『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』訳者・吉田雅史に聞く、ヒップホップ批評の新たな手法
サンプリングソースに込められたメッセージ
ーー翻訳にあたって一番気をつけたところは?
吉田: 本書は音楽批評で、扱う対象がビートということで、やはり文体のリズム感は重視しました。たとえば接続詞や関係代名詞でつながれて長くなっている文章は、なるべく句点で区切ってしまうようにしました。翻訳に限らず文章を書く時には、このリズムで感情――いわゆるエモさをコントロールする術を探っているところがあるんです。『Donuts』はヒップホップ史に輝くクラシックである上に、その背景にあるストーリーも劇的なので、ある意味いくらでもエモーションに訴えかけるような訳し方も可能だったと思います。でもジョーダンが気遣っていたように、単にお涙頂戴的なお話にならないように抑制の効いた文体を心がけました。とはいえ、訳しながらどうしてもグッときてしまう部分もあったのですが(笑)。
ーー具体的に、どの箇所でグッときたのでしょうか。
吉田:ディラを偲ぶイベント『ディラ・デイ・デトロイト』の箇所は臨場感も抜群で、その場の観衆に憑依したような感覚に捉われました。ディラが手がけたコモンの「The Light」という楽曲は、ボビー・コールドウェルの「Open Your Eyes」をサンプリングしていて、そのイベントではDJがプレイすると皆が一斉にそのフックを歌う。「君も誰かが必要な時があるだろう、その時は僕がそばにいるよ」というラインです。涙なしには訳せなかった箇所ですが、我々はどうしてもここにディラの姿や、彼の仲間、あるいは家族の姿を重ねてしまう。あくまでもディラが亡くなったという状況ありきの話になってしまうわけですが、彼の使ったサンプリングソースにはこのように事後的に様々に解釈できるメッセージが込められている。
ーーディラが亡くなったという事実が、彼の作品の評価をそのコンテクストと分かち難くした部分は確実にあると思いますが、もともと様々な角度から深読みができる豊かさを持った作品だったということでしょうね。ビートメイカーの視点から見て、ほかに好きなエピソードはありますか?
吉田:この本には書かれていないことなんですが、ディラに関して一つ、すごく好きなエピソードがあります。ディラはレコード屋に行くと、何時間もじっくりと試聴した上で、たったの1~2枚しか買わないことが多かったそうなんです。普通、DJやビートメイカーは、レコードの最初の方だけを聴いてそのレコードがネタとして使えるかどうか判断することが多いけれど、ディラは最後までじっくりと聴いてサンプリングできるフレーズを吟味していたんですね。だから、ディラの楽曲でサンプリングされている箇所は、原曲の深いところ、曲が始まってから5分とか7分なんてところから抜かれている場合がザラです。都市伝説的な側面もあるのでしょうが、ディラは所有するレコードの何曲目のどこにどんなフレーズが入っているかを全部記憶していて、ビートにぴったり合うネタの入ったレコードを瞬時に取り出せたといいます。
ここからはGenaktion氏のブログ「探求HIPHOP」でも紹介されているエピソードですが、ある日、友人のワジードがディラと一緒にレコード屋に行ったところ、ディラはスタンリー・カウエルのピアノトリオによるアルバム『Maimoun』を熱心に聴いていたそうです。そのレコードを既にチェックしていたワジードは「そのレコードでできることは何もないぜ、クズみたいなレコードさ」と忠告したにもかかわらず、ディラはそれを購入したそうです。そして次に会った時に、ディラは車の中で新しいビートを流していて、ワジードが「これの原曲はなんだ?」と聞いたら、「ああ、これはお前がクズだって言っていたレコードだよ」と答えたそうです。「Trashy(クズの)」と名付けられたその曲は、決して有名な曲ではありませんが、ディラの人となりや類稀なるセンスを伝える、隠れた名曲だと思います。
(取材・構成=松田広宣)
※「Trashy」はもともと、ワジードのレーベル〈Bling 47 Recordings〉からリリースされた『"Vintage" Unreleased Instrumentals』(2004年)に収録されていたが、その後、Jディラの未発表トラックとデトロイトのラッパー/ミュージシャン達がコラボレーションしたトリビュートアルバム『Rebirth Of Detroit』(2012年)のインストバージョン『Rebirth Of Detroit Instrumentals』に「Requiem」という曲名でも収録されている。
■書籍情報
『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』
著者:ジョーダン・ファーガソン
価格:1,944円(税込)
【目次】
序文 文:ピーナッツ・バター・ウルフ
第1章 Welcome to the Show――《Donuts》の世界へようこそ
第2章 The Diff'rence――デトロイト・テクノからヒップホップへ
第3章 Hi――スラム・ヴィレッジ結成
第4章 Waves――ビートメイキングは連鎖する
第5章 Stop!――批評とは何か? 解釈とは何か?
第6章 The Twister (Huh, What)――グループからソロへ、デトロイトからLAへ
第7章 Workinonit――車椅子の偉大な男
第8章 Two Can Win――「これはハイプではない」
第9章 Geek Down――ビートを通して死に触れる
第10章 The New――ディラ流「晩年のスタイル」
第11章 Bye――《Donuts》という永遠の環
解説――《Donuts》をよりおいしく味わうために
ディスクガイド
A-side ディラ・ビーツの基本を知る10枚
B-side ディラ・ビーツの深層に触れる10枚
訳・解説:吉田雅史
1975年生まれ。“ゲンロンx佐々木敦批評再生塾"初代総代。批評家/ビートメイカー/ラッパー/翻訳家。『ele-king』『ユリイカ』『ゲンロンβ』などで音楽批評を中心に活動。著書に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之、磯部涼との共著)。MA$A$HI名義でMeisoのアルバム『轆轤』をプロデュース。最新作は8th wonderのFake?とのアルバム『ForMula』。
序文:ピーナッツ・バター・ウルフ
デザイン:森田一洋
四六 / 256 ページ / 並製