松村早希子の「美女を浴びたい」
SUMIREに感じた、出会いの瞬間の衝撃 映画『サラバ静寂』が描く“音楽の力”とのリンクを読む
映画『サラバ静寂』。音楽・漫画・映画など全ての娯楽を禁止する「遊楽法」が施行され、ただ「音楽」を聴いただけで、警察に追われ厳しく罰せられる息苦しい世界。それは一見荒唐無稽な設定のようで、「断捨離」という言葉に象徴される、この現代社会の歪みが極限まで進んでいった先を映し出しているようにも見え、背筋が寒くなります。斎藤工演じる警察官が「音楽を聴く者=ノイズ」に対して与える激しい暴力の描写は、時に目を覆いたくなるほど辛く胸が痛みましたが、それゆえに、どんなに押さえつけられても湧き出す「音楽」への渇望、人類の原初的な欲望が、派手なCG技術や何十億という巨額の予算など無くても、役者の肉体のリアルさ剥き出しで迫ってきます。
無味乾燥を通り越したつまらない繰り返しの日常の中で、二人の少年が偶然「音楽」に出会います。轟音のノイズミュージック、生まれて初めてそれに触れた瞬間と世界が変わる衝動。「音楽」に出会う前と後では表情はガラリと変わり、鳥の羽ばたき・池に落ちる石・工場の機械……世界の全ての音が「音楽」になる。その「音楽」に恋するきっかけを生み出したのが、灰野敬二さん。トキオとミズトが「うおーー!なんだこれ!ヤベーーー!!!!」と叫ぶシーンは、灰野さんのライブで初めて「ノイズミュージックの美しさ」を知った私自身の体験に重なります。
「ノイズ」の本来の意味は、耳障りな音・騒音・雑音。私に「ノイズ」の美しさを教えてくれた灰野さんは、今また映画の中で、音楽の消えた世界に生きる少年たちの中に音楽を取り戻す、天使のような役どころです。真っ黒な服、真っ黒なサングラスを着けた黒い天使が、少年たちのハートに火をつける瞬間、その一瞬の衝撃こそが芸術の持つ力ではないでしょうか。この映画には、どんなに虐げられても芸術は力を失わないということ、失わないでほしいという願いが映し出されています。
映画の中に出てくるたった一人の女の子「ヒカリ」を演じるのはSUMIREさん。初めて彼女の姿をこの目で見たのは、7年ほど前に撮影のお手伝いをした時でした。
誰にも媚びず簡単に懐くことのない孤独な野良猫が、魔法で変身したとしか思えないその人間離れした美しさ。彼女の周囲だけ時の流れが変わり映画のスローモーションのように見え、一目で恋に落ちていました。
そしてあの瞳! 光の当たり方で微妙に変わる、緑と黄色とグレーが混ざったような、カラコンでは絶対に再現できない複雑な色。我が家の猫を初めて抱き上げた時に、瞳を覗き込むとその中に宇宙が見えました。一瞬も同じ色をしていない、刻々と変化するこのちいさな宇宙を、いつまでもずっと見ていたいと願い涙した思い出。その思いが、SUMIREさんの瞳を見ると蘇ります。
その後、SUMIREさんはモデルとしてのキャリアを順調に積み上げ、私が見たその野生的なイメージは、いつしか装苑のハイファッションとともに洗練されたものへと変わっていきました。そんな中、彼女の映画初出演作『サラバ静寂』には、まさに私の求めていた、あの出会いの瞬間の衝撃と同じ、SUMIREさんの「人間離れした美しさ」が結晶化されており、小さな画面で観る映像や紙の写真では収まりきらなかったSUMIREさんの存在の強さは、映画館の大画面、人間の肉体の持つ魅力が増幅される装置によって大きく花開いていました。
確かな技術に支えられた演技派男性俳優陣の中でたった一人、彼らとは対照的に、言葉も少なく女の子らしさを主張することもなく、淡々とその場に在るだけの姿で、技術では出すことのできない存在そのものの魅力、ただそこに立つだけで画面の空気を変えてしまう、突然人間世界に放り込まれた異星人のような佇まいが、荒唐無稽な設定にリアリティを生み出しています。そして、聴く者の心に真っ直ぐに届く、低くて、時にぶっきらぼうにも思える声。母親であるCharaのラジオを聴いていた頃、「歌っている時はあんなに可愛らしく高い声なのに、喋る時は真逆なんだ!」と驚いたことを思い出します。
音楽を楽しんだだけで警察に追われるその恐怖はあまりにもリアルすぎて、映画を観ている間ずーっと緊張していたため、終演後に賑やかな渋谷の街に出た瞬間、心が緩んでものすごくほっとしました。渋谷の喧騒をあんなに暖かいものとして感じられたのは、初めてのことでした。
『サラバ静寂』オフィシャルサイト
『サラバ静寂』Twitter
■松村早希子
1982年東京生まれ東京育ち。この世のすべての美女が大好き。
ブログにて、アイドルのライブやイベントなどの感想を絵と文で書いています。
雑誌『TRASH-UP!!』にて「東京アイドル標本箱」連載中。
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