amazarashiは“言葉ゾンビ”に通じる存在? 書き下ろし小説『新言語秩序』から伝わるもの

amazarashi、書き下ろし小説から伝わるもの

 2017年に通算4枚目のフルアルバム『地方都市のメメント・モリ』を発表し、2018年の4月から6月にかけて開催された『amazarashi Live Tour 2018「地方都市のメメント・モリ」』を成功のうちに終えた、青森県在住の秋田ひろむを中心にしたバンドプロジェクト・amazarashi。彼らが11月16日に日本武道館で開催する『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』に向けて、公式アプリ『新言語秩序』をリリースした。このアプリでは武道館公演に向けた1章~3章にわたる物語が、検閲が加えられた虫食いの状態で公開されており、ユーザーがその検閲を解除することで『新言語秩序』の根幹となるストーリーを楽しむことができる。

 今回の公演用の特設サイトに掲載されているコメントで秋田ひろむ自身によって語られているように、今回の『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』は、彼らの集大成的な作品となった『地方都市のメメント・モリ』と、それに伴うツアーによってひとつの完成形を見たamazarashiの活動が、次なるステップに向けスタートを切る重要な公演。『地方都市のメメント・モリ』は、一度はバンドでの成功を目指して上京するも、夢破れて地元・青森に帰った秋田ひろむが、amazarashiでの活動で様々な人々と出会い、そしてついに自身の歩みを力強く肯定するような、温かい感覚に溢れた作品だった。だからこそ、今回公開されたストーリーは、『新言語秩序』で彼らがその先にどんな一歩を踏み出すかを紐解くための、重要な鍵になる。詳しい内容はアプリで触れてもらうとして、まずは物語の概要をお伝えしたい。

 今回のストーリーは実多と呼ばれる人物の独白という形式が取られており、一般市民が言葉を監視し合う世界で、その検閲をかいくぐってグラフィティなどで街に自由な言葉を書き残す「言葉ゾンビ」と、人々の言葉を検閲してテンプレートを推奨し、警察とともに開発した言語矯正プログラム“再教育“を広める集団「新言語秩序」との対立を描いている。物語の語り手を務める実多は「新言語秩序」側の人間であり、幼少期の父親による虐待の経験などから言葉を憎み、「言葉を殺さなくてはならない」とまで語る人物だ。一方で、「言葉ゾンビ」側の主要人物として登場するのは、様々な“テンプレート逸脱”活動によって多くのシンパを集める若き活動家、希明。この物語は、「言葉の力を規制する人々」と「言葉の力を信じる人々」が、互いにそれぞれの正義を信じて対立する様子を描いたものになっている。

アプリ『新言語秩序』
アプリ『新言語秩序』
アプリ『新言語秩序』
実多
希明
previous arrow
next arrow
 
アプリ『新言語秩序』
アプリ『新言語秩序』
アプリ『新言語秩序』
実多
希明
previous arrow
next arrow

 もちろん、amazarashiのファンであれば、秋田ひろむの表現にとって「言葉」がどれほど重要なものなのかは周知の通りだろう。amazarashiの音楽では文学的な筆致で書き殴られる絶望や不安、諦念のような負の感情と、“それでも”その先に見出す希望とがバンドのアイデンティティを伝える重要な役目を果たし、言葉の行間から浮かび上がるamazarashi特有の胸が張り裂けそうな感情表現を支えてきた。長年にわたってMVやライブの現場において、彼らがスクリーンに投影したタイポグラフィなどでそのメッセージを最大限伝えるような形式を取ってきたことを考えても、秋田ひろむは誰よりも言葉の力を信じてきた人物だ。そう考えると、amazarashiは物語における言葉ゾンビに通じる存在なのかもしれない。

 とはいえ、ここで重要なのは、今回公開された第1章から第3章までの物語が、すべて言葉を検閲する集団「新言語秩序」のメンバーである実多の視点で描かれていることだろう。だからこそ、全編から浮かび上がるのは、「正義とは一面的なものではない」という、現代の諸問題に通じるメッセージだ。自分が正義だと思うものだけが本当に正義だとしたら、どんなにいいことだろう。しかし、現実はそう都合のいいものではない。人によって立場が違い、それぞれにしか見えない正義があり、それぞれがその正義を過信することで、本来無用なはずの対立が生まれていくーー。非常に現代的なテーマが、丁寧に描かれている。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる