柴那典「フェス文化論」第9回
フェスシーンの一大潮流「四つ打ちダンスロック」はどこから来て、どこに行くのか?
「洋楽との同時代性」が途切れた2010年代
さらに、このような「ディスコ・ビートの再定義」を最も極端、かつ意図的に行ったバンドが、2009年にメジャーデビューを果たしたthe telephonesだった。インディーズ時代の「Love&DISCO」(08年)以降、「DISCO」という言葉をタイトルに冠した数々の楽曲を発表してきた彼ら。ライブ中の掛け声でも全員で「ディスコ!」と叫ぶのが定番になっている。しかし彼らの曲調は70’sのオリジナル・ディスコとはほど遠い。
「Love&DISCO」のBPMは160ほど。ギターロック化・高速化し、もはや70’sのディスコ・ミュージックとは全く別モノとなった四つ打ち邦楽ダンスロックを、あえて「ディスコ」と呼んだのが彼らだった。
なぜ彼らにそんな発想が生まれたのか? 結成当時のthe telephonesが意識していたのは、同時代のロンドンやニューヨークでブームとなっていた、THE RAPTUREなどディスコ・パンクやニュー・レイヴのバンドたち。ディスコではないものを「ディスコ」と名付けたthe telephonesの力技は、そういったムーブメントからの刺激もあったはずだ。
ただし、活動を始めた当初はアメリカやイギリスとの同時代性を強調していたthe telephonesだが、ニューレイヴやディスコ・パンクのムーブメントが廃れた00年代末のメジャーデビュー以降は、むしろ日本独自の〈踊るロック〉カルチャーとして、この「ディスコ・ビートの再定義」を打ち出していくことになる。こうして彼らは、今の四つ打ち全盛のバンドシーンに至る最も大きく直接的な影響元となっていった。
(ちなみに、the telephonesと同時期にデビューし同様に〈踊るロック〉の旗手と括られることの多いサカナクションだが、実はデビュー以来この手のディスコ・ビートを用いた曲は数少ない。ミニマル・テクノとフォークにルーツを持つ彼らの音楽的な方向性は、ここまで取り上げてきたダンスロックの潮流とは似て非なるものだと言っていいだろう)
そして10年代に入ると、00年代以降に思春期を過ごした世代のバンドたちがデビューを果たすようになってくる。邦楽ロックシーンの充実を原体験として育ち、そもそも「海外のムーブメントを翻案する」という発想を持たずにバンドをスタートさせている世代だ。KANA-BOONやキュウソネコカミは、まさにそういう存在。つまり、現在の四つ打ちダンスロックのムーブメントは、邦楽主体のリスナーが増えたシーンの「ガラパゴス化」とリンクした現象とも言える。