「リズムから考えるJ-POP史」連載第6回

リズムから考えるJ-POP史 第6回:Base Ball Bearから検証する、ロックにおける4つ打ちの原点

SUPERCARやNUMBER GIRL、XTCがBBBに与えた影響

 それでは、BBBによる4つ打ちはどのような背景から生まれたのか。さまざまな影響が考えられる中で特筆できるのは、XTCなどニューウェイブのロックバンドからの影響と、SUPERCARやNUMBER GIRLといった一世代前のバンドだ。どちらも小出をはじめとしたBBBのメンバーが影響を強く公言している。

 示唆的なのは、2006年のミニアルバム『GIRL FRIEND』に収録されている「BLACK SEA」だ。BPMこそさほど速くないものの4つ打ちのビートで構成されているこの曲、タイトルは明らかにXTCの4枚目のアルバム『Black Sea』からの引用だ。『Black Sea』に収録された「Living Through Another Cuba」はXTCの楽曲のなかでもとりわけダンサブルな4つ打ちのビートが特徴。このように、メンバーのアンディ・パートリッジの意向でライブ活動をやめる以前のXTCには、フィジカルなビートと荒々しい演奏で4つ打ちを奏でるレパートリーもあり、BBBの4つ打ちの原点のひとつと考えられる。

 一方、BBBのバンドヒストリーを紐解けば、SUPERCARとNUMBER GIRLからの影響が絶大だったことは伺える。TBSラジオのかつての人気番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』で小出は「自分のアルバムが出るのになんですが、改めてナンバーガールについて語ろう特集」のプレゼンターを務めた。自らの半生とNUMBER GIRLの歴史を並行して語る迷企画ながら、いかにNUMBER GIRLというバンドの存在が大きかったかが伺えるものだ。また、このなかでも言及されているように、BBBの元になったバンドはSUPERCARのコピーバンドだった。

 SUPERCARは前述の通り2000年代の幕開けにダンスミュージックへの接近を見せたロックバンドの代表格。対してNUMBER GIRLにはいわゆる4つ打ちの印象が薄いかもしれない。しかし、メジャー2作目の『SAPPUKEI』(2000年)以降、The Pop GroupなどのUKのポストパンク~ニューウェイブを引き継いだサウンドへと傾倒した結果、4つ打ちを要所にフィーチャーした楽曲をいくらか残している。『SAPPUKEI』収録の「SASU-YOU」、『NUM-HEAVYMETALLIC』(2002年)収録の「NUM-AMI-DABUTZ」がその例だ。この2バンドから4つ打ちへのインスピレーションを得た可能性は高い。

NUMBER GIRL - NUM-AMI-DABUTZ

2000年代、4つ打ちが可能性だった時代

 ここまで、BBBを主軸として2000年代の4つ打ち事情を追ってきたが、ひとつ大きな指摘をしておきたい。もし「BPMの速さ」という要件を外せば、2000年代は4つ打ち百花繚乱とも言うべき時代だったのだ、ということだ。

 たとえば、フルカワユタカが率いるDOPING PANDAはダンスミュージックからの影響を公言し、ロックとダンスの融合を模索した重要なバンドだ。加えて、前述のSPARTA LOCALS、フジファブリック、サカナクション、avengers in sci-fi、やや世代を下って8otto、the telephonesなど、多くのバンドが自分たちなりの4つ打ちに挑戦していた。また、エクストリームなリズムの展開を見せる作風で知られる凛として時雨も要所要所に4つ打ちを用いているし、同じく9mm Parabellum BulletのメジャーデビューEPの表題曲「Discommunication」は4つ打ちだ。

9mm Parabellum Bullet - Discommunication

 この状況を考えると、「あれ最初にやり始めたのは俺たちじゃね?」という小出の発言は、あくまできわめて狭い意味での4つ打ちに限定されると捉えるべきだろう。とはいえその特殊な4つ打ちが2010年代の日本のロックを特徴づけるものになったのだから、重要性が減じるわけではない。

 また、2000年代はロックバンドの側からだけではなく、ダンスミュージックのDJやプロデューサーの側から見ても4つ打ちのロックが魅力的に映った時代だった。80年代のニューウェイブを現代的なダンスミュージックの装いでリバイバルさせた2000年代初頭のエレクトロクラッシュや、同じく2000年代後半に流行したディスコやニューウェイブのアグレッシブな進化版と言えるフレンチエレクトロの流行によって、ロックなダンスサウンドが急増したのだ。

 2000年代、ダンスミュージックとバンドサウンドが双方から歩み寄っていった交錯点として4つ打ちはあった。トレンドの呼び名やプレイヤーは入れ替わりつつも、この点は一貫している。

パンクという母体

 興味深いことに、日本でこうしたロックとダンスの融合の母体となったのは、メロコアを中心としたパンクシーンだった。そもそも2000年代初頭、バンドを始めようという若者にとって、Hi-STANDARDを代表とするメロコアブームから、続いての青春パンクブームの影響は大きかった。バンドの絶対数が多い中、各自が独自の音楽を追求した結果、ユニークな取り組みも生まれやすかったのだろう。

 先ほど名前を挙げたDOPING PANDAは、まさにこの系譜を体現するバンドだった。彼らはもともとHi-STANDARDを中心とするDIYなフェスシーン、『AIR JAM』の影響下にいた。『Dream is not over』(2000年)や『Performation』(2001年)といった初期のEPやアルバムは、英語詞でメロディアスなパンクロックを展開する、まさにAIR JAM世代の作品だ。しかし、徐々にシーンに息苦しさを覚えはじめたころ、新たな可能性としてハウスやテクノといったダンスミュージックを知り大胆に音楽性を転換した。ギターボーカルのフルカワユタカは2005年のインタビューで次のように語っている。

古川:8ビートでパンクをやるってことに見切りをつけてたんだと思う。実際に〈エアージャム〉の00年の最後のライヴも観に行ってないし。いっぽうで、ちょうどダフト・パンクとかタヒチ80とかがガツンと流行った時期でもあって。で、ハードロックからパンクにすぐに鞍替えできたんだから、今度も素直にやりたいことやっていこうかなと。でもライヴ・ハウスでロックをやることはいまでも好きだし、まあ表現方法が変わったってきたって[原文ママ]ことだけなのかもしれないけれど。
(『remix』2005年6月号、p.165)

 こうしたメロコアからダンスロックに至る系譜は、いま4つ打ちを巡って交わされる議論からはややオミットされる傾向がある。『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』などの大型夏フェスに文脈を限定した「フェスロック」というくくりが、とりわけその傾向を加速させているかもしれない。しかし、ここまで振り返ってきたように、4つ打ちや「フェスロック」というものは、このサウンド、このリズムが本来備えていたポテンシャルのごく一端に過ぎない。柴那典は2010年代以降の4つ打ちを「邦楽主体のリスナーが増えたシーンの『ガラパゴス化』とリンクした現象」とまとめるが、その実は「ロックバンドの他ジャンルに対するガラパゴス化」ではないだろうか。日本という地理的な条件のみならず、ロックというジャンルや、その周辺の語りによって、2000年代に生まれた異ジャンル混交の機運がスポイルされてしまった。そのように思える。

■imdkm
ブロガー。1989年生まれ。山形の片隅で音楽について調べたり考えたりするのを趣味とする。
ブログ「ただの風邪。」

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