『木村拓哉という生き方』著者インタビュー
木村拓哉はなぜプレーヤーであり続ける? 社会学者 太田省一氏が解説する“本質的な魅力”
木村拓哉が目指す“道”
――個人的に興味深く感じたのが、木村さんがエッセイ『開放区』で綴っていた「自分は、ほんとは何になりたいんだろうって思ったとき、頭に浮かんだのが道だった」という言葉でした。昭和で築かれた“幸せのレール”が、平成に入って一度壊れたというお話を踏まえると、木村さん自身が、新しい“幸せの道”を示そうとしていたのでしょうか。
太田:そうですね。木村さんがなりたい道は、高速道路のように目的地まで流されるように走るのではなく、ロードサイドにいろんな風景が広がっている国道246号線のような道だとも言っていました。その風景の一つひとつに彼の作品があり、彼が演じるキャラクターたちが行き交っているのかもしれません。自由に生きることだったり、常識にとらわれずに正義を貫く姿だったり、私たちにとっての理想が見える。こんな風に生きられたら幸せだと思える、そんな生きる道を示してくれているのです。
――「生きる」とは他人を理解しようとすることだ、とも語られていますが、多くの役を生きることで、木村さん自身の年輪ができていくように思えたのですが。
太田:それはあると思います。一般的に「人生経験」というと、実際に経験したことを指すことが多いですが、小説を読んだりドラマや映画を見たりして、疑似体験をすることもできますよね。そのなかで、何かを掴んでいる。何を掴んだか、すぐにはわからなくても、蓄積されていくものがあるんです。木村さんは意図的に、綿密に、その体験を重ねているのではないでしょうか。
――フィクションとリアルを行き来する“道”にも、なっているわけですね。
太田:実は私たちが思っている以上に、その境界線は曖昧なものなのかもしれません。木村さんにも少年時代、好きなアニメのキャラクターになりきっていたというエピソードがあるように、木村さんにとって、演じるということは日常の延長線上なのでしょう。考えてみれば、私たちも普段の生活のなかで、それぞれが何かの役を演じている部分があるわけです。そういう意味では、私たちもプレーヤーです。彼の演技を見て、多くの人が自分もそうでありたいと理想を見出すのも、自然な流れといえるでしょう。
木村拓哉が求める“自由”
――太田さんは『中居正広という生き方』も書かれていますが(参考:SMAP・中居正広はなぜテレビ界で「前例のないアイドル」となったか? 話題の研究本著者が解説)、中居さんと木村さんの関係性をどのようにご覧になっていますか?
太田:私は、SMAPとは単なるアイドルグループではなく、ファンあるいは世の中の多くの人が参加する、ある種のプロジェクトだと思っているんです。先ほどの“道”の例えでいえば、SMAPという名のバスに多くの人が乗り込んで、幸福な生き方を一緒に考えたり、感じたりしながら進んでいくようなイメージです。木村さんと中居さんは、それぞれのやり方を貫いたからこそ、ツートップと呼ばれる存在になったのだと思います。一人ひとりが人として個性を発揮していくこと、それが木村さんをはじめとするSMAPメンバー共通の思いだったのでは。
――平成の時代に入って、家族や地域のコミュニティ意識が薄れていきましたが、繋がる幸せというものはなくなりませんね。
太田:個人が自立しながらも、集まることにも意味がある。多様性を認め合う社会になってきていますが、SMAPはまさにその先取りだったのかもしれません。木村さんが言うように、SMAPが進んだ道は、高速道路ではなくいい景色が見える道。だからこそ、自由に乗り降りもできる。それはファンも、そしてメンバー自身も……。そういう意味では、プロジェクトとしてのSMAPは終わっていないんだと、私は思います。
――木村さんのいう“道”と、香取慎吾さん、草なぎ剛さん、稲垣吾郎さんが立ち上げたプロジェクト“新しい地図”という言葉にも、どこか通じるものがありますね。
太田:それぞれが自由に生きること、つまり幸せに生きることを求めて旅を続けているのでしょう。自分の思う道を進み、離れ離れになっても、決して消えない精神的な繋がりがある。それが、絆と呼ばれるものです。木村さんの作品を振り返ると、武士の精神、つまり個人として志を持って鍛錬を続ける“強さ”と、侍のようにコミュニティの中にいる自分というのも忘れない“優しさ”を感じることができると思います。そして、いつもちょっと先の理想を見せてくれるのです。メディアで取り上げられる“木村拓哉”というイメージよりも、ずっと繊細でピュアな木村さんを発見することもできるでしょう。この本が、そのきっかけになれば嬉しいですね。
(取材・文=佐藤結衣)