鹿野淳が語る、相次ぐフェス中止によって“本当に失われているもの” 『VIVA LA ROCK 2021』開催までの過程も振り返る
コロナ禍で再認識される“音楽フェスの必要性”
ーーライブの話も伺いたいんですが、自分も現場にいて何が良かったかって、とにかくライブが良かったんですよね。アーティスト自身もコロナ禍であることを正面から受け止めて、ステージに立つ者として最大限できるパフォーマンスをしているのが伝わってきました。それをあれほど強く感じられたのは、「フェスだったから」だと思うんですよね。
鹿野:ありがとうございます。加えて1年半ぶりの大型フェスだったからっていうのが結果論的に大きかったと思います。1年間まるっきりライブをやっていなかったバンドの方が少ないけど、あえてライブをやっていなかったり、うまく行かないことの連続でもなんとか踏ん張って活動しているアーティストばかりじゃないですか。そういう方々が試行錯誤と葛藤をそのままビバラのライブに持ってきて、久しぶりにフェスでガツンと鳴らす感じっていうのが、お客さんの気持ちとも合わさって、まさに「ライブとは何か」という答えのようなライブばかりだったと思います。
でも同時に、それってやっぱり重いし、切ないなって思うんですよね。『VIVA LA ROCK』だって完全体で開催できなかったことは切ないし、アーティストもこの状況でしかパフォーマンスできないっていうのは切ないことなんですよね。このまま行くと、ライブハウスが活性化してきた何十年間かがなかったようにされてしまうんじゃないか......っていう不安を持ちながらも、「そんなことない。未来を作る礎が今、僕らの手の中にもある」と思って皆さんライブをやっているんだと思いますけど、その気持ち自体が切ないなと思います。
ーー鹿野さんの口からこんなにも「切ない」っていう言葉が出るのは珍しいですね。鹿野:あんまりそういうキャラじゃないですからね。でも、切なさの逆の笑いの話になりますけど、今年お笑いユニットの大宮セブンに出てもらったんですよ。「芸人さんがロックフェスのメインステージに出るんだ」って驚いた人がいたんですけど、かつてなく埼玉のお笑い芸人が注目を浴びていて、その人たちが面白いんだっていうことを、今までのフェスでの芸人さんの出演の仕方とは違うやり方で示したかったんです。とにかく埼玉推しのフェスで、『VIVA LA ROCK』は“埼玉のため”を徹底していて、そのために絶えず新しいものをインプットしているんですけど、大宮セブンをアーティストとして、ライブグループとして位置づけて、このロックフェスにピタッとハマったのはすごく良かったと思います。
そもそもロックフェスに出演するアーティストってとてもシリアスな方々ばかりなんですよ。打首獄門同好会やマキシマム ザ ホルモン、オメでたい頭でなにより、ヤバイTシャツ屋さんも、かなりシリアスな表現のバンドだと思うんですね。それがコロナ禍で露わになって、「自分たちもやられちゃってるけど、それ以上にもっとやられちゃってるみんなを何とかしたい」っていう、必死なコミュニケーションがビバラのフェスの中で生まれたんです。震災が起こった時、余力のあるバンドマンたちが東北を助けようとした動きとは違って、バンドマン自身も弱っているし悩んでいる中で、それでも切実なコミュニケーションがフェスティバルの中で起こったことにめちゃくちゃ感動したんですけど、それはとても重いものも含んでいたんですよね。その中に大宮セブンがいてくれたのは、本当に良かったなと思いましたね。
ーーコロナ禍になる以前から、2010年代にはフェスの過渡期が来ていて、フェスに対する一種のカウンターみたいなものも起きていましたよね。でも今はフェスをやること自体が一つのカウンターとして作用していて、ロックがロックたる所以をもう一度フェスの形で提示できている部分もあるのかなと思っています。
鹿野:おっしゃる通り、この3〜4年はフェスに対して向かい風が吹いていました。お客さんもアーティストも一緒にフェスシーンを作ってきたんだけど、ブームになればそれが矢面に立つ瞬間も必ず生まれますよね。その中で、「もうフェスは必要ないんじゃないか」って言う方が増えてきたのは確かです。それは全てのフェスを一括りにしている時点で、随分とステレオタイプな意見だと思いながらずっと聞いていました。なぜなら「フェス」っていう言葉で一括りにされるようなことを、どのフェスも基本的にはやってないと思うからです。もちろんビバラもそうです。で、そういうことってこのコロナ禍におけるフェスの在り方として、払拭された部分もあるんじゃないかと思います。つまり、フェスが当たり前ではなくなったことで、マーケティングやプロモーションを考えたときに、「フェスというのは効果があったんだ。大きかったんだな」って改めて感じた人がたくさんいたんだと思います。「逆境に立たされていたここ数年間のフェスは、本当に必要なものだったんだ」「今のロックシーン、ポップシーンの万博に出場し、そこで自分たちのファン以外に向けて一発かますのは、意味あることなんだな」っていうことが、コロナ禍で一つ証明されつつあるのかなと思います。夏以降に準備しているフェスが、そのエネルギーと効果を出し尽くせる形で開催されるのを心から願っています。
「他力本願ではなく、自分たちの力で進めていく覚悟」
ーー年内に準備されている様々なフェスに対して、鹿野さんが伝えられることがあるとしたら、どんなことでしょう?
鹿野:1つだけ言えることがあるとしたら、「特に言えることがない」というです。温かい言葉をかけてもらえるのは有難いし、勇気づけられますけど、とことん突き詰めていくと、誰に何を言われようと主催者が決めるしかないんですよ。我々も今回そうだったんですよね......1つ思うんですけど、ワクチン、オリンピック、緊急事態宣言と、様々なことで政府や各自治体が矢面に上がっていますよね。もちろん僕も「どうなっちゃってんだよ」と思うことが多い毎日です。だけど、例えば「なぜ日本の代表はドイツのメルケル首相のようにできないんだ」という声が少なくない中で、僕が思うのは「みんながメルケルになれるわけじゃない。彼女が政治家のアベレージではなく、あの方はきっと途轍もなくすごい」と思うんですよ。政府や自治体に文句を言うのは自由ですけど、それで何かが変わると思うのは、このご時世の中でちょっと他力本願すぎると思うんです。国や自治体に期待はし続けますけど、うまくいかない部分を、自分たちの力で進められることはないのか。できる範囲で、できることを覚悟を決めてしっかりやるのは、果たしてそんなにもいけないことなのかって思うし、その気持ちは今回のビバラの根幹にもありました。世の中のルールだけに左右されながら決めるのではなく、「自分たちでフェスを管理し、守り、開催しよう」っていう強い気持ちがありましたから、それは根本的には人に相談することではないとも思いました。
結局何かを決めるのは菅首相の会見によるものでもないし、「COCOA」のアプリや厚生労働省でもないし、それぞれ自分なんです。あとは、決めたことが人に迷惑をかけず、人を前に進ませる力として本当にふさわしいものなのかっていうことを、今まで以上に緊張感持って精査していくだけだと思います。これはフェスやエンターテインメントの話というより、コロナ禍における社会人一人ひとりの話だと思うんですけどね。もちろん医療従事者やお年寄りの方々のリスクを最小限に抑えることは社会人、そして何らかのコンテンツや事業を引っ張っている人が最優先にすべきだと思います。その上で、他にもそれぞれの場所で守るべき人々がいる。我々にとっては、音楽が生きる支えになっている人、そういう方々をここ何年か支えてきたライブやフェスを作ってきた音楽関係者を守ることは、実はとてもシリアスなことなんですよ。それこそ生死に関わる問題でもあると個人的には思っています。こういう気持ちは誰もが理解してくれるとは思わないですけど、ここでは申し上げたいと思います。
ーーいろんなことが繋がるようなお話をありがとうございました。最後に、“今年のビバラをやりきった”という意味での成功を、今後に役立てる仕組み作りというのは難しいんでしょうか。
鹿野:いやー、どうだろう......。でも役立っていると思います。少なくとも『JAPAN JAM』と『VIVA LA ROCK』がこの春にやったことは、開催されているフェスに何らかの形で繋がっていますからね。自分が行ってみても、「あぁ、観てくれていたんだな」って思うことがたくさんあって。例えば、「『VIVA LA ROCK』さんがやっていたことをうちもやろうと思うんだけど......」って聞かれても、「いや、そんなの許可取る話じゃないでしょ。我々も年末の『MERRY ROCK PARADE 2020』からいっぱい学びましたから、お互いやり合っていきましょうよ」っていうことで繋がっている気はします。あとは、音楽以外のスポーツイベントや街行事からもご連絡いただいて、「『VIVA LA ROCK』さんがやっていた感染対策は大変素晴らしかったと聞いているので、参考にしたいから教えてくれないか」っていう話をもらったんです。そうやって音楽フェス以外の方面にも繋がっていくことができたのは良かったなって思います。その意味では、大きなエンターテインメントの一つの役割として橋渡しできているのかもしれない、とは感じていますね。
VIVA LA ROCK 2021 公式サイト
VIVA LA ROCK オフィシャルTwitter(@vivarockjp)