「リズムから考えるJ-POP史」第9回

リズムから考えるJ-POP史 第9回:宇多田ヒカル『初恋』に見る「J」以後の「POP」

「誓い」のリズム構造

 第一に取り上げたいのは、「誓い」である。スクウェア・エニックスの人気ゲーム『キングダムハーツⅢ』の主題歌であり、後のSkrillexとのコラボレーション楽曲「Face My Fears」にもつながる一曲だ。

 リズムの面で見ると、この曲は複雑で繊細なポリリズムとして解釈できる。ピアノの左手が奏でるベースラインを基準にすれば8分の6としても、右手が奏でるコードを基準にすれば4分の4としても聴くことができるためだ。ボーカルは、このどちらのリズムともとれるポイントを、たゆたうように紡がれる。さらに、4分の4で解釈した場合の偶数拍がやや後ろに揺らいでいる。こうしたトリックが重なっているために、リズムのどこに焦点をあてるかで聴こえ方が変化する(図版1)。

 また、2番めのサビのあとに現れる〈たまに堪えられなくなる涙に…選択肢なんてもうとっくにない〉のパートでは、ワルツ的なリズムの上にストレートな16ビートをかぶせる変則的な譜割りが見られる(図版2)。SCARS「I STEP 2 STEP」のフックでBESが披露したフロウを彷彿とさせるが、より精度が高い。

「Too Proud」

 続いて、イギリスのラッパー・ジェヴォンをフィーチャーした「Too Proud」を取り上げる。この楽曲で宇多田は、「トラップ以降」なパーカッシブな譜割りを取り入れている(譜例1)。末尾を欠いた三連符と8分音符を、端正なリズムの歌い分けで往復するヴァースが印象的だ。

 しかし、譜割りとは対照的に、ビートはトラップというよりもフットワーク的。ベルで鳴らされる「3:3:2」のパターンがまさにそうだ。さらに、トラップで特徴的なハイハット、とりわけ32分や64分音符で鳴らされるロールがこの曲にはほとんどない。キックも音価が短く、トラップ的ではない。

 ビートだけではない。メロディやコードといった上モノについても、持続する音がかなり少なく、あらゆる楽器がリズムを刻んでいるかのようだ。ハープのような音色で奏でられるメインのリフでも、ボーカルと同様、n分音符と連符がかわるがわる現れる。「リズムにピッチついてるみたいな感じ」という宇多田のメロディセンスが隅々まで発揮されていると言えよう。

クリス・デイヴの貢献

 『初恋』においてこうしたリズムにまつわる意欲的な試みが展開されたのは、演奏で参加したミュージシャン、とりわけクリス・デイヴの貢献が大きい。

 クリス・デイヴは現代のジャズにおいて最も重要なドラマーのひとりとされ、ジャズピアニストのロバート・グラスパーとの共演で知られるほか、自身のリーダー作も評価が高い。アデルやエド・シーランといったポップアクトから、2000年代以降のR&Bやネオソウルのグルーヴ感を規定したと言ってよい大御所、ディアンジェロのバックも務める。

 こうした最前線の才能のサポートもあり、クセのある宇多田のリズム感覚がスマートにバンドの演奏へ落とし込まれたのが『初恋』である。それは単に生バンドのえもいわれぬグルーヴ感や質感を楽曲にもたらしたのみならず、宇多田のリズム感覚をより先鋭化させることにもつながったはずだ。

 『初恋』はオリコンの発表する2018年の年間アルバムチャートの5位に食い込むヒットとなった。その要因としては、楽曲の魅力も、高い評価を維持してきた歌詞世界の魅力も、あるいは「国民的ミュージシャン」としての宇多田が培ってきた人気の力も大きいことだろう。しかし、いずれにせよ、極めて高度なリズムの妙技が織り込まれたこの一作が、ヒットチャートの中心にあることには変わりない。

 『初恋』は「Automatic」と同じようにJ-POPを塗り替える作品である。

■imdkm
ブロガー。1989年生まれ。山形の片隅で音楽について調べたり考えたりするのを趣味とする。
ブログ「ただの風邪。」

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