『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』訳者・吉田雅史に聞く、ヒップホップ批評の新たな手法

J・ディラ書籍訳者・吉田雅史インタビュー

ディラがレペゼンし続けたデトロイト

ジェイ・ディー 『Welcome 2 Detroit』

ーービートメイキングの進化の歴史を辿った本としてもよくできていて、改めて気づかされることも多かったです。

吉田:ニューヨークで生まれたディスコブレイクの2枚使いや生演奏から、ドラムマシンの登場でRun-D.M.C.の「Sucker M.C.’s」などが生まれ、その後にマーリー・マールがサンプラーによるビートメイキングを発明するという大きな流れをしっかりと押さえつつ、ディラがラリー・スミスのビートメイキングから多大な影響を受けたことなどが丁寧に記されていて、まさにビートメイキング小史ともいえる内容になっています。ビズ・マーキー事件(ビズ・マーキーの楽曲「Alone Again」が、サンプリングの使用許可を得ていなかったために訴訟にまで発展した事件。ビズ・マーキー側が敗訴した)以降、ビートメイカーたちがどのようにしてクリアランスの問題をかいくぐってきたのか、ディラが多用する手法がそれによって生まれた新しいものであることにも間接的に触れていて、現在、主流となっているビート制作法が生まれた過程を辿ることもできます。ヒップホップの歴史を知りたかったら、ジェフ・チャンの『ヒップホップ・ジェネレーション』(リットーミュージック)のような本がありますが、ビートメイキングの歴史を知ることができる書籍はほとんど翻訳されていないので、その意味でも貴重な一冊だと思います。

ーー国内でこのような書籍が出版されるのを待ち望んでいたビートメイカーは多いでしょうね。また、ヒップホップ史におけるデトロイトの位置付けについて書かれているのもポイントだと感じました。吉田さんが本書の翻訳を通じて、デトロイトのヒップホップについて考えたことを改めて教えてください。

吉田:2000年代に入って、デトロイトからはエミネムが輩出されているから、僕ら日本人からすると、それなりにヒップホップが盛り上がっている街という印象があるかもしれない。でも本書でも言及されているようにテクノ発祥の地でクラブシーンでもテクノが優勢で、ハウス・シューズが「デトロイトの奴らは誰も、自分たちの街のヒップホップのことなんか気にしていない」というほどだと。たとえばネットでデトロイトのヒップホップを漁ってみれば、数多くのアーティストがいるけれど、全国区で売れているようなアーティストはそれほど多くない。最近でいえばノーラン・ザ・ニンジャやデンマーク・ヴェッセイなんていう本当にドープなアーティストも多いんですけどね。デトロイトのそうした閉塞感を、LAと対比させながらも忌憚なく描いているのが本書の特異なところで、ディラがアンビバレントな感情を抱きつつも、生涯に渡ってデトロイト・タイガースのキャップを被り続け、『Welcome 2 Detroit』といった作品でデトロイトをレペゼンし続けたという事実にはぐっと来るものがあります。デトロイトは自分のことなんて気にしてはいないけれど、それでも自分はデトロイトをレペゼンし続けるーーその姿勢にはヒップホップへの愛情を感じる。ディラはなんといっても、自分がビートメイクにのめり込むきっかけとなったアンプ・フィドラーや地元の仲間たちといったコミュニティに思い入れがあったのだと思います。

ーー本書を読むと、『Donuts』のジャケット写真の見方も変わってきますね。また、終盤では、ジョーダン・ファーガソンが『Donuts』の1曲1曲を細かに分析しています。ここが大きな読みどころで、サンプリングミュージックならではの音楽批評が存分に楽しめました。

吉田:サンプリングミュージックには聞こえてくる音そのものの批評だけではなく、サンプルネタのコンテクストを読み解く面白さもありますよね。ジョーダンの解釈によると、ディラは原曲で使われている言葉をうまくぼかしたりカットしたりすることによって、「fade me(俺を消し去って)」を「save me(僕を救って)」に聴かせるなど、言葉の意味さえ変えるようなエディットを施している。これは根拠のない独自の解釈というわけでもなく、ディラが過去Slum Villageの「Players」のような曲でも試みていた手法です。また、ディラは原曲のピッチを変えて、サンプルを引き伸ばすーージョーダンの言葉で言い換えれば、時間を操作して“その時”がくるのを先延ばしにしようともしている。原曲にどのように手を加えているのかを見ることで、ディラの無意識的な意図を探るわけですね。

 また、ディラがサンプリングミュージックにおける当時のビートメイカーたちの倫理観ーーたとえば「CDからはサンプリングしない」とか、「ヒップホップのレコードからサンプリングしない」といったルールをことごとく破っているのも彼のユニークなところです。ディラにとってはサンプルはあくまでサウンドの欠片であって、その歴史性などは関係なく、どれもがフラットに並べられている。このようなディラのサンプルの取り扱い方は、非常にポストモダン的なものだったと言えるわけです。今ではこの態度は当たり前のものになっていますが、当時ディラは先行していた。もし彼が今なお健在だったら、そのような態度の下で果たしてどんな作品を生み出していたのか、気になるところです。

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