「リズムから考えるJ-POP史」連載第3回

リズムから考えるJ-POP史 第3回:90年代末の“ディーヴァ”ブームと和製R&Bの挑戦

32分音符と“グルーヴ”の重層性

 和製R&Bの多くは、バックビートをスネアドラムで強調した16ビートのリズムを反復するヒップホップマナーを踏襲していたが、一方で90年代後半のアメリカでは、ヒップホップとR&Bをまたいで活躍するプロデューサー、ティンバランドがまったく別のアプローチを流行させようとしていた。彼が展開したのは、BPMを60前後と極端に落とした上でリズムの解像度を上げる――32分音符までをアレンジの範疇に入れる、ということだった。このスタイルは90年代半ばにThree 6 Mafiaなどによってサザン・ヒップホップ(いわゆる「サウス」)の特色として認知されたが、ティンバランドはこうしたスタイルをヒップホップとR&Bの境界線上に持ち込んだ。

図1

 このスタイルによってどういう効果が生まれるか。BPM60における32分音符は、BPM120における16分音符と等価だ。(図1)BPM60の1小節は、BPM120の2小節としても解釈できる。ポリリズムというほどおおげさなものではないにしろ、32分音符は“グルーヴ”を多重化するのだ。それはあたかも小室哲哉が傾倒したジャングルが、スローなレゲエに倍速のリズムを合わせてみせたのと並行するかのようでもある。

 2000年代に入るとティンバランドは時代の寵児と言うべき勢いでヒットを重ねていく。そのビートはオリエンタルなパーカッションの導入もあいまってより奇抜に変化したが、スタイルの根幹は一貫している。2000年ごろには和製R&Bの流れにも32分音符が入りこんでくる。

 ここで興味深いのは、いわゆる“ディーヴァ”系シンガーの作品(1999年11月25日のMISIA「忘れない日々」など)のみならず、SMAP「らいおんハート」(2000年8月30日)やDA PUMP「if…」(2000年9月27日)といった男性アイドル、ないしパフォーマンスグループのヒットソングに32分音符が入り込んでくることだ。単にリズムパターンのなかに味付けとして挿入されているのではなく、「if…」にせよ「らいおんハート」にせよ、“グルーヴ”が重層化されるように効果的に用いられている。前者の例はとりわけハイハット、キック、スネアといった各リズムパート同士の絡み合いがきわめて複雑で、歌唱力とダンスの双方に力を入れていたグループならではのめまぐるしい“グルーヴ”が感じられる。

 さらに、結婚や出産に伴う活動休止もあり“ディーヴァ”ブームとは距離のあった安室奈美恵の動向にも目を向けたい。2001年を境に小室哲哉のプロデュースを離れた安室は、ZEEBRAやVERBALと共に2003年に活動したSUITE CHIC以降、ヒップホップ色を強めていった。そこではもちろん、ティンバランド以降と言えるややフリーキーで重層的なビートが多用された。安室のボーカルは“ディーヴァ”系とは異なり、むしろ同時代で言えばアリーヤのクールさに近い(ただし、SUITE CHIC以降で具体的に参照したのはジャネット・ジャクソンだろう)。数年のラグを経て、満を持してヒップホップ・ソウルのクールなボーカルが日本でもメインストリームに登場したのだ。

 “ディーヴァ”ブームの終焉をどこに見るかはさまざまだが、本論では、安室奈美恵のポスト“ディーヴァ”的なボーカルがヒップホップマナーのビートにのって再び脚光を浴びた2003年を分水嶺と見なしたい。

宇多田ヒカルは“ディーヴァ”だったか

 と、ここまでの議論に、宇多田ヒカルがほとんど不在であることを指摘する人もいるかもしれない。あくまで筆者の見立てであることを断っておくが、宇多田のその後の活動を考えると、たとえ「Automatic」や「Addicted To You」といった初期の楽曲に和製R&B的な傾向が見られたとしても、その範疇で語ることは適切ではない。むしろ、この連載の第1回でも取り上げたように、活動休止を経た近作、とりわけ『初恋』の先鋭性こそに着目すべきだ。日本のポップミュージックに宇多田がもたらした功績は、『Fantôme』や『初恋』以降の視点から改めて論じる機会が設けられればと思っている。

■imdkm
ブロガー。1989年生まれ。山形の片隅で音楽について調べたり考えたりするのを趣味とする。

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