2nd EP『My Love Is…』インタビュー
伊万里有が語る、俳優/歌手としての強みと表現への意欲「両方の視点で物事を見ることができる」
人気ミュージカル『刀剣乱舞』で刀剣男士の長曽祢虎徹を演じ、昨年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に出演するなどして注目を浴びている俳優、伊万里有。昨年8月に1st EP『My Name Is…』で念願の歌手デビューも果たした彼が、2nd EP『My Love Is…』を完成させた。プロデュースは前作に続き、三浦大知やEXILE TRIBEなどの楽曲を手掛けるUTA、SUNNY BOY、そして新進プロデュースユニットのD&Hが担当。アーバンな香りを漂わせるR&B/ポップスが展開されている。中学時代にヒップホップに夢中になったという彼が、どのような道を歩んで音楽活動を始めたのか。新作EPに込めた思いを中心に、アーティスト・伊万里有のこれまでとこれからを語ってもらった。(猪又孝)
恐怖心が探究心に変わった
ーーまずは昨夏の1st EP『My Name Is…』を振り返りたいんですが、リリース後のリスナーの反応をどのように受けとめていますか?
伊万里有(以下、伊万里):最初に「音楽をやります」と発表したときの反応は、普段、舞台役者をやっているせいか、マイナスに受けとめられている印象が強かったんです。ただ、UTAさんやSUNNY BOYさんが作った楽曲だったんで自信もあって。いざ出してみたら、アーティストとしての顔を印象づけることができたし、逆に音楽で僕のことを知ってくださる方も結構いて嬉しかったですね。音楽を聞いてイベントに来てみたら「伊万里くんって役者なの?」みたいな。そこから舞台を見に来て下さるようになったファンの方もいらっしゃって。入り口をもう1つ作れたと思うし、最初は不安だったけど、足を踏み入れて良かったなと思いました。
ーー昨年8月26日にお台場ヴィーナスフォートで行ったイベントでは、ライブも行いました。歌手としてステージに立ってみてどうでしたか?
伊万里:ミュージカルで大きい舞台、それこそ日本武道館とかさいたまスーパーアリーナには立たせてもらいましたけど、決められた役で立つのとはまったく違って、素で楽しめましたね。自分が好きな楽曲、好きなテイストで、伊万里有としてステージに立てたというのは全然違いました。
ーー大袈裟に言うと、夢が叶った感じもありますか?
伊万里:デビュー前にヴィーナスフォートの隣のゴハン屋さんで食事をしていて「あそこでできたらいいな」と話してたことがあるんです。小さな夢かもしれないけど、それが本当に現実になったなっていう思いはありました。
ーー当日は緊張しましたか?
伊万里:ステージに出るギリギリまでフザけてました(笑)。舞台とかで人前に立つことに慣れちゃってるんで、緊張しなさ過ぎてヤバかったです。
ーー歌手としてのファーストステージなのに!?
伊万里:自分でも緊張するかなと思ってたんですけど、全然しなかったですね。ひたすら楽しかった。1曲目の「I’m Talkin To U」はフリーで歌って、2曲目の「My Place」は振付があったんです。バックダンサー2人をつけて3人で踊ったんですけど、振付の練習が2時間しかなかったんですよ。しかも、練習のあとは大阪のリリイベに行かなきゃならなかったんで、2時間しか合わせてない状態で当日を迎えて。本番前に30分くらい合わせて出たんですけど、緊張というより、振付覚えてるかな? ちゃんと踊れるかな? っていう不安がありました。今回の初回盤に付くDVDには、その「My Place」のパフォーマンスが入ってるんで、そのときの様子を見てもらえると嬉しいです。
ーーCDリリースやリリイベ、ライブなどを経て、アーティスト・伊万里有としての気持ちにどんな変化が起きていますか?
伊万里:楽曲をリリースする前は恐怖心があったんです。めちゃくちゃ音楽が好きだったぶん、自分に表現できるんだろうか? っていう目に見えない怖さがあって。でも、フタを開けてみて、それが探究心に変わりました。それまでに比べて表現に対する視野も広くなりましたね。
ーー以前、別の媒体で取材したときに、音楽が好きだからこそ距離を置いていた時期があると話していましたよね。
伊万里:小学生の頃はパンクロックが好きで、中学生になった頃から兄姉の影響もあって洋楽のヒップホップやR&Bを聞くようになったんです。その影響でダンスを始めて、本当はダンスの専門学校に行きたかったんですけど、親の承諾を得ることができず美容専門学校に進みました。ただ、美容専門学校に行きだしたらめちゃくちゃ時間がなくて。平日は朝から夕方まで学校で、終わったらバイト。生活費を稼ぐために土日もバイトで。
ーー音楽どころじゃなくなった。
伊万里:美容師になったらなったで余計それどころじゃないし。結局、その生活に疲れて美容師を辞めることになって、空白の時間を埋めるためにスケボーとかBMXをやり始めたら、自分の中に音楽が戻ってきたんですよね。そういうストリートスポーツと音楽はセットなんで。で、やっぱり音楽が好きだなと思っていたときに、BMX仲間を通じて偶然ディーン・フジオカさんと出会い、彼に「俳優になったほうがいいよ」と言われて、この世界に入ったんです。その後、小劇場とかに出演していたんですが音楽との繋がりはゼロなんですよ。別になにもない。そういう状況がしばらく続いたこともあって、一度、この世界を辞めて、福岡でバーテンダーをやってた時期もありました。
ーーそんな伊万里さんの音楽愛に火を付けることになったきっかけは?
伊万里:福岡にいるときに今のマネージャーさんに声を掛けて頂き、また東京に戻ってきて舞台の活動を始めるんですけど、『刀剣乱舞』に出会って、高校のときからの空白を埋めるように音楽にまた目覚めるんです。でも、当時好きだったヒップホップやR&Bとはジャンルが違うし、ミュージカルという役があっての表現だから、最初は自分の中でどう表現していいか、なかなか掴めなかったんです。
ーー好きな音楽ではあるんだけど、何かがちょっと違うと。
伊万里:そう。しかも、最初の『刀剣乱舞』のときは稽古して1カ月半くらいで本番を迎えて、そのままずっと60公演以上やってたんで、とにかく慌ただしくて。それが3年前くらいかな。
ーーでも、縁があって、自分の好きなヒップホップ/R&Bをやれるようになっていく。
伊万里:それはHOOD SOUNDのスタジオに遊びに行ったことがきっかけ。『刀剣乱舞』に出会う少し前の話なんです。そのときに、高校生の頃、DJ PMXさんのイベントとかに行ってた思い出がよみがえってきて。で、PMXさんを通じて、今のレコード会社のスタッフさんと出会い、試しにレコーディングさせてもらったんです。そのときに「いいじゃん」って言ってくださって。でも、すぐに形にすることはできないとわかっていたし、まずは今決まっている『刀剣乱舞』に集中しようと。
ーーそうしたら光が見えてきた。
伊万里:まさに。そこからの2年は舞台漬けだったんです。本当に舞台だけやって役者のことしか考えない毎日。そうこうするうちに、芝居というものが自分の中に落とし込めるようになってきて、じゃあ、次にどんなことをする? って考えたときにパッと出てきたのが音楽だったんです。そのときにもう一回、自分の原点を振り返ってみようと。地元への愛情とか自分自身のことを表現したので、1st EPを「My Name is…」というタイトルにしたんです。