市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第21回
フランク・ザッパの知られざる“変態伝説”ーー市川哲史が綴る親子ザッパ録
20世紀後半、フランク・ザッパという「ものすごい」アーティストがいた。
52歳の生涯だったが、その生活の大半がツアーかリハーサル。で演奏曲の大半を新曲やインプロや発展形なので、必ずマルチを回して商品化。結局作品数は100アイテムに迫り、死後もなおお蔵出し音源が尽きない。
その「これがロックだ」と言い張ればなんでも通ってしまうであろう音楽性はとにかく自由で、ドゥーワップにゴスペルからジャズや現代音楽にまでその範疇を拡げつつも、コマーシャルでアヴァンギャルドなスタイルは珍味同様、癖になったら最後だ。米国の政治や風俗、キリスト教原理主義者の問題点を徹底的におちょくる、ナンセンスでスケベな歌詞もまた然り。もしも私がサブカル好きの米国人に生まれてたら、いまの5万倍ザッパを愉しめたに違いない。「ものすごい」のである。
そしてギターのスキルも「ものすごい」。だからローウェル・ジョージにテリー・ボジオにエディ・ジョブソンにエイドリアン・ブリューにジョージ・デュークにスティーヴ・ヴァイにチェスター・トンプソンに……とにかくザッパ・バンド出身者もすべて達者で「ものすごい」。
あとは各自ググってください。いろんな意味で「ものすごい」から。はは。
そのフランク・ザッパの息子、ドゥイージル・ザッパと何度か逢ったことがある。彼も達者なギタリストで、父ザッパ没後はゆかりの連中と《ZAPPA PLAYS ZAPPA》世界ツアーを演ったりとこれまた半端ない。
しかし1991年だったか初めて逢ったときの彼は、いかにも西海岸な長髪イケメン――なのに線がやたら細く、残念な空気もぶんぶん漂っていた。しかも父親譲りの奇天烈な作品をまだ若いのに完成させてるというのに3年後、なぜか矢沢永吉全国ツアーのバックバンドの一員として、3ヶ月も滞日するという何とも言えない若者なのであった。
某「単なる普通の」ビジネスホテルの、彼が宿泊している部屋にドゥイージルを訪ねる。狭い。しかもインタヴューを始めると突然、ユニットバスからバスタオル一枚の父ザッパ瓜二つの大男が現われたのだから、そりゃ驚く。
「たまたま日本に遊びに来てる弟のアーメット・ザッパだよ」
その前年の夏、母ザッパ&妹ザッパと初の日本観光に来た弟ザッパは、<六本木で親切にしてもらった日本人の女の子>に再会するため単身来日したものの、金欠で兄の部屋にこっそり密航しているらしい。おまえらはバンギャかこの野郎。
さて息子ザッパに訊きたいのは当然、偉大すぎる変態親父ザッパに関する逸話だ。つつくとやはり出てくる出てくる。
まだドゥイージルが生まれる1969年以前の話だ。夜遅く、父ザッパ不在のビバリーヒルズのザッパ邸を警官が訪ねる。「不審者が廻りを徘徊している」と聞いた母ザッパがそっと外の様子を窺うと、門柱に立小便中のジミヘンなのであった。後に彼女は、息子ザッパにジミヘンのナニが大きかったことを、なぜか事ある毎に自慢したがったらしい。
ちなみに家に立小便をかましながらも、父ザッパに可愛がられたジミヘン。彼はジミヘンの魅力を、「知的好奇心に裏打ちされた猥雑性」と評したほどだ。
67年当時のザッパ・バンド《マザーズ・オブ・インヴェンション》のNY公演を訪ね、父ザッパが駆使するエフェクター類に心奪われると、後にジミヘン・ギターの代名詞となるワウワウペダルの購入を決意した――とのまことしやかな伝説まである。
ただスタジオでレコーディング・セッションも何度か実現しているが、残念ながらほとんどが未発表の憂き目を見ている。ちなみにジミヘンがステージで燃やしたストラトキャスターを、本人から父ザッパは贈呈されているのであった。