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『STAY ALIVE』インタビュー

イエモン菊地英昭によるbrainchild’s、第7期メンバーに聞く“サウンドの充実”

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 THE YELLOW MONKEY 菊地英昭(Gt)によるソロプロジェクト・brainchild’sが、5thフルアルバム『STAY ALIVE』をリリースした。同バンドは現在第7期を迎えており、菊地のほか、渡會将士(FoZZtone / Vo)、神田雄一朗(鶴 / Ba)、岩中英明(Jake stone garage / BARBARS / Dr)といった4名で構成されている。

 アルバム『STAY ALIVE』は、菊地の理想とする、“ギタリストが創造するロックミュージック”が体現された作品になっているそうで、リードトラック「Better Day to Get Away」では、菊地が作曲、渡會が作詞とボーカルを担っており、アルバムタイトル曲「STAY ALIVE」では、菊地が作詞作曲とボーカルを務めるなど、その形は臨機応変だ。リアルサウンドでは今回、4人にインタビューし、それぞれとの出会いや各自が関与する別バンドとの違い、brainchild’sでの活動がもたらす変化などについて、じっくりと話を聞いた。(編集部)

「4人編成のバンドがふたつあっても住み分けをしていない」(菊地)

──brainchild’sはTHE YELLOW MONKEY解散(2004年)から数年経った、2008年にEMMA(菊地)さんがスタートさせました。改めて、成り立ちから聞かせてもらえますか?

菊地英昭(以下、菊地):最初のリリースは2008年なんですけど、実は立ち上げ自体はもうちょっと前のことなんです。2004年にTHE YELLOW MONKEYが一度解散して、そのあとにどうしようかなと考えたんですけど、あのときはもうバンドをやりたくなかったし、かといってギタリストとしてソロでやっていくというのもあんまり好きじゃないしと、いろいろ模索して。じゃあ、とりあえずプロジェクト名だけ上げておいて、そのときそのとき好きなことをやろうかなと思って始めたのがbrainchild’sなんです。最初こそ自分はステージに立たずに別のギタリストを立ててプロデューサー的に関わるみたいなことをやってみたり、いろいろ実験しながらライブをやるようになって、そこから鶴と出会って秋野(温)くんと一緒にやろうということになって。いろいろそういうことを重ねてきての、今にたどり着きました。

──たぶんTHE YELLOW MONKEYを始めた頃も、10年後の自分たちなんて想像できなかったと思うんですけど、それこそbrainchild’sを立ち上げたときも、何年後にどうなっていたいとか……。

菊地:まったく、想像もしてなかったですね。今でこそバンドが好きなんだなと思ってこういう形でやらせてもらってますけど、brainchild’sを始めた頃は今の数%も思ってなくて。あと、自分で歌詞を書いて人前でパフォーマンスするようになってから、ちょっとずつ自分も変わっていって。でも、最初に「120%自由な解放プロジェクト」と謳っていた頃は全然解放されていなくて(笑)。

他のメンバー:あははは!

菊地:より内へ内へと入っていくだけで。でもそのおかげで、自分で作詞して自分の声で伝えるようになってからは自由度が増して、考えることもいろいろ具現化しやすくなったというのはありますね。昔から今書いているような歌詞の内容は考えていたこともあったんですけど、一番のきっかけは震災で、そこから爆発的に言葉が湧き出してきて。そのタイミングと、そのとき一緒にいてくれた人たちとのめぐり合わせとで、ここまで続けてこられました。

──brainchild’sというメインプロジェクトがあったところに、ここ数年でTHE YELLOW MONKEYが再集結。そうすると、EMMAさんの中でbrainchild’sの立ち位置も変わってきたのかなという気がしますが。

菊地:でも、今はある意味平等になったと思っていて。brainchild’sの中ではみんなそれぞれに冠があって、僕だけがなかったので。

神田雄一朗(以下、神田):いやいや、ありましたよ! 隠しきれない冠が!(笑)。

菊地:(笑)。brainchild’sとしてライブの本数も作品の数も増えていくと、今度はギターがすごく弾きたくなってくるんですよね。そうなると、センターに立って歌うことももちろん自分の中では大切なことかもしれないけど、もっと大切なこともあるかなと思って再編成したのがこのメンバーなんです。だから、たまたまTHE YELLOW MONKEYの再集結と同時ぐらいになっちゃったんですけど、本当に自分が“バンドのギタリスト”のモードになっていたので、ここをやるにもTHE YELLOW MONKEYをやるにも自分の中ではすごく波長が合っていて。別に4人編成のバンドがふたつあるからといって困ったりもしてないし、住み分けをしているわけでもないというか。これをできていること自体に感謝しているという感じが強いですね。

──そもそもメンバーが違うわけだから、出てくるものが全然違う。

菊地:そうなんです。グルーヴも違うし、最終的に渡會くんの歌が乗るとまた違うものになったりして。そこらへんも全然違うから、別にわざわざ意識しなくても別のものになるというのがまずありますね。今回もアルバムを作るとなったらそれ用に書き下ろした曲もあるんですけど、中にはTHE YELLOW MONKEYでやってもよかったなって曲もあるし。でも、それもタイミングで、できるほうでやったほうがいいと思ってました。

「ベーシスト人生が変わるぐらいの良いきっかけに」(神田)

──第7期として現在の編成になってから早くも2年以上になります。すでにミニアルバムを2枚発表しており、今回フルアルバムをリリースするわけですが、すごく順調ですよね。

菊地:正直出し過ぎじゃないかと思って(笑)。ここは機動力があるので、すごくやりやすいですね。曲を作ったらバババッと出来上がっちゃうし。それぞれミュージシャンとしての音楽運動神経が優れているから、すぐに理想型まで到達できるんです。

渡會将士(以下、渡會):僕はEMMAさんに誘っていただいてbrainchild’sをやれたおかげで、FoZZtone以外の活動にかなり還元してもらえているし、単純に聴いてくれるお客さんが増えました。あと、制作の中でEMMAさんが作ったメロディに歌詞をつける作業をしていくと、メロディを自分でゼロから作って歌詞をつけていく作業も欲求としてやりたくなるので……結局、歌詞は大量に書いています(笑)。

菊地:そこは申し訳ないなと思っています(笑)。

渡會:正直、自分の中のストックがなくなっていくのが怖いと思っていたんですけど、そのストックをEMMAさんが書いてきたメロディに当てはめると違和感が多くなってしまって、そこでまたゼロから作っていく。「これはどちらかといったらbrainchild’sかな?」みたいに自分の中で感動したことや楽しいことの振り分けが常に行われるようになったので、ミュージシャンとしてもすごく鍛えられている感覚があります。

──岩中さんはいかがですか?

岩中英明(以下、岩中):僕は札幌生まれで、もともと自分のバンド(Jake stone garage。現在は活動休止中)のほかにもサポートをいろいろやりたいなと思って、2015年の7月に上京したんです。特にbrainchild’sはバンド感をすごく大事にするので、やりやすいですし楽しいですし、自分の力にもなっている気がします。

──神田さんは鶴という完成されたバンドがありつつ、brainchild’sでも並行して活動しているわけですが。

神田:僕は鶴を15年やっているんですけど、それこそ鶴以外でベースを弾くことを始めたのが遅かったんですよ。30歳ぐらいでそういうこともやっていきたいなと思うようになって、そのきっかけも結局は鶴を強くするためであって。ずっと同じ場所にいると視野が狭くなるので、それを広げるために違うドラマーと組みたいなと思ったんです。そのうちに、うちのバンドの秋野が……うちのバンドはTHE YELLOW MONKEYのコピーバンドから始まっているので、EMMAさんと会う機会があったときに「いけいけ!」とゴリ押して、「(一緒に)やりたいです! やりたいです!」と言い続けた結果、brainchild’sの第4期メンバーになるわけです。そこから僕もEMMAさんと会う機会が増えたので、「なにかあったら、ベースには神田を!」と言い続けていたら、いろんなタイミングが合って(笑)。

菊地:ぴったり合ったよね。

神田:ちょうどその頃、鶴のモードも自分のモードもちょっとずつロックの要素が増えていったので、鶴とbrainchild’sで変に切り替えないでいたんです。それがいまだに続いていて、こっちでは鶴で培ったものが活きるし、鶴のほうではbrainchild’sでさらに磨かれるキャラクターが活かせるので、本当にベーシスト人生が変わるぐらいの良いきっかけになりました。

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