ポール・ドレイパー、Mansun時代の苦悩とソロ活動の喜び「“音楽”という大きな流れの中にいたい」

ポール・ドレイパー、Mansun時代の苦悩とソロ活動の喜び「“音楽”という大きな流れの中にいたい」

 90年代後半のブリットポップ末期に登場し、百花繚乱状態だった当時のUKバンドの中でも強烈な存在感を放っていたMansun。とりわけ1998年に発表した意欲作『SIX』は、その前衛的なアプローチがRadioheadにも影響を与えたことで知られている。一時はUKロックの未来をも踏まえた怜悧な音楽観を見せていたにもかかわらず、本国のメディアには冷遇され、所属レーベルとの不和やメンバー間の軋轢などもあってバンドは2003年に解散。その不遇ぶりにファンは歯がゆい思いをしたものだ。

 その後、フロントマンだったポール・ドレイパーはソロとなったわけだが、それとて決して順風満帆だったわけではなく、初のフルアルバム『Spooky Action』を完成させるまでには14年もの歳月がかかってしまった。そしてこの度、ついにその『Spooky Action』を携えて、ポールが実に19年ぶりの再来日を果たした。Mansun時代からのファンにとっては、まさに待望を越えた熱望、悲願のツアーと言ってもいい。

 現在の相棒、ベン・シンクと共に2本のギターとボーカルだけで織り成すアコースティックショーは、ソロの楽曲に加えて「Wide Open Space」「Legacy」「Dark Mavis」といったMansunのレパートリーも交え、いくつかの曲では合唱も起こる盛り上がりぶりだった。

 かつてのポールには人を寄せ付けない、寡黙な印象があったけれど、「日本のビール、大好きなんだ」と言ってサッポロ黒ラベルをグイグイ飲み、観客と言葉を交わしながら和やかにライブを進めていく様子には、時が経ったことをしみじみ実感。憂いを帯びていた佇まいも、貫禄のついた体躯のおかげか、はたまたたくわえた髭のおかげか、随分と柔らかなものになった。 

 およそ20年の歳月はいろいろなものを変えたが、研ぎ澄まされた楽曲とパフォーマンスに漂う妖気は相変わらず。往年のファンはもとより、新規の若いファンの姿も沢山見受けられ、彼のセカンドキャリアはこれからが本番だと感じる素晴らしいライブだった。

 初日を終えたポール・ドレイパーに対面した。(美馬亜貴子)

昔のまんまじゃ仕方ないだろ(笑) 

ーー19年ぶりに日本に来てくれて嬉しいです。当初は一夜限りのはずが、結局は追加公演を重ねて計5日間のツアーになりました。初日の盛り上がりも最高でしたね。

ポール・ドレイパー(以下PD):アコースティックライブだから静かなものになると思っていたけど、とても盛り上がったね。どんな雰囲気になるのかはやってみないとわからなかったけど、予想外にアップな感じで、とても良かったよ。

ーー長らくあなたのことを待ってたファンの熱気、感じてくれました?

PD:うん。昔、バンドでパンキッシュなギグをやってたときはお客さんとバトル状態というか、ステージからどんどんけしかけて、それにお客さんが返してくれることでエネルギーが生まれていくという図式だった。昨日はアコースティックギグだったけど、演者と観客、共に作り上げていく温かさを感じたよ。若い頃の僕は「観客とともにポジティブなものを作り上げる」なんて、そんなおとぎ話みたいなことは信じなかったけど(笑)。

ーーライブではソロの曲とMansun時代の曲を織り交ぜながら演奏していましたね。Mansunは後味の悪い終わり方をしてしまったけれど、かつての楽曲に、あなたが誇りを持っていることがわかりました。

PD:うん。自分が書いた曲だから、やらないって選択肢はないよ。ポール・ウェラーだってThe JamやThe Style Council時代の曲をやってるだろ? 実際は、いまだに抵抗のある曲というのもいくつかあって、そういうものは演奏していないけどね。

 最初にアコースティックのショウをやろうと思った時、これは自分にとって挑戦だな、と考えたんだ。ソングライターとしても、ボーカリストとしても。自分がアーティストとして独り立ちした状況で、やるべきだとも思ったし。例えば「Until the Next Life」のようにレコーディングはイマイチだったけど、曲そのものはよかったというものや、4作目のアルバムに入る予定だった「Keep Telling Myself」のように、今まで自分が書いた曲の中でもベストソングの一つだと思うものを新しい形で提示したいという気持ちもあった。で、ソロでやるなら内容も尺も、それなりの形でやりたい。そうなると必然的に過去のレパートリーも入ってくるというわけさ。それで『Attack of the Grey Lantern』の20周年の時は、アルバムを丸ごと演奏するという形をとってみたんだけれども、あのアルバムに収録されている曲は、アコースティックセットでお客さんとオーディエンスが一つになれる感覚を味わうにも格好の曲が入ってると改めて思ったんだよ。

ーー今回のパートナーであるベン・シンクとのコンビネーションも素晴らしかったです。アコースティックギターとエレキギターで、非常に緻密なアンサンブルを生み出していました。よく練られたアレンジでしたね。

PD:確かにリハーサルはかなりしたよ。ベンとはもう8年の付き合いになる。ロンドンのとあるジャムナイトで出会ったんだけど、彼はドラムもベースもギターもキーボードもできるんだ。その上ミュージックテクノロジーも勉強しているということだったんで、「じゃあ、僕のスタジオに来て一緒にやってみる?」ってことで作業をするようになったんだ。ちょうどその頃、僕は他の人のプロデュースをしていたので、ベンにThe Anchoress(ジ・アンカレス)のエンジニアをやってもらって、それからちょくちょくベンにエンジニアリングを頼むようになったのさ。その後僕がソロで動き出した時に一緒にやってもらうようになった。以来、パートナーとして、そして旅の友として、良い関係を築いているよ。

ーーお客さんに話しかけながらライブを進めたり、ビールを飲んだり、ファンにサインしたり、笑顔で写真を撮ったりと、かつてのあなたからは考えられないくらい楽しそうな姿が印象的だったんですけど、自分でも自分が変わったと思います?

PD:最初は自分一人でやるということで、どうなるかわからなかった部分も多かったけど、昔よりはリラックスしているね。やっぱり歳を取ると、自分のことをそこまで深刻に考えることはなくなった。Mansunがあまり良い終わり方をしなかったにもかかわらず、今、こうして音楽ができているのはボーナスみたいなものだと思っているんだよ。まあ、喋ったりジョークを言ったりはしているけど、ひと度曲に入ったら、100パーセント全力投球することに変わりはない。今はヒゲを生やしてニコニコしているけど、昔のまんまじゃ仕方ないだろ(笑)。今回はアコースティックだけど、フルバンドで戻って来られたら、また違った感じのライブになると思うよ。

ーー「一緒に歌って!」というあなたの呼びかけに応えてオーディエンスが合唱していた光景、凄かったですね。「Negative」や「Legacy」など、Mansunの曲ってキーが高くて歌うの大変なのに(笑)。

PD:ああ、だから僕自身みんなの助けが必要だったんだ(笑)。

ーーあんなにもたくさんのオーディエンスが歌詞を覚えていて歌えるんですから、どれだけ熱いファンが多いかわかったでしょう?

PD:ステージに出る前はファンの人が歌ってくれるかどうかわからないものだけど、やっているうちにこれはいけるな、と思ったよ。もちろんライブの度に状況は変わるけど、日本のファンの忠誠心は凄いよね。もし、今回のアコースティックショーが成功したら、今度はフルバンドで戻って来たいなと思っているよ。

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Photo by Yosuke Komatsu(撮影時 1998年)
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ーーところで、約20年ぶりの東京はいかがですか? あの頃はなかった東京スカイツリーに行ってきたとか。

PD:うん、地下鉄で行ってきたよ。とてもよかったね。今回はホテルが渋谷でライブ会場も渋谷なんで、主に渋谷をぶらついているんだけど、帰るまでには皇居に行って巨大な鯉を見たり、新しい機材を探しに秋葉原にも行きたいな。

ーー街の雰囲気は変わったでしょうか?

PD:進化したと思う。ニューヨークのタイムズ・スクエアはいつ行ってもタイムズ・スクエアって感じだけど、渋谷はまた新しいビルが建って、壮観な摩天楼になってるね。ただ、東京のジェントルな雰囲気は変わらない。歩いてる時、フクロウ・バー(カフェ)なんて妙なものも見つけたけど、酒がうまいのも変わらずだし、食べ物も最高だし。あと、空気が多少キレイになった気もする。タバコや車の排ガス、スモッグが減ったのかな。

ーーあなたはこの間に大きな病気(注:指に出来た悪性腫瘍のため、しばらく療養していた)もしましたが、もう体調は大丈夫?

PD:うん、もう大丈夫。全力でできるよ。

ーーその他、個人的な変化はありました? 結婚したり、子供ができたりとか。

PD:いや、僕はいまだに独身だし、子供もいない。身辺で起こった一番の変化といえば、自分のスタジオを作ったことかな。『The Kitchen』っていうんだ。普段はここで作業をしているよ。

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