デヴィッド・ボウイ、99年パリの未発表ライブ音源で歌う“ブルーな情感” 『アワーズ…』制作時の葛藤と確執から紐解く

 デヴィッド・ボウイの新たな未発表ライブアルバム『サムシング・イン・ジ・エアー(ライヴ・パリ99)』が、8月14日にデジタル配信リリースされました。これは1999年の20枚目のアルバム『アワーズ…』発表後のツアーにおける10月14日、パリのエリゼ・モンマルトル劇場にて行われた公演の録音となります。

 このアルバムについてTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉は、盤ライナーでのコメントで「スゴイ、スゴ過ぎる。超最高だ。泣いた。こんなことがあっていいのか?」と述べています。にもかかわらず、『アワーズ…』は全米ビルボートチャートで1972年の5枚目『ジギー・スターダスト』以来、初めて40位内を逃し、47位という最低の成績を示しています。その結果を受けるようにこのツアーはたった8回公演というボウイ史上最も少ない回数になっていて、その前の『アースリング・ツアー』が83回ですから、いかに縮小されたかわかるでしょう。さらに内容を聴きますと、本年5月15日にリリースされた『アースリング・ツアー』のライブ音源『LIVEANDWELL.COM』と比較しても、あるいは歴代のライブ音源と比較しても、最も穏やか、というかダウナーな内容になっています。いったいボウイの『アワーズ…』期に何があったのでしょう?

David Bowie – Drive-In Saturday (Live at the Elysée Montmartre, Paris on 14th October, 1999)

 以前、他のコラム(参照:デヴィッド・ボウイは類まれなるソングライターだ 新たなアレンジで魅せる『チェンジズナウボウイ』を紐解く)で申し上げましたように、「ボウイに駄作なし」と僕は考えます。このライブも、聴き方のアングルを正しく掴めば必ず貴方の心を魅了するはず。そのためのガイドをさせていただきたいと思います。

 吉井和哉の文章の中にもそのヒントは隠れています。「こんなあったかいボウイは『ハンキー・ドリー』と『スペース・オディティ』以来初めて聴いた」とあります。そう『アワーズ…』のメロウなボウイは、確かにその通りの魅力を秘め、ナイーブさにおいては、屈指の素晴らしさを持っています。

 僕にとっては、思い当たるアルバムは1979年の『ロジャー』と1984年の『トゥナイト』。それらは前者が壮絶なベルリン、ヨーロッパ期の最後に作られたアルバム、後者が頂点のブレイク『レッツ・ダンス』(1983年)の直後に作られたアルバム。両方とも、ピークを迎えた後の心のナギを捉えた盤といえましょう。他のアルバムにはない、穏やかで伸び伸びと柔らかいボウイの情緒を満喫できる盤として両盤ともコアなファンの人気が高いです。

 『アワーズ…』は90年代のボウイのグランジ~クラブサウンドへの追及が『アースリング』(1997年)で最高潮を迎えた後の作品ですので、似たような状況にあるといえる。それにしても、このツアー回数は少なすぎやしないか?

 その理由は、このツアーメンバーから読み取ることができるかもしれません。

 ベースは、90年代、そしてこの後の2000年代も、晩年のボウイに添い遂げるように弾く黒人女性、ゲイル・アン・ドーシー。ギターとデジタル系のスーパーバイズも行っていると思われるプロデューサー格のマーク・プラティ。ドラムはスターリング・キャンベル。そしてキーボードは70年代The Spiders From Marsからの盟友となる名将マイク・ガーソン。バッキングボーカルにフレッシュなエム・グライナーとホリー・パーマー。

 90年代のボウイ・ライブならこのメンバーの筆頭として、1989年からTin Machineのギタリストとしてピッタリと寄り添うギタリスト兼シンセ&ボーカル担当、リーヴス・ガブレルスがいるはず。しかし見当たらず、ペイジ・ハミルトンという、Helmetというグランジ系バンドの元気の良いギタリストが参加しているのです。

Tin Machine – Interview with David Bowie, Reeves Gabrels, Tony Fox Sales and Hunt Sales (1989)

 しかし『アワーズ…』は全ての曲がリーヴス・ガブレルスとの共作名義なのです。ボウイがここまで名義を共作にした作品は他になく、ベルリン三部作(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)でブライアン・イーノとそこそこの作品を共作、あるいは『アウトサイド』(1995年)で参加メンバーを多くクレジットしているのみ。

 『アワーズ…』は『The Nomad Soul』というゲームソフト用の楽曲と同時(一説によれば、ゲーム制作が先で曲がたくさんできてしまったため)に作られた作品。88年から10年余りに渡る付き合いでバッチリ気のあったリーヴスと、水入らずで作られた作品です。

 そんなリーヴスがなぜ? 当時は特にアナウンスもありませんでした。しかし今になって事情を調べましたら、明かされていました。『アワーズ…』制作中に二人は、意見が食い違い、制作終了でパートナーシップを解消、ツアーに参加しなかったというのです。いったい何があったというのでしょう?

 いくつかポイントはあったようですが、筆頭に描かれていたのは、「サーズデイズ・チャイルド」という曲の制作中の出来事。ボウイは当時大ブレイク中の黒人女性グループ、TLCをコーラスに入れようと提案したそうです。それに対しリーヴス・ガブレルスは「最低な気持ちになったよ。我々はせっかく求めたファンを獲得したというのに、TLCなんかが入ったらファン達は『ファック・ユー』というだろう」といったというのです。

TLC – No Scrubs

 真のボウイ・ファンなら、このリーヴスの発言には驚くに違いありません。TLCはちょうど1999年2月に3作目『ファンメイル』という大ヒット作を発表したばかりの女性ヒップホップの最高峰。前作からの3rdシングル「ウォーターフォールズ」では歌詞の内容と、SFX使用のクリップで話題を呼び、全米チャート7週連続1位という大ヒットを記録、日本でも多くの洋楽ファンを魅了していました。

 またボウイが1992年に結婚した妻・イマンは黒人ですし、ベースのゲイルも同様。そもそも楽曲「ヤング・アメリカン」「フェイム」「レッツ・ダンス」をはじめ、黒人奏者を歴代に多数起用してきたボウイ・サウンドは、黒人音楽が骨格、命といってもいいでしょう。繊細な音楽性を誇るTLCは90年代の黒人音楽の頂点、ちょうど60年代後半のDiana Ross & The Supremesと同様の存在だったといえましょう。

David Bowie – Young Americans (Live, 1983)
David Bowie – Fame 90 (Official Video)
David Bowie – Let’s Dance (Official Video)

 リーヴスとボウイのTin Machineは、1988年に結成され、90年代にNirvanaで始まる米グランジシーンを予言した音楽性でした。Red Hot Chili Peppers、Limp BizkitやRage Against the Machineといったバンドは、黒人ヒップホップを意識したサウンドを持っていましたので、米白人は引き続き、黒人音楽と仲良くやっていると思っていました。しかし、リーヴスの発言は、90年代には時にはミーハーになりすぎていたかもしれない黒人ヒップホップスターに対する米白人若者の感慨を示すかもしれません。ウンザリだよと。

 それにしても、です。黒人音楽の素晴らしさを自分の核に据えてきたボウイに対してはあまりにも厳しすぎる発言ではないでしょうか? 何といってもTLC参加という案、ナイス過ぎるでしょう。アルバム『アワーズ…』も大ヒットに至ったかもしれません。このことを今さら聞いたら、大多数の歴代ファンがリーヴスに「ファック・ユーはお前の方だ!」ということも間違いありません。

Tin Machine – Nine Track Compilation (Official Video)

 実はさらにその後、ボウイとTLCとの交流は続いていたのです。メンバーのリサ・レフトアイ・ロペスは2002年4月に死亡する前に、ボウイとコラボレーションしていたことを明かしました。ボウイは彼女のソロ作品のために曲を作っており、今後のTLCのアルバム収録の可能性もありました。2人はお互いの作品を尊敬し合うようにさえなっていったのです。

 そんな運命的な出会いの可能性をつぶしながら、リーヴスとの録音は終了しました。録音後、1999年8月23日に行われたVH1ネットワークにおける番組『Storytellers』(『MTV Unplugged』と同様の企画の人気番組)におけるライブの4日後、リーヴスは突然バンドを去り、ボウイはツアーのための代替ギタリストを探しに奔走しなければならなくなりました。このライブは『VH1 Storytellers』として2009年7月にリリースされています。

 長年の付き合いであるボウイ、リーヴス両陣営はこの決裂情報を穏便に隠し続けたようです。ボウイは、友達想いです。たとえば彼が「ヒーローズ」の詞を考え付いたのは、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが、バックシンガーだったアントニア・マースと共にスタジオを抜け出し、近所のベルリンの壁の傍で、誰も見ていないと思ってキスをしていたのをボウイが見た時です。しかし当時のヴィスコンティは奥さんがあのメリー・ホプキン(ポール・マッカートニーがプロデュースした女性)で、メリーに知られるとトニーが窮地に陥るということで、2000年代になるまでそのことを黙っていました。

David Bowie – Heroes (Official Video)

 通常ならパブリシティのためにゴシップネタとして話題提供される決裂ネタがボウイにはほとんどありません。彼は優しく品が良いのです。リーヴスもその後はThe Cureに加入し、収まるべきところに収まっています。

 リーヴスの代わりに急いで参加したペイジ・ハミルトンはファンならば満足のいく人選といえましょう。繊細でいながらも思いっきりハードネスで刺すところは刺すソロワーク。そう故ミック・ロンソンを彷彿とさせるギターです。

 90年代の豊穣な財産を受け継ぎつつ、リーヴスとの別れも含み、ちょっとセンチメンタルになっているこのライブにおけるボウイの与える情感は、ファンにはたまらない贈り物になると思われます。

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