K DUB SHINE × DJ MASTERKEY対談 アメリカから持ち帰ったヒップホップの精神

Kダブシャイン × DJ MASTERKEY対談

 ジャパニーズヒップホップが興隆し、日本語ラップやクラブカルチャーが大きく発展した90年代にスポットを当て、シーンに関わった重要人物たちの証言をもとに、その熱狂を読み解く書籍『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ(仮)』が、12月上旬に辰巳出版より発売される。宇多丸、YOU THE ROCK★、K DUB SHINE、DJ MASTERKEY、CRAZY-A、KAZZROCK、川辺ヒロシといったアーティストのほか、雑誌『FRONT』の編集者やクラブ『Harlem』の関係者などにも取材を行い、様々な角度から当時のシーンを検証する一冊だ。

 本書の編集・制作を担当したリアルサウンドでは、発売に先駆けてインタビューの一部を抜粋し、全4回の集中連載として掲載する。第4回は、キングギドラ(現表記:KGDR)のリーダーであるK DUB SHINEと、BUDDHA BRANDのDJ MASTERKEYが登場。それぞれオークランドとニューヨークでヒップホップに触れたふたりはどのように交流し、相手をどんな存在として見ていたのか。そして、日本のシーンに彼らが持ち帰ったものとは。Kダブシャインとはかつてビーフを繰り広げたこともあり、ふたりにとって盟友である故・DEV LARGEの功績に触れつつ、当時のことを振り返った。(編集部)

DJ MASTERKEY「敵対心が後々、日本のシーンにプラスになっていった」

――K DUB SHINEさんは86年から2年半程アメリカ西海岸に留学し、一時帰国後、89年にフィラデルフィアに留学します。一方、DJ MASTERKEYさんは88年にニューヨークに渡っていますが、このとき既にDJになりたいと思って渡米したんですか?

DJ MASTERKEY:いや。その頃はそこまで情報がなかったし、「まずはヒップホップの中心地に行ってみよう」ぐらいの軽いノリで、目的もそれほどハッキリしてなかったんです。でも、現地に行ったら面白くなっちゃって、どんどん掘り下げていくようになって。

K DUB SHINE:アメリカに行く前からヒップホップを聴いてたの?

DJ MASTERKEY:ミスター・マジックの『RAP ATTACK』シリーズをカセットで聴いたりとか。でも、下町育ちで渋谷に来るのも大変だったから情報は全然なかったよ。とにかく行ってみたらなんとかな るんじゃないかっていう感じ。だって、そのとき人生で初めて飛行機乗ったんだから。そっちは?

K DUB SHINE:ヒップホップとの出会いは中学の頃かな。その後、85年にオーランドに3ヶ月程留学したことがあって、そのときに『Krush Groove』っていう映画を観て「もうコレしかないな」って。あと、88年に一時帰国する少し前にオークランドで「Run’s House Tour」を観たのね。ランDMCとパブリック・エナミーとEPMDとDJ・ジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンスが出ていて。ヒップホップの本格的なナショナルツアーは、向こうのアーティストでもまだあまりやってない時代だし、そこで初めて観て「コレだな」って。当時はもう「コレだな」の連続なんだけどね(笑)。

――80年代末、お二人はアメリカで暮らしながら現地のヒップホップシーンをどう見ていましたか?

DJ MASTERKEY:ニューヨークでは見るもの見るものが本当にフレッシュで。そこら中にラッパーが歩いてるし、ダウンタウンとかでやってるライブも欠かさず観に行ってました。こないだ『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観たときに、イージー・Eがニューヨークに来るシーンがあって、その頃、俺もイージー・Eをダウンタウンで見つけて握手してもらったことがあるんですよ。それを映画で思い出したんだけど、それくらいラッパーは身近な存在でレコード屋にいたり、クラブにいたりして。例えばギャング・スターはクラブで自分たちのブロマイドを配って売り込みしてて、それにサインしてもらったモノとか今でも持ってる。

K DUB SHINE:他には? 88年くらいだとウルトラ(マグネティックMCズ)とか?

DJ MASTERKEY:ウルトラも見かけたし、あとはランDMCとかEPMDとか。だから、今振り返ると、これから盛り上がっていくっていう、ちょうどいい時期の空気を感じられたと思う。

K DUB SHINE:ラップ始めたのは91、92年だけど、やーちんがDJを始めた方が早いでしょ?

DJ MASTERKEY:90年かな。キッカケは「MARS」っていうクラブ。そこでDJ HIROnycが働いてて、そのあとCQも働き出して。みんな仲良くなってタダで入れるようになったから、しょっちゅう行くようになって。そこは地下1階地上4階建ての建物で、すべてのフロアでイベントをやってるようなデカいクラブ。まだ売れてなかった頃のファンクマスター・フレックスがDJやってたり、俺が大好きなレッド・アラート先生がやってて。ファンクマスター・フレックスのHot97、レッド・アラートのKiss FM、マーリー・マールのWBLSとかを聴きながら、夜になるとクラブに行くっていう生活をずっと続けてた。

――お2人が出会ったのは何年ですか?

K DUB SHINE:93年のニューミュージックセミナーだと思う。オレはその頃またオークランドに住んでて、SFに日本の紀伊国屋があったから、そこで日本の情報を仕入れてたのね。「Fine」を読んでたらBUDDHA BRANDが、当時はナム・ブレインっていう名前で出てて、「こういうのがいるんだ」って。で、「Fine」の編集スタッフにDEV LARGEの話は聞いてたから、いつか会いたいと思ってたんだよね。そしたら「Fine」が、そのニューミュージックセミナーでジェル・ザ・ダマジャを取材することになってDEV LAEGEと一緒に行くことになり。それがコンちゃん(DEV LARGE)との初めての出会いだね。で、その日か翌日か、別のイベントでまた会ったときに、こっちはZeebraと一緒にいて、向こうはDEV LARGEと一緒にいるBUDDHAのメンバーっていう感じで会ったんだよね。

DJ MASTERKEY:そう。

――当時、日本のヒップホップシーンをどう見ていましたか?

K DUB SHINE:コンちゃんと会ったときに、こっちはキングギドラっていうのを日本に帰ってやろうと思ってるんだっていう話をしたけど、あっちはそのとき日本 でやるかどうか決めてなかった。オレはそのあと日本に帰ってきて、「日本もこれからいい感じだと思うし、上手くいきそうだから帰ってきた方が良いんじゃない?」なんて話をDEV LARGEと長距離電話でよく話してたんだよね。帰ってきたばかりのときも「これからどうしようか?」って相談をよくてたし。家も近所だったから親しかったんだよ。ヘッズには意外かもしれないけど(笑)。

DJ MASTERKEY:でも、DEV LARGEは、俺やクリちゃん(CQ)やデミさん(NIPPS)よりも、日本のシーンをすごく気にしてたんだよね。で、日本からみんながニューヨークに来 ると、ウチらのところに泊まって交流してて。MUROとは一緒にレコード掘りに行ったし、YOU THE ROCK★もそうだし、BOY-KENちゃんもそうだし。そうやって、みんなと仲良くなっていって。

K DUB SHINE:っていうか、ニューヨークにいると格が上るんだよ(笑)。みんなニューヨークに行くと世話になるし、誰もオークランドとか来たがらないから さ。「オークランド? MCハマーでしょ?」くらいだから(笑)。オークランド帰りのラッパーよりも、ニューヨーク帰りのラッパーの方が格上だっ て、
いつも思ってて。BUDDHAに対する敵対心とかライバル心は、そういうところに源流があるのかもしれない(笑)。

DJ MASTERKEY:でも、そういう敵対心が後々、日本のシーンにプラスになっていったと思うけどね。何だかんだ言って、やっぱり相手の動きは気になるもんだしさ。お互いがそういう状況の中、BUDDHAが日本に来て今度はみんなにお世話になって、輪に入れてもらって。そうやって日本のヒップホッ プが面白くなっていったんじゃないかな。

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