クラムボン・ミトの『アジテーター・トークス』Vol.6 岩里祐穂
ミト×岩里祐穂が語り合う“楽曲への向き合い方” 「ちょっとした発想で世界がひっくり返る歌詞を」
「ミトさんと組むと私の中の「俯瞰の視点」が出てくる」(岩里)
ーー雪之丞さんとの対談で印象的だったのは、岩里さんが「曲先は謎解き」とおっしゃっていたことでした。「例えば、サイケなのかオルタナなのか歌謡ロックなのかとか、その曲を自分なりに解釈・カテゴライズすることで、初めて言葉がそこから立ち上がってくる」と。曲先の場合、曲ができた時点でジャンルは決まっているのかと思ったのですが、そこに歌詞をつけることでジャンルがより明確になるわけですね。
岩里:パンクっぽい言葉、オルタナっぽい言葉というのは、私の中にありますね。雪之丞さんはもう、僕はプログレとグラムだから、と言い切ってらっしゃいますけど。例えばレコード会社のディレクターさんからの注文で、「今回は昭和っぽい歌詞で」みたいな。しかもラスマス・フェイバーの作った曲で。
ミト:ラスマス・フェイバーが作曲している時点で「昭和感」ゼロですよね(笑)。
岩里:そうすると、じゃあ自分の中のどんな世界観の言葉を使えば、自分なりの「昭和」にできるかなって考えるわけです。あの時はプログレっぽくと判断したのかな。そういう風に組み合わせてみたら、自分の中で腑に落ちて。そうすると言葉がどんどん立ち上がってくる。だから、自分だけの秘密のルールとして、例えばミトさんから曲をもらった時も、「よしこれはパンクっぽい歌詞をつけよう」って決めてしまう。曲自体、パンクでも何でもないけど「私自身はパンクのつもりで書く」みたいな。そういうつもりで「曲を自分なりに解釈・カテゴライズする」って言ったんですね。
ミト:高橋久美子さんとの対談はどうでした?
岩里:久美子さんはね、文学の人という感じがしたな。もちろんバンド(チャットモンチー)もやっていたわけだけど、彼女の中で文学の占める割合が大きいなって感じましたね。物語から書き始めるところもそうだし。作詞家としての感性は、私から最も遠いところにいる人だったから逆に面白かったですね。きっと毎日毎日、詩が溢れ出てくるようなタイプなのだと思う。私、溢れないもん。
ミト:「溢れないもん」て(笑)。そんなこと言っていいんですか?
岩里:ほんとそうなの、音楽がないと溢れないんだよ(笑)。曲が来て、それを聴きながら掘り下げて掘り下げて、やっと一つ言葉を見つけるみたいな作業だから。
ーー対談の中で高橋さんが、チャットモンチーの「バースデーケーキの上を歩いて帰った」の歌詞は、環七沿いを寄って歩いているときに、街灯の連なりがロウソクに見えたところから生まれたとおっしゃっていたじゃないですか。それを読んだ時に「この人は詩人なんだな」と思いました。
岩里:そうなの。あのエピソード良かったですよね。
ミト:松井五郎さんとは僕、仕事をさせてもらったことがあって。声優さんが朗読劇をする、松井さん演出の舞台だったんですけど、その朗読の合間に流れる歌モノの楽曲を書かせてもらったんです。その打ち上げの席などでお話ししたんですけど、松井さんって本当に色んな音楽をたくさん聴いているんですよね。かなり新しいものもチェックしてて驚いた。
岩里:松井さんって、歌詞を2時間で書いちゃうから。そのほかの時間にやりたいことがいっぱいあるんだよね、きっと。その時間を使って色んな音楽をチェックしているんだと思う。この間もiTunesのプレイリストを送ってくれたの。TOTOの「99」みたいに数字がタイトルになった曲を、1から100まで集めたプレイリストなの。
ミト:ほんと、好奇心と探究心にあふれた人なんですよね。飲みの席で、僕みたいな若造にもすごく興味を持ってくださって、色々尋ねて来られるんですよ。だけど、リリックはタイムレス。ずーっと作風が変わらない。
岩里:さっき言ったように、私も雪之丞さんもある時点でターニングポイントを迎えるんだけど、松井さんはもうずーっと一貫して同じ手法で書いているように見えるんですよ。しかも、それでいて色んな時代を経てこれまでずっと第一線にいらっしゃるわけで、その不思議さを改めて「すごい人だな」と思いましたね。
ミト:作曲家の場合は音色や使用楽器を変えるなど、いくらでも変化をつけられるけど、作詞の場合はそう上手くいかないじゃないですか。言っても、組み合わせる文字の量なんてたかが知れていて。その組み合わせの中で、よくもこんなに違う世界を作り上げるなって常日頃から思っているんですよね。
あと、この本を読んだ方はきっと皆さん救われると思う。岩里さんほどの人でも、そこそこダメ出しを食らって、書き直したりしているんだなあって。
岩里:(笑)。でも松井さんも、ボツ曲なんていっぱいあるって言ってたよ。雪之丞さんには怖くて「ダメ出しとかされることあります?」なんて聞けなかったけど(笑)。
ーーミトさんもダメ出しを食らうことはありますか?
ミト:もちろんあります。でも、一番ダメ出しをするのって自分自身なんですよね。どれだけいい曲を書いて、他の人に「いい」って言われても、常に「いやいやいや」っていう自分がいる。「お前、ほんとそれでいいの? 大丈夫って思ってる?」って言われている気分。でも、そのくらい追い込んだ方が、あとあと事故が起こりづらいんですよ(笑)。他からダメ出しされるの嫌いだし、そこからメンタル立て直すのは、何年やってても時間がかかってしまう。最近、ウサギを飼い始めたんですけど、そのくらいメンタル弱いから(笑)。
ーー岩里さんは、自分の武器ってなんだと思ってます?
岩里:えー……なんだろう。松井さんは「エロティックなことを、いかに高尚に伝えるか」って言ってましたよね(笑)。私はやっぱり「人が言葉にできない日常のふとしたニュアンスを、当たり前の言葉で拾う」ことかな。「うつし絵」(新垣結衣)だったり、今井美樹さんの一連の作品だったり。坂本真綾さんの「猫背」もそう。それらは「武器」というより、自分「らしさ」だと思いますね。ただ、「創聖のアクエリオン」を書いてからは、強いエグい歌詞ばかり頼まれるんだよね(笑)。菅野よう子さんに連れていかれた、ケレン味たっぷりな極彩色の世界。
ーーそういう、岩里さんのテーマを体現してくれるパートナーとの出会いも大きいですよね。例えば「日常」路線だったら今井美樹さんや新垣結衣さん、「エグみ」だったら菅野よう子さんのように(笑)。
岩里:菅野さんとは坂本真綾さんの「日常」も書いていますけど、ほんと、それは大きいですね。出会いが一番大事。同じテーマでも、どの作曲家に頼み、どのシンガーと組むかによって全然違ってきますからね。歌詞を書いているのは全部私でも。ミトさんと組むと、私の中の「俯瞰の視点」が出てくるし、今井さんに書くときは日常的なことを書きたくなるし。
ーー岩里さんは、これまで30年以上も作詞家を続けて来られたのは、ご自分ではなぜだと思いますか?
岩里:うーん、Oasisのアルバムで、『Standing on the Shoulder of Giants』(2000年)ってあるじゃないですか。あのタイトルは、これまで音楽を作ってきた先人たちがあって、その影響を受けて自分は「今、ここ」にいるという意味ですよね。でも、自分が作詞家としてキャリアを積み重ねてきた今となっては、新しい人たちからの刺激のおかげで、自分は歌詞が書けているんだなって思えるんです。
花澤香菜さんの時に、ミトさんや沖井さん、北川さんのようなひと世代下の方と一緒に仕事をして、最近はまた新しい人が出てきて、10代の女の子に詞を書いたりしているわけじゃないですか。私は彼女たちの言葉遣いをそのまま使ったりはしないけど、彼女たちが「新しい言葉」を生み出していくそのパワーに私は大いに刺激を受け、前進させてもらっているのだなと思うんです。
ーーきっと「好奇心」を持ち続けることが大切なんでしょうね。
岩里:そうですね。若い子の話は自分では思いつかない事ばかりで、常に「え、なにそれ面白い!」って思うし。私の息子が発した一言にめちゃめちゃ驚くこともあるし(笑)。全く未知な言葉を使っているわけではなくて、私たちも使っていた言葉が、こんな斬新な形で組み合わさると、こんな面白い響きになるのか! と驚かされる。それが面白くて仕方ないんです。ちょっとした発想で、世界がひっくり返るような……そんな歌詞をこれからも書いていきたいですね。
(取材・文=黒田隆憲/撮影=はぎひさこ)
■書籍情報
『作詞のことば 作詞家どうし、話してみたら』
著者:岩里祐穂
11月28日(水)発売
発行・発売:blueprint
ISBN:978-4-909852-00-7 C0073
価格:2,000円+税
判型・頁:四六判・256頁