『乃木坂46 生駒里奈 卒業コンサート』レポート(その3)
乃木坂46 生駒里奈卒業コンサートに感じた、“俯瞰した視線と絶対的な肯定”
4月22日に日本武道館で開催された乃木坂46・生駒里奈の卒業コンサートは、乃木坂46というグループへの俯瞰した視線と絶対的な肯定とを、稀有なバランスで見せるものだった。
卒業コンサートに似つかわしく、セットリストはあくまで生駒里奈という個人にスポットをあてて進行する。それでも、「乃木坂の詩」から「おいでシャンプー」へつないだ冒頭は、彼女個人のキャリア最初期を回顧するものである以上に、草創期の乃木坂46そのものを振り返らせる。今ではライブの定番曲であるこれらの作品も、乃木坂46がいまだアイデンティティを探していた時期に、模索の中で生まれた佳曲たちだ。今ではもはやイメージしにくいほどに、結成当初の乃木坂46は何をよりどころにしたらよいかわからないグループだった。だからこそ、トップグループのアンセムとして現在、それらの楽曲が響いていることが感慨深い。
「太陽ノック」を挟んで披露された生駒のソロ曲「水玉模様」は、円熟期を迎えた現在の乃木坂46では生まれ得ない、デビュー初年のグループの模索をいっそう思い返させる楽曲である。この日、同曲のパフォーマンスで生駒が見せたのは、かつてとは違いスター然とした現在の風格と、今なおかつてのおぼつかなさを思い起こさせる歌唱とが同居する、いくぶんアンバランスな佇まいだった。生駒里奈という個人に託されたこの楽曲の経年変化(と変化しない部分)もまた、グループが遠くまで歩んできたことを物語っている。そしてまた、後述するように、この楽曲に断片的にあらわれるようなアンバランスさと、彼女が卒業へとむかう志向とはおそらく無関係ではない。
乃木坂46としてよりも生駒里奈という個人の道のりをたどっていることをさらに印象づけるのは、「初日」「てもでもの涙」「心のプラカード」といった、彼女がAKB48チームBとの兼任で活動していた時期にちなんだAKB48曲パートである。乃木坂46としてのブランドを確固たるものにした現在、AKB48の楽曲がセットリストに入ることは、一見して異質さが際立つ。けれども、それぞれの楽曲で3期生、2期生と生駒とのユニットというスタイルが採用されたことで、この先のグループを担う後進メンバーを引き立てる場として、これらの曲は機能した。生駒里奈個人の歴史に収斂しているはずが、いつしかグループ全体を俯瞰する視野へと自然につながっていく。これこそ、彼女がグループの象徴たる由縁でもある。「心のプラカード」に前後して、現在リスタートの準備をしている北野日奈子がライブに参加する契機となったのも、グループの今後にとって重要な瞬間だった。