くるり、Mr.Childrenらが雨の中で“名演”見せた『京都音博』 兵庫慎司が全アクトをレポート
続いては、出演が発表された時、誰もがどよめいたMr.Children。「名もなき詩」「Tomorrow never knows」の「マジか!」な2連発でスタート。錚々たるミュージシャンが参加してきたこのフェスに自分たちも参加できたことの喜びを口にしながら、「Melody」「PIANO MAN」「しるし」など新旧の名曲をプレイしていく。
ミスチルがこの『京都音博』のステージに立っている、そのこと自体が何かマジカルに感じる、現実だけど現実じゃないみたいな時間を8曲分味あわせてくれて、彼らはステージを下りた。転換スタッフが楽器・機材をすべて片付けてステージがほぼ空になった。と思ったら岸田と佐藤が出てきて、「実は……」と桜井和寿を呼び込む。 3人でプレイされたのは、岸田のリクエストだという『深海』の「シーラカンス」。
超レアなセッションにオーディエンスは歓喜一色に染まったが、この時、雨は、2007年の第一回目、大工哲弘&カーペンターズのパフォーマンス中に降ってきたゲリラ豪雨と同じくらいのレベルまで強まっていた。しかもあの時はわりとすぐやんだけど、今日は全然その気配がない。
その後、雷が光ったり雷鳴が聞こえたりする中、待った。インターバル、長いな……と心配になり始めたあたりで、岸田と佐藤が強張った顔で登場。岸田、「(自分が)下唇を噛んでることでもわかるかと思うんですが……」と、雷の危険が高まっているためここでフェスを途中終了することを告げる。佐藤もお詫びの言葉を伝える。
というわけで、10回目の『京都音博』は、ここで終わってしまった。ただし、その場にいた中のひとりとしてその時の正直な気持ちを書くと、もちろんがっかりしたし、とても残念だったけど、「ええーっ、そんなあ」とか「それはないよお」とかは思えなかった。
理由はふたつあって、ひとつは雨は本当に激しく降り続いていたし、ふたりが出てくる直前に「うわ、今の近くに落ちた」っていうくらいでかい雷鳴が轟いたりもしたので、こっちもそろそろ「大丈夫かな、これ」という気持ちになっていたこと。
そしてもうひとつは、岸田と佐藤の表情がはっきりわかる距離から観ていたからだ。岸田は泣きそうだったし、佐藤はもう堪えきれなくて言葉を詰まらせている。ふたりとも全身から「無念」の気持ちがあふれていた。俺よりも彼らのほうが100倍がっかりしてるよなあ、ということが、それ以上の言葉がなくても伝わってきた。自分よりも全然がっかりしている人が目の前にいると、人はそれ以上がっかりできなくなるものなんだなあ、と身をもって知った。
Flip Philippは、2007年にウィーンでレコーディングされたアルバム『ワルツを踊れ』に参加。Ambassade Orchesterもレコーディングに参加、同年12月にパシフィコ横浜で行われた『ふれあいコンサート ファイナル』に出演した。ただしその時はFlip Philippは来日できず、別のコンダクターが指揮棒を振ったので、彼がくるりと同じステージに上がるのは、この日が初めて。
『音博』は10回目。くるりは20周年。という今、『音博』を続けさせてくれたファンにいちばん見せたいものはこれだったわけで、にもかかわらず、そのステージを実現できず、フェスが途中終了。ということを考えると、岸田・佐藤の無念がうかがえる。
もっと言うと、彼らはこのフェスのプロデューサーでもあるわけで、「自分たちはやりたかったのにスタッフに止められた」みたいな無責任なことを言える立場にはいない。つまり、途中終了のジャッジをした側でもあるわけで、さらにやりきれないだろう。