amazarashiの表現に同居する“実像”と“偶像”ーーMVの変遷から新作の世界観を分析
デビューから一貫して顔出しをすることなく地元青森を拠点に活動し、中心人物・秋田ひろむが手掛ける文学的な詞世界や、アニメーションや最新テクノロジーを駆使したMVやサウンドビジュアルライブなどを通して唯一無二の存在感を築いてきたamazarashi。今年3月に発売されキャリア史上最高位となるオリコンチャート3位を記録したベスト盤『メッセージボトル』に続く、最新アルバム『地方都市のメメント・モリ』が12月13日にリリースされた。この作品はメンバーの地元・青森を思わせる地方都市をテーマに、これまで以上に力強く肯定を歌う姿が印象的なものになっている。ここではデビュー当初から作品の世界観を表現する重要な要素を担ってきたMVの変遷から、その魅力を考えてみたい。
そもそも初期のamazarashiのMVは、ほぼすべてがバンドのアイコンとなるてるてる坊主のキャラクターが登場するアニメーションになっており、その多くを担当したのがYKBXこと横部正樹だった。もともと人と接するのが得意ではない秋田ひろむの性格などを反映してはじまったこの一連のMVだったが、文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門などを受賞。バンドのイメージを形作る大きな要素となっていく。そこからは徐々にアニメーションと実写映像がクロスオーバーするようになり、実写表現と最新鋭のテクノロジーやアイデアを融合させるものも増加。2014年の「穴を掘っている」では「死にたい」というツイートを樹海でプリントアウトするMVが、2015年の「スピードと摩擦」では4000文字以上の文字をくりぬいてトイレに光の歌詞を映し、その中でコンテンポラリーダンスを展開するMVが制作され、2016年の『世界収束 二一一六』収録曲「エンディングテーマ」ではリアルタイムフェイスマッピングを使用することで100年後の秋田ひろむの顔を投影する斬新な試みの集大成をものにした。
しかし、それ以上に大きな変化と言えるのは、同じく『世界収束 二一一六』の楽曲「多数決」や、同年末にリリースされた「虚無病」のMVだろう。ここでは3DCGに加え、顔は隠されているものの秋田ひろむが大々的に出演し、ギターを抱えて演奏する姿まで収められている。初期は空想の世界にいるかのようだったバンドが、徐々に実写表現を重ねて肉体性を獲得し、現実との接点を見出していく――。そうした変化を経ていく中で完成させたのが、最新作『地方都市のメメント・モリ』となる。
新作から公開されている「命にふさわしい」「空に歌えば」「フィロソフィー」「たられば」の4本のMVは、大きく言って2つに分けられる。まずひとつは、初期の流れを汲む本人が登場しない種類のMV。人気ゲーム『NieR』シリーズのディレクター、ヨコオタロウ(YOKO TARO/横尾太郎)原案の絵本と『NieR:Automata』の世界観(地球奪還を目指して行なわれる人工知能による代理戦争)から着想を得た楽曲「命にふさわしい」のMVでは、「季節は次々死んでいく」や「自虐家のアリー」でもタッグを組んだ本山敬一と稲葉右京の2人が制作を担当。「心とはどこにあり、何なのか?」という楽曲のテーマを人形がプレス機でつぶされ、切断される様子で描いている。そして最新MV「たられば」は、インクなどを用いて手書きの短編アニメーションを制作する久保雄太郎が、淡いタッチでてるてる坊主のキャラクターを描写。〈あなたの眠った顔見ていたら/こんな僕も/悪くはないなって思えたんだ〉という歌詞にも顕著な、苦悩の底から光を求めるようだった過去とはまた異なる、穏やかさや温かな魅力を持ったこの楽曲の雰囲気を見事に映像化している。
そしてもうひとつが、16年以降増加している秋田ひろむやバンドメンバーが出演するMVだろう。『僕のヒーローアカデミア』のOP曲「空に歌えば」のMVは奥山雄太と横堀光範が担当し、地元青森と東京で撮影。街中で歌う秋田ひろむの言葉が光となって空に浮かび、後半にはベスト盤のツアーで行なわれた地元青森での凱旋公演の様子も挿入される。そのライブ映像が、スクリーンの奥にいるバンド側からの視点なのも印象的だ。そして「フィロソフィー」のMVでは奥山雄太と稲葉右京が制作を担当し、ルーマニアの作家/思想家エミール・シオランの「あらゆる思想は、損なわれた感情から生まれる」という一節を冒頭に挿入。その後タイポグラフィで表現した様々な言葉の中を、少女がつまづきながらも必死に走り抜けていく。中でも印象的なのが、〈悲しみを知っている/痛みはもっと知っている/それらにしか導けない/解が君という存在で〉と歌われるクライマックス付近で、秋田ひろむとてるてる坊主のキャラクターが二次元/三次元の垣根を越えて重なるシーンだ。
というのも、メディアにはほぼ登場せず、初期には匿名性を重視してアニメーションでMVを統一していたamazarashiの場合、メンバーの「実像」と、MVなどによってファンの中に作られた「偶像」との間にはある程度乖離した部分があったはずで、その2つはこれまでスクリーン一枚を隔ててバンドと観客が対峙するライブでのみひとつになるような印象だった。ところが、MVなどにメンバーが出演して徐々に肉体性を獲得していく中で、メンバーの「実像」と「偶像」としてのamazarashiが次第に歩み寄り、新作においては遂にMVでもその2つが理想的なバランスで交差しているような印象を受ける。実際、タイポグラフィを使った歌詞表現を持ち、秋田ひろむが登場する「空に歌えば」と「フィロソフィー」のMVは、何より彼らのライブでの演出との親和性を感じるものだ。これには過去の活動を経て芽生えた、「ファンとより正面から向き合いたい」というバンドの気持ちも影響を与えているのかもしれない。そして、彼らのパーソナルな場所=青森を題材にして普遍的な地方都市の叙事詩を描いた新作の内容も、恐らくそうした彼らの変化と無関係ではないのだろう。
一度はバンドでの成功を目指して上京した秋田ひろむが挫折を味わい、地元青森に帰ってはじめたバンドが母体になったamazarashiにとって、『地方都市のメメント・モリ』で描かれる国道沿いの風景、大型ショッピングモール、シャッターが閉まって閑散とした商店街――。まるで時間を永遠に引き延ばしたような、それが世界のすべてであるかのような、どこにでも存在する地方都市の風景は大きな意味を持っている。しかし、かつては挫折の象徴であったかもしれないその場所は、様々な人々と経験した出会いや出来事の中で、いつしか自分たちを形作る大切な存在のひとつに変わっていったのではないだろうか。
『地方都市のメメント・モリ』では、彼らが暮らす地方都市を舞台にした日常の機微、街の風景、そこで暮らす人々への思いが、かつてないほど温かい筆致で描かれている。そして、その中で歌われる〈君自身が勝ち取ったその幸福や喜びを/誰かにとやかく言われる筋合いなんてまるでなくて/この先を救うのは/傷を負った君だからこそのフィロソフィー〉(「フィロソフィー」)という言葉が力強い説得力で耳に迫るのは、通常とは異なる方法論で人気を広げてきたamazarashiのこれまでがあってこそだ。その大きな要素のひとつとなった過去の様々なMVにも、こうした新作に至るまでの変化が、確かに反映されているように思える。
■杉山 仁
乙女座B型。07年より音楽ライターとして活動を始め、『Hard To Explain』~『CROSSBEAT』編集部を経て、現在はフリーランスのライター/編集者として活動中。2015年より、音楽サイト『CARELESS CRITIC』もはじめました。こちらもチェックしてもらえると嬉しいです。
■リリース情報
『地方都市のメメント・モリ』
発売:2017年12月13日
【初回生産限定盤A】¥4,500(税抜)
CD+DVD+365日詩集ダイアリー
特殊仕様スペシャルパッケージ
【初回生産限定盤B】¥3,900(税抜)
2CD+DVD
【通常盤】¥3,000(税抜)
■ライブ情報
『amazarashi Live Tour 2018 「地方都市のメメント・モリ」』
2018年
4月20日(金)Zepp DiverCity Tokyo
4月28日(土)Zepp Osaka Bayside
4月30日(月)福岡市民会館
5月4日(金)Zepp Nagoya
5月6日(日)JMSアステールプラザ大ホール
5月12日(土)SENDAI GIGS
5月19日(土)新潟県民会館
5月20日(日)本多の森ホール
5月26日(土)豊洲PIT
6月3日(日)Zepp Sapporo