荏開津広『東京/ブロンクス/HIPHOP』第13回:ストリートの成果から向き合うヒップホップの現実/リアル

RHYMESTER『リスペクト』
RHYMESTER『リスペクト』

…今や誰もが口にするB-BOYS この街のKING、愛してるチーム RSC   変えていくシーン 君のはいてるジーンズやプーマ、アディの理由は何? ファッションばかりじゃまだ甘い オンリーワン オリジナル マネじゃなく スニーカーに有り金はたく さらに開拓 未知の可能性 君を誘うぜ…(「B」の定義/RHYMESTER featuring CRAZY-A)

 1970年、ビートニク詩人兼ミュージシャン、もしくは彼自身に倣うなら“ブルージシャン”のギル・スコット・ヘロンが「自分は医者代が払えない、白ん坊は月に/10年後にもまだ支払っているだろう、白ん坊は月に/なぁ、昨晩家賃が上がった、なぜって白ん坊が月に(拙訳)〈I can't pay no doctor bill./(but Whitey's on the moon)/Ten years from now I'll be payin' still./(while Whitey's on the moon)〉」とアポロ計画について歌った。その「Whitey on the Moon」という曲がニューヨークやサンフランシスコのマリファナ紫煙の漂うビートニクカフェでお披露目された前年の1969年、アメリカ航空宇宙局(NASA)はニール・アームストロングとバズ・アルドリンを人類初の月面歩行に成功させたのだが、同時期、彼らとアメリカ国防総省、カリフォルニア大学ロサンジェルス校などが既に有名だったJ.C.R.リックライダーの論文を基に官民混成の巨大な軍事プロジェクトの一部としてネットワーク相互の情報シェアの研究を進めていた。

 一方、“TAKI183とペンパルたち“というグラフィティについての記事がニューヨークタイムスに掲載されるのは1970年、見渡すばかりの瓦礫のサウス・ブロンクスにあったプロジェクト(低所得者用巨大集合住宅)の娯楽室でDJ Kool Hercが妹のために慎ましいパーティを開いたのは1973年8月11日で、今ではヒップホップの誕生日として知られる。つけ加えるなら、後に映画『ロード・オブ・ドッグタウン』の基になった“ジェフ・ホー・サーフボード&ゼファー・プロダクション“のショップがサンタモニカで開店したのは1971年である。文字通り“ストリート“、つまり語義からしても“両側に建物の並ぶ道“、それら端的に閉ざされた空間の外部に身体を取り戻し持ち込むことで成立したスケートボーディングやヒップホップというストリートカルチャーは、現在インターネットとして知られるテクノロジーとカルチャーと並んで、公民権運動のある種の行き詰まりと同じ時の裡で宿された。

 1970年代末から80年代初めにそれぞれのカルチャーはニューヨークやワシントンで発達し成果をあげたが、ニューヨークの“ストリート”からの成果への反応についてのみ記すなら、1984年に刊行されたヒップホップに捧げられた2冊の書籍、つまり、後に長きに渡って雑誌『ハイ・タイムス』で編集を務めたスティーヴン・ヘイガーの『ヒップホップ』と左翼的なアーティストからジャーナリズムを手掛け始めたデヴィッド・トゥープ『ラップ・アタック』はグローバルに知られている。そういえば嬉しい驚きは、実はその先駆けになったヒップホップについての世界で最初の書籍は日本語で書かれ日本で出版された、カズ葛井が著し1983年の10月にJICC出版局(現・宝島社)からの『ワイルドスタイルで行こう』ではないかということだ。

 1990年代にはネットワーク相互の情報シェアから発展した“ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)”という考えに実際の形が与えられ、一方ストリート・カルチャーにはラップ、特にギャングスター・ラップの隆盛、またグラフィティのグローバルな離散が例えばヨーロッパの灰色の鉄道路線沿いや都市の景観を変えた様子を見ることができた。2000年代以降についてはここでは省くが、いずれにせよ、双方が宿された半世紀後の2020年代においてまで、インターネットはともかくとして、カルチャーとしてヒップホップを真剣に受けとっての討議はそれほど盛んになっていないというのは、ここ数年日本で出版されたヒップホップをめぐる対話を書籍化したタイトルを並べてみることで少し明らかになる――『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(1)、『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(2)。もしくは、“ポップカルチャーに何が起きたのか”と副題の付けられた『2010s』(3)の第2章“ラップ・ミュージックはどうして世界を制覇したのか”――こうしたいずれの対話も親しみやすい語り口調や適切な読み取りであるばかりでなく、例えば最後の『2010s』ではこのカルチャーの可能性を「すべてが政治化していった2010年代にあって」ラップが「コミュニティの音楽としてのヒップホップの役割」を果たすと同時に「ただラップというアートフォームはそうした地域や国や人種のアイデンティティを越えたところで今も世界中に拡大していて」との宇野維正氏の同章でのやりとりをいったん休止するに相応しい指摘もある。また、2020年代の日本で出版された“ラップ”についてのこうした幾つかの適切な言説は、デヴィッド・トゥープの画期的な『ラップ・アタック』(1984年)の延長線上にあることも間違いない。

 しかし、このささやかな連載読み物ではこうした優れてはいてもポップカルチャー、より正確にはヒットチャートのポップ音楽カルチャーの現況への眼差しからのみヒップホップについて記していくことに与しない。なぜなら、ヒップホップはストリートにて実践されたのであり、それはラップのみならず、DJたちと彼らのプレイするブレイクビーツ、視覚表現と都市空間への介入と行動としてのグラフィティ、そして身体に纏わる表現としてのブレイクダンスという総合芸術であった。これらすべては従来のブルジョワジーの空間に安住する芸術家たらんと指向したカルチャーの担い手の表現とは異なり、実際に生きられた、文字通り社会の制度の外側の遺棄された空間に追いやられた階級からのカルチャーであることを忘れずにいたい。

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