亜無亜危異、“反逆のアイコン”がパンクシーンに与えた衝撃 不完全復活に至る激動のバンド史を解説
遠い昔のことだが、ロックは不良の音楽と言われていた。不良という言葉自体、今はもうあまり使われなくなったし、何をもって不良とするかを正しく定義づけるのも厄介なことだが、まあとにかくロックに不良性は欠かせなかった。
ワルければワルいほど、まがまがしいほど、けしからぬものであるほど、ロックはかっこよかった(そんなんじゃない種類のロックももちろんたくさんあったが、そういう話はここではいい)。今は不良性の強いロック、不良っぽさがかっこいいロックなんぞ、ほとんど存在しない。社会の落ちこぼれやならず者の憧れや共感はロックには向いていかない。そういう不良が憧れたり共感したりするのは、今はヒップホップ~ラップミュージックだ。ロックは今ではちゃんと物事や将来のことも考えることができて、頭もよくて、そこそこ器用にふるまえて、しっかりした意見を述べることのできる人たちがやるようなものにむしろなっている。頭もそんなによくないし、社会に適応できないし、要領なんて全然よくないけど、ばかでかい音に乗せて、大きな声で叫んで、叫んで、とにかく叫ぶことを繰り返していれば、いつかは目の前の壁が崩れて何かが変えられるんじゃないか。変えてやる!そういう闇雲なパワーや気概に満ちたロックと出会えることはほとんどなくなってしまったし、それを嘆くこともまた時代遅れだったりするだろう。
アナーキーは埼玉の同級生5人で結成された、まさしく不良ロックバンドだった。暴走族上がりで、揃って国鉄のナッパ服を素肌にはおっていた。デビュー当時、複数のバンドが出演する日比谷野音のロックイベントで開場を待ちながら並んでいたとき、(仲野)茂とマリ(逸見泰成)が二人乗りでバイクをゆっくり走らせ、何度も行ったり来たりしていたことがあった。そんなふうに目立つのが大好きなヤンキーの精神性を持ち、だからマリは眉毛も剃ってたし、「亜無亜危異」という当て字を打ち出したりするあたりもヤンキー的だった。
しかしながら彼らはパンクとロックにやられていた。Sex PistolsにThe Clash。外道に頭脳警察にサンハウス。ヤンキーのロックとパンクは本来地層の異なるものだが、もって行き場のないフラストレーションの反動的爆発という意味で彼らにとっては通じていたものだったのだろう。ただ、パンクロックはある意味正直で誠実なものだから、それを好きだった彼らは流行りとしてのヤンキー的なもの、ビジネスの匂いのするものには中指を突き立てた。なめ猫ブーム、横浜銀蝿、あんなものは偽物だから騙されるなと彼らは主張した。
アナーキー(無政府・無秩序)を名乗りながら彼らの主張は筋が通っていたし、筋を通していた。オレたち別に頭よくないし要領だってよくないけど、ばかでかい音に乗せて、大きな声で叫んで、叫んで、とにかく叫ぶことを繰り返していれば、いつかは目の前の壁が崩れて何かが変えられるって信じてやっているんだ。叫んでやるぜ。そういうところが信頼できたし、共感できたし、かっこよかった。〈何にもしねェで いるよりは ずっとマシなんだぜ〉と歌われるデビュー曲「ノット・サティスファイド」を聴いて、彼らと近い年齢の自分もとにかく何かを始めねえとと思ったものだった。