなのかわかんないけど、もうドがつく真面目だなって。真面目すぎて死んじゃう、みたいな感じがする。だから何気ない一言で死ぬほど落ち込むし、死ぬほど歓喜するだろうし……イメージですけどね。それがモロにtetoに出てる。俺はそういうエネルギーの放出の仕方はできないから。
小池:でも綾斗くんもめちゃくちゃエネルギーは持ってるよね? 放出の仕方は違うけど。
小原:そうね。俺は、基本的に人とエネルギーを育みたいところがあって。小池くんは全部自分で背負い込んでいて、「すべて俺が吸収して俺が放出する」みたいな感じ。でもロックンロール・ヒーローってそういう人だから。ステージ上の小池くん、怖いですよね。狂気を帯びてる。会うと気のいい人だけど、それがまた怖いっていうか(笑)。
小池:今の話、「エネルギー」とか「死んじゃう」って話を聞いててふと思ったけど。このあいだフィッシュマンズの映画を見ていて、ボーカルの佐藤(伸治)さんは海に引き摺り込まれるように亡くなられたイメージがあって。あの方もすっごいエネルギーはあるんだろうけど、なんか性欲なさそうだなって、見ていて思ったんですね。性欲ない人って、いつの間にか儚く消えちゃうように思う。俺は男にも女にもモテたいところがあって、今回のアルバムも原動力は性欲だし。それってすごいエネルギーだし、死なないってそういうことかなぁって、今話してて思いました。
小原:アルバムのテーマ、性欲?
小池:そう、性欲。性欲っていうと稚拙に聞こえるけど、生命力って言い換えてもいいかもしれない。
小原:さっきの文化レベルの低下っていう話もそうだけど、今はテレビでおっぱい出しちゃいけない、パンチラもNGだとか、どんどん“性”っていうものが隠されていって。でも性欲と文化って意外と密接なのかもね。
小池:表現する上で片乳が出てるとか、そういうのは全然いいのに。作ってる本人もそれが目的じゃないし、その裏にあるものを汲み取ってほしかったりしますもんね。そういう映画ってたくさんある。でもそれが伝わらず「片乳出てるからアウト」とか、もったいないなぁって思っちゃう。
一一ないものとしちゃうのは、不健康な感じがしますよね。
小池:ただ、もちろん隠さなきゃいけないところはありますよね。具体的なところ、あんまりおおっぴらにしちゃうとロマンチックじゃない。
小原:そう、ロマンチックであるべきだし、もっと性を開放すべきだし。
一一tetoが生命力の音楽なら、Tempalayはむしろ「死んだらどうなるのかな」って想像させるような音楽を作りますよね。
小原:確かに。内転筋あるかないか、みたいな違いはあると思う。tetoは内転筋すごそうじゃないですか。
小池:はははは!
小原:でも、死生観というか、そういうことを考えるのが面白いっていうのはあります。死に対する価値観も時代性を帯びてると思うんですよ。昔は冠婚葬祭って言うくらいで、死んだ人ともお祭りによってお別れするとか、人の生き死にを神に祀ったりとか。そういう宗教観にしても、ずっとわからないものに翻弄されてるわけですよね。人が頑張って生きるのは死にたくないからやけど、なんで死にたくないか、その理由は知らないっていう。だから一言で「死とは」って言えないし、死を扱ってるとも思ってないけど、そういうところを考えるのが面白いっていうのはありますね。なんで死が怖いのか、あとは表裏一体なものとして、死を感じることで生きる実感が芽生えるとか。そういうプロセスに興味があるんですよね。