冬将軍が語るTHE SLUT BANKSの現在
“死霊軍団”を名乗る異形のバンド・THE SLUT BANKS 紆余曲折の活動史を紐解く
THE SLUT BANKS(ザ・スラットバンクス)が9月9日にニューアルバム『METALIC JUNK』をリリースした。DUCK-LEE(旧名:DUCK-T)こと、ZIGGYの戸城憲夫(Ba.)を中心に1996年に結成されたバンドだ。2000年に解散したが、2007年大晦日にまさかの蘇生(再始動)を果たした。轟音/爆音なサウンドを基調としながらも、キャッチーでどことなく漂う日本歌謡要素満載の哀愁メロディー、TUSKの人を喰ったようなボーカルと強烈な詞世界が異様に耳に残る。メンバーの正体を有耶無耶にし、“死霊軍団”や“ゾンビ集団”という奇怪なヴィジュアル&バックボーンのコンセプトのもと、強烈なキャラクター性とキャリアに裏付けられた確かな音楽性と演奏で生々しい狂騒サウンドを轟かせてきた。
今作は通称“METAL BANKS”と呼ばれる編成である。オリジナルメンバーであるギタリスト“DR.SKELTON”こと、横関敦が参加する4人編成でレコーディングされている。現在のスラットバンクスは、従来のパンキッシュなスタイルである“暴走パンクス”と、半分アコースティック形式の“死霊半去勢”、そして、“ジェット・フィンガー”の異名を持つ、横関のHR/HMギターを軸とした“METAL BANKS”の3スタイルを使い分けてライブ活動を行っている。近年は、『ロマンス』『Swingin' Slow』(ともに2014年リリース)など、メロディアスさが際立つ作品が多く見られたが、今作では横関のヘヴィで縦横無尽に弾きまくるシュレッド・ギター(速弾き)が炸裂し、バンドの持つ凶暴性を引き立たせる極悪なサウンドに仕上がっている。2012年にリリースされたアルバム『チクロ』『ドクロ』では、解散時のギタリスト“弐代目STONE STMAC”(石井ヒトシ)とともにツインギターで制作されたが、以降リリースされた2枚のアルバムには参加していない。横関はアルバムもライブも参加したりしなかったりと、いわば“名誉メンバー”のような立ち位置である。
おどろおどろしい分厚いギターリフとTUSKの「METALIC!!」シャウトで幕開ける。ヘヴィ・パンクナンバー「DEAD IN JAP」、ドラマティックな「へばりつく溜め息」など緩急をつけた絶妙なアンサンブルを聴かせる。カネタク(Dr)の暴れ具合と堅実さが共存するドラムが心地よい。極悪サウンドを司るギターは、至るところで強烈なピッキング・ハーモニクスが鳴り響き、「サムライROCK STAR」で時折入る速弾き、「TOKYO MAD SKY」で唐突に展開されるギターソロ、「呻き」のインプロ的なプレイなど、思う存分“ジェット・フィンガー”を堪能できる仕上がりである。
ジャパメタ、HR/HM界の重鎮
現在、JAM Projectなどで活躍する横関は、本城美沙子のギタリストとして名を馳せた。筋肉少女帯のアルバム&ツアー『SISTER STRAWBERRY』(1988年)における、三柴理(江戸蔵)のピアノとの壮絶な超絶技巧のバトルも有名だ。80年代のジャパメタブームを彩ったギタリストは数多かれど、横関ほど「光速」「超絶」シュレッド・ギターという言葉がふさわしいギタリストもいないだろう。異常なまでに正確であり、男気溢れる豪快なフルピッキングは唯一無二である。しかし、スラットバンクス結成当初は“ジェット・フィンガー”を封印していた。速弾きはおろか、HR/HMのお家芸でもある“低音弦の刻み”すらしない、ソリッドでパンキッシュなプレイに徹していた。骸骨マスクとフードを深々と被った風貌から、最初は「DR.SKELTON=横関敦」とは結びつかなかったほどである。
そして、オリジナルドラマーである“SMOKIN’ STAR”だ。「世界で一番生音がでかいドラマー」と称されたBOW WOW(VOW WOW、現BOWWOW)の新美俊宏である。BOW WOWはLOUDNESSと並んで、本格派ハードロックバンドとして、いち早く海外で成功したバンドだ。HR/HMのドラマーといえば、たくさんのタムが並んだ要塞を思わせるドラムセットで、手数の多い派手なプレイを思い出すことだろう。新美もその代表たるドラマーである。だが、新美はスラットバンクスに至っては、タムはおろかフロアタムすら置かず、スネアとバスドラムだけで強靭なビートを繰り出していたのである。
バンドブームを牽引したベーシストが、ジャパメタブームを創世した重鎮ギタリスト&ドラマーが、ヴィジュアル系の礎を作ったボーカリストが、正体と従来のプレイを一切封印したという、正真正銘バンドの音とグルーヴだけで勝負していたバンドが、THE SLUT BANKSなのである。
このバンドをひも解いていくと、メインストリームとは少し違ったJ-ROCK史が見えてくる。最近でいえば、LUNA SEAが<LUNATIC FEST.>で見せたもの(参考記事:X JAPAN、BUCK-TICK、LUNA SEA……強者バンドが集結した『LUNATIC FEST.』徹底レポ)や、JUSTY-NASTYなどの界隈(参考記事:90年代V系バンドがいま活気づく背景とは? JUSTY-NASTY再結成から読み解くシーンの成熟)を「90年代のV系黎明期」の主軸とするのなら、スラットバンクスはそこから少しずれた亜流の系譜、とでもいったところだろうか。
「死からの蘇生」に隠された反骨精神
バンドが掲げたコンセプトは「死からの蘇生」、すなわち“ゾンビ”である。1997年デビュー時、オフィシャルのバンドヒストリーを振り返ると面白い。原文を要約すると以下の通りだ。
1950年代、アメリカ東部にエルビス・プレスリーに憧れた少年がいた。しかし、仲間うちの女絡みの揉め事で刺されてしまう(1957年)。それが、“DUCK-T”(のちに“DUCK-LEE”に改名)であり、叶わなかったロックスターになるために40年の時を経て現世に蘇生したのである。あの世で気のあったフランス貴族の出身でナポレオンの専属鼓笛隊をやっていた“SMOKIN’ STAR”、帝国音楽大学を首席で卒業し、滝廉太郎が名曲「荒城の月」の作曲の際にギター伴奏を依頼された”Dr. SKELTON”(彼は火葬だったので、ゾンビではなく“ガイコツ”である)、そして下北沢駅前で半死状態で歌っていたTUSKを引きずり込んだ。
そして、もう一つ興味深い記述がある。以下、原文のまま引用する。
1997年のロックン・ロールスターなんてものは、それはもう奴等にとってはまったく正反対の価値観であった。何故なら男が女のように髪の毛を伸ばし、化粧をしてきらびやかな衣装に身を包んだ者や、かかとの高い靴を履いて、華麗に楽器を操る者ばかり。そこには遠い昔に感じた、さっぱりとした髪型でバッチリきめた硬派なロックン・ロールスター像なんてものはどこにもなかった。それ故奴等のライブはいつもスカスカで会場は寒かった。一体いつになれば光が見えるのか…。春は来るのか…。
「ヴィジュアル系」という言葉だけが一人歩きしてしまった当時の風潮に抗う姿勢だ。コミカルながらもコンセプト立てた裏にはこうしたアンチテーゼと反骨精神が込められていたのである。J-ROCKシーンを彩った猛者たちが、過去のすべてを封印してシーンに襲いかかるという、ある意味「死からの蘇生」である。ちなみに文末の一文は事実で、アマチュアバンドに対バンを申し込むというガチなインディーズ活動から始めたが、本当に正体がバレなかったために全く売れず、焦って正体を気付かせるように徐々に仕向けていったというオチがあったりもする。
当時、ヴィジュアル系ブームの裏には反面「脱・ヴィジュ」という風潮があった。もっとも、その言葉をアーティスト側が発していたものではないのだが。「ヴィジュアル系」という言葉に嫌悪感を抱くバンドも少なくなく、見た目で判断されるのではなく本来の音楽で勝負したいという意思の現れでもある。単にメイクを落とすという表面上の行為だけではなく、当時世界的に台頭してきたオルタナティヴ・ロック〜モダン・ヘヴィネスに代表される非商業的なサウンドへと音楽探究により傾向していくバンドも多かったところでもある。
1994年、LANCE OF THRILLというバンドがデビューしている。スラットバンクスの前身とも言えるバンドであり、スラットの楽器隊3人にボーカルがGEMMY ROCKETS(OBLIVION DUST、VAMPSのKAZが在籍したバンド)の土橋宗一郎というメンバーである。超絶テクニックを有するメンバーたちの繰り出す難解なリフと目紛しく変化する楽曲展開、中性的かつ変態的なクセのあるボーカル。無国籍ともいえるその音楽性とサウンドはまさに「オルタナティブ・ロックの日本の回答」というキャッチコピーがふさわしいものだった。同バンドは96年に土橋の脱退で解散を迎えるが、同年にTUSKの初ソロアルバム『3 Songs』に戸城が参加したことをきっかけに、事実上、LANCE OF THRILLにTUSKを迎え入れた形で、THE SLUT BANKSは始動した。