10-FEETの音楽が胸を打つ理由 『バイプレイヤーズ』OPテーマから考察する“ロックバンドの本質”

10-FEET「バイプレイヤーズ」OPテーマ考察

 10-FEET。彼らはロックバンドである以前に、どうしようもなく不器用で、目の前の些細な出来事一つひとつに悩み抜かなければ前に進めない男たちである。と同時に、それらを丁寧な言葉、秀逸なメロディ、爆音の演奏へと落とし込み、うわべの優しさではなく「心からの本音」として、聴き手に深く突き刺さる音楽をかき鳴らしていく、これ以上ないほどロックバンドらしいロックバンドを体現する存在でもあるのだ。『京都大作戦』という巨大フェスを主催する雲の上のようなバンドでありながら、繊細さや臆病さをいつも心に飼い続けている。だからこそ、我々は10-FEETの音楽に耳を傾け、ロックバンドだけが奏でられる“爆音の奥にある本音”を全身で受け取りたくなるのだ。

 ライブやフェスの多くが延期・中止となり、誰かに向かって音楽を鳴らすという行為そのものがままならなくなった2020年。ライブを生業にしているロックバンドの話題はめっきり少なくなり、ネット発の新人アーティストが数多く台頭する1年となった。昨年の『京都大作戦』が中止に至った経緯や、2020年以降の10-FEETのこれからについては、リアルサウンドの取材でもTAKUMAが語ってくれた通りだが(参照:10-FEET TAKUMAが語る、コロナ以降の『京都大作戦』とライブハウス 「いいものに変わる日まで腐らず生きていく」)、彼らはそれからも音を止めることなく、昨年10月にシングル『シエラのように』をリリースし、ツアー開催も発表した。同作はオリコン週間チャート4位という自己最高位タイとなるヒットを記録。『京都大作戦』がなくなった年に新曲を聴けた喜びももちろんあるが、それ以上に、人と人との物理的距離が開いたことで意識化した“心の距離感”について歌っていたことや、それが10-FEETのこれまでの音楽としっかりリンクしていたことこそが、チャートの結果に結びついたと言えるだろう。人と人はどこまで行っても分かり合えない、だからこそ優しさの意味が沁みてくる......そんな前提に立っているのが10-FEETの楽曲である。

10-FEET - シエラのように

 そんな彼らの真骨頂は、3月10日リリースのニューシングル『アオ』でも存分に発揮されている。2月26日に先行配信リリースされた表題曲は、放送中のドラマ24『バイプレイヤーズ~名脇役の森の100日間~』(テレビ東京系)オープニングテーマとなっており、「バイプレイヤーズ」シリーズと10-FEETのタッグは「ヒトリセカイ」「Fin」に続いて3作目だ。脇役俳優たち(とはいえ端から端までベテラン名優だらけだが)にスポットを当てつつ、斜め上を行く設定で視聴者を驚かせる「バイプレイヤーズ」と、何者にもなれないからこそ多くのオーディエンスの心を掴み、日本で他になし得ないロックバンドの在り方を確立させた10-FEETというのは、実に相性抜群である。かつてTAKUMAは「言いたいことはずっと一緒なんだってこともわかってきて。(中略)その言い方の完成系を俺は探しているんだなっていうのはいつしかから感じていて」(引用:『MUSICA』2017年2月号)と語っていたが、「ヒトリセカイ」「Fin」「アオ」は、まさにその過程を見て取れるような3曲になっているのだ。

バイプレイヤーズ~名脇役の森の100日間~ 第1話

 まず、2017年2月にリリースされた「ヒトリセカイ」は、今振り返ってもこの時期のバンドのソングライティングの絶好調ぶりを象徴している曲だ。「火とリズム」という強力なミクスチャーナンバーを差し置いても、シングルの1曲目に置かれた「ヒトリセカイ」。その核となっているのはTAKUMAの歌である。それは言葉というものに対する疑いであり、裏を返せば「言葉があるからこそ理解し合えた気になっていないか?」という投げかけでもある。どこまで行っても人はひとりで生きていく。だからこそ、言語化された〈愛や優しさ〉に対してではなく、心の奥底で芽生える感情の交歓にこそ温度を与えるような歌になっている。そして、誰もがふいに感じる孤独に深く染み渡っていくメロディが、TAKUMAにとってロックがなんたるかをストレートに示しているのだ。シンプルさと普遍性によって多くのリスナーの涙腺を緩めた「ヒトリセカイ」は、『Fin』というアルバムにつながった最重要曲であり、10-FEETの新たな金字塔と呼べる楽曲となった。

10-FEET – ヒトリセカイ

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