荏開津広『東京/ブロンクス/HIPHOP』第13回:ストリートの成果から向き合うヒップホップの現実/リアル

 さて、2003年、メディア学/英文学のウェンディ・フイ・キョン・チャン教授は彼女の“オリエンタリズムを正しく配置する”(4)という論文で、押井守の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』とウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を俎上に、自由と管理の欲望を通して性と人種の脆弱性がいかにサイバースペースに向けての物語(オリエンタリズム)と化すかを論じてみせた。この事情はもちろん2020年代も変わっていないので、性や人種にまつわるオリエンタリズムが陰謀論と互いに補強し合うかのように跋扈している。フランスの社会学者/哲学者、ジャン・ボードリヤールが遥か1970年に記した以来、繰り返し引用されたであろう言葉をまたここで引用する。

「現代的モノの主要なカテゴリーの一つとなっているのが、キッチュだ。ふつう、キッチュとは(中略)悪趣味で質の悪いまがいものの総称であって、これらのがらくたはいたるところに氾濫している(中略)、キッチュは談話における『きまり文句』と同じ働きをもち、ガジェットと同様、定義しにくい範疇なのだが、実体を伴って存在するモノと混同してはならない。あるモノの細部にも集合住宅の計画のなかにも、造花にもフォト・ストーリーのなかにも、いたるところにキッチュは存在可能だ」(『消費社会の神話と構造』)(5)

 インターネットとそのカルチャーは、キッチュ(きまり文句)なイメージを斥けることができるのだろうか。もしインターネットがそうしたイメージを斥けえない成り立ちなら、イメージの批判も不可能であり、つまるところ全きは空間でキッチュに拡がるだけだろう。勿論、今ではヒップホップも分解されたキッチュなイメージとしてせり売られている。言うまでもなく、私たち皆がイメージとして流通しすり減っていくことから逃れられないように思える。

 インターネットは巨大な軍事プロジェクトとして企図され発達した。勿論、1960年代半ば以降、後期公民権運動―ポスト公民権運動の時期にインターネットと並行してストリートのカルチャーのみが生まれたわけでもないだろう。しかし、ここでは、同じ時代、軍事プロジェクトの遥か足下の街路から緩やかに浮かび上がり、現代と異なりポップのメインストリームどころか当初見向きもされず“きまり文句”以下でイメージにすらなり得なかった、音響―言語―視覚―身体のアート実践が少なくともどのような動勢であったのか/あるのかを、日本におけるヒップホップの成り立ちと重ね合わせ探っていきたい。

 それは、例えばある理想的なスタイルが現在あるプロパガンダのスタイルに取り替わり、来るべき時代の他を閉め出し許さない帰結になっていくからではない。むしろ、誰もがイメージが乱反射する鏡の部屋に迷い込むことはあるとしても、それが絶対的な黙示録、世界の終わりの始まりなどではさらさらなく、ウータン・クランのRZAが42丁目の映画館の暗闇で啓示を受けたように、ブルース・リーの素早い足蹴の一撃で鏡全体が崩れ落ちる――ヒップホップはまさにそのような動勢としてあった/あるのではないかと思い出すことが出来たらいい。この一撃は、イメージではなくまた象徴でも比喩でもどんな文学表現でもないので、ヒップホップにおいては、まずなによりもB-ボーイズ、B-ガールズ、彼らのアップロッキングからパワームーブまでにおいて現実/リアルだ。

 そして、B-ボーイング、もしくはブレイキングはストリートで起こるため、その範囲を日本全国としてもとても自分が追えるわけがない。またナルシズムをもって時代を制覇するように見える持て囃される個人をスポットし、最高だとか最低だとか評価を与えることだけ即ちストリート/カルチャーを捉えようとすることとも異なるように思える。しかし、ここでは、とりあえず、東京は東側、荒川、江戸川、墨田と呼ばれるような、バブル経済に湧く1980年代の東京のポップ/音楽カルチャーとは縁のなさそうな地域からの少年たち、つまり、自分たちを後にミスティック・ムーヴァーズと呼ぶ、Cake K、サブロー、ハルキャロウェイの3人に登場してもらうところから進めていく。

***
(1)宇多丸、高橋芳明、DJ YANATAKE、渡辺志保著、NHK出版、2018年。
(2)大和田俊之、磯部涼、吉田雅史著、毎日新聞出版、2017年。
(3)田中宗一郎、宇野維正著、新潮社、2020年。
(4)‘‘Orienting Orientalism, or How to Map Cyberspace,’’ Asian American.net, eds. Rachel Lee and Sau-ling Wong (New York: Routledge 2003). 
(5) J・ボードリヤール著、今村仁司他訳、紀伊國屋書店、1995年。

■荏開津広
執筆/DJ/京都精華大学、立教大学非常勤講師。ポンピドゥー・センター発の映像祭オールピスト京都プログラム・ディレクター。90年代初頭より東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、ZOO、MIX、YELLOW、INKSTICKなどでレジデントDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域において国内外で活動。共訳書に『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)。

『東京/ブロンクス/HIPHOP』連載

第1回:ロックの終わりとラップの始まり
第2回:Bボーイとポスト・パンクの接点
第3回:YMOとアフリカ・バンバータの共振
第4回:NYと東京、ストリートカルチャーの共通点
第5回:“踊り場”がダンス・ミュージックに与えた影響
第6回:はっぴいえんど、闘争から辿るヒップホップ史
第7回:M・マクラーレンを魅了した、“スペクタクル社会”という概念
第8回:カルチャーの“空間”からヒップホップの”現場”へ
第9回:ラップ以前にあったポエトリーリーディングの歴史
第10回:ディスコが音楽を変容させた時代
第11回:ディスコで交錯したソウルとロックンロール
第12回:ポップ音楽の主体の転倒とディスコの脱中心化

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