香取慎吾は“テレビの申し子”から次のフィールドへ 2年半の活動で覗かせたエンターテイナーとしての新たな顔
そうしたなか、私たちはまだ香取慎吾という存在の一面しか知らなかったのかもしれない、という気持ちにさせられたのが、映画『凪待ち』(2019年公開)である。
ここで香取慎吾が演じる木野本郁男は、世間的に見れば「どうしようもない人間」である。ギャンブルにハマってしまい抜け出せない。一からやり直そうと同棲中の女性とその娘とともに女性の実家に引っ越したものの、ふとしたきっかけでまたギャンブルにのめり込んでしまう。そしてさらに、ささいな行き違いから彼女を失ってしまう……。
もちろん『沙粧妙子-最後の事件-』(フジテレビ系、1995年放送)での犯人役など、暗い影のある役柄をこれまで香取慎吾が演じてこなかったわけではない。だが『凪待ち』での彼から伝わってくるのは、もっとやりきれない苦しみや痛みを伴った暗さ、だがそれを乗り越えることでしか本当の救いはやってこないような暗さだ。
物語の舞台が宮城県の石巻であることも、重要だ。女性の父親は漁師で、妻を東日本大震災の津波で失った。そのことでいまも自分を責めている。最初は郁男を受け付けない。だがその男性によって、郁男は石巻の地で再生へのきっかけをつかむ。
いうまでもなく、SMAPもまた、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)や『NHKのど自慢』(NHK総合)などを通じて東日本大震災の被災地とかかわってきた。簡単に比べるわけにはいかないが、『凪待ち』の香取慎吾は、それとはまた異なる被災地とのかかわり方を見せてくれている。そこに表現されているのは、作品というフィクションの世界だからこそ入っていけるようなこころの奥深いひだの部分だ。
そもそもただ明るいだけでもただ暗いだけでもなく、両方がないまぜになっているのが人間であり、人生だろう。そして本来のエンターテインメントもまた、そんな人間、そして人生の複雑さに根差したものであるはずだ。
今回のソロアルバム『20200101』は、基本的には明るさを前面に出したものだ。だがそのなかにふと顔をのぞかせるこころの叫びや葛藤が、このアルバムをより味わい深いものにしている。
たとえば、アルバムの最後を飾るBiSHとのコラボによるパンキッシュな楽曲「FUTURE WORLD」などは、そうだろう。〈殴られたら殴り返せばいい〉どんな痛みも全部感じながら/どんな未来が描けるかな?〉とハイトーンで突っ走りながら、最後〈そうさ今から楽になるから〉という言葉に行き着くこの詞の世界は、『凪待ち』の郁男の姿にも通じるものがあると思える。
「テレビの申し子」からネットという新たなフィールドに足を踏み入れ、さらに演技や音楽において新たな表現者としての顔を見せ始めた香取慎吾。これからエンターテイナーとしてどこに向かうのか。『SONGS』での彼のパフォーマンス、そして語る言葉をしっかり胸に刻みたい。
■太田省一
1960年生まれ。社会学者。テレビとその周辺(アイドル、お笑いなど)に関することが現在の主な執筆テーマ。著書に『SMAPと平成ニッポン 不安の時代のエンターテインメント』(光文社新書)、『ジャニーズの正体 エンターテインメントの戦後史』(双葉社)、『木村拓哉という生き方』(青弓社)、『中居正広という生き方』(青弓社)、『社会は笑う・増補版』(青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論』(以上、筑摩書房)。WEBRONZAにて「ネット動画の風景」を連載中。