西廣智一が振り返る、波瀾万丈のキャリア
華原朋美はどう苦難を乗り越え、“充実期”を迎えたか ベストアルバムから辿る20年の軌跡
華原朋美がシングル『keep yourself alive』で歌手デビューを果たしてから、今年で20周年をむかえる。一言で20年といっても、その道のりは決していいことばかりではなかったし、苦難としか言いようのないつらい時期もあった。そんな彼女の20年を名曲の数々で振り返るベストアルバム2作品『ALL TIME SINGLES BEST』『ALL TIME SELECTION BEST』が同時リリースされる。
『ALL TIME SINGLES BEST』には文字通り、デビューシングル『keep yourself alive』から今年5月発売の最新作『はじまりのうたが聴こえる』までの全シングル曲(両A面含む)が、レーベルの壁を超えて完全収録。そして『ALL TIME SELECTION BEST』にはアルバム収録曲やシングルカップリング曲からファン投票で決定した人気曲が収められている。さらに両作品にはそれぞれ、ボーナストラックとして新曲が1曲ずつ追加されており、華原朋美という類稀なる歌声を持つシンガーの「これまで」と「これから」が感じられる内容に仕上がっている。
ご存知の通り華原はかの小室哲哉の秘蔵っ子として、小室の完全プロデュースによりデビューを果たす。彼女がデビューした1995年といえば、時代はカラオケ全盛期。DREAMS COME TRUEがシングル『LOVE LOVE LOVE / 嵐が来る』を約235万枚も売り上げ、福山雅治『HELLO』、Mr.Children『Tomorrow never knows』『シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~』、MY LITTLE LOVER『Hello, Again ~昔からある場所~』、岡本真夜『TOMORROW』、スピッツ『スピッツ』などといった作品が同年のオリコン年間ランキングでトップ10入り(しかも、どれもミリオンセールス)を達成するという今では考えられないような「CDバブル期」だった。と同時に、年間2位にランクインしたH Jungle With t『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』(約210万枚)をはじめ、惜しくもトップ10入りはできなかったもののtrf『CRAZY GONNA CRAZY』、globe『Feel Like Dance』といった楽曲で、前年からの小室プロデュース作品全盛期がついに決定付いた印象が強い。
そんな中、鳴り物入りでデビューした華原の「keep yourself alive」を初めて聴いたとき、私は「新しい時代が始まる」と確信し、すぐCDショップに走ったことを覚えている。透明感があり力強く突き抜けるハイトーンボイスと小室ならではのダンスミュージックの相性は抜群で、無名の新人によるデビュー作にも関わらず本作はいきなりオリコン週間ランキングでトップ10入り(最高8位)を記録した。その後、「I BELIEVE」「I'm proud」と今でも歌い継がれている名曲が連発され、ミリオンヒットとなったのはご存知の通り。小室作品らしい「思わずカラオケで歌ってみたくなる適度な難易度が備わった」楽曲、そして聴き手の耳に残る印象的な歌声は同年代の女性のみならず、幅広い年代に愛された。
実際、華原の歌唱力は20歳前後にしてはかなり高いものだったし、作品を重ねるごとに楽曲の難易度もどんどん高くなっていった。5thシングル『save your dream』以降は一般人が歌うにはキーが取りにくい、音程の高低差が激しい楽曲が続く。しかし、そういった楽曲ほどチャート1位を獲得しているのだから意外な話だ。今振り返るとデビューからの2年間は、2〜3カ月おきに新曲がリリースされており、制作に加えて華原は頻繁にテレビの音楽番組やバラエティ番組に出演。正直、疲れが歌に現れても不思議ではない時期だ。1997年頃の楽曲を今聴くと、「今ならもっとしっかり歌えるのではないか……」と思えてしまうボーカルテイクもちらほら見受けられる。もっともこれは、そういった環境のみならず、楽曲の難易度が高くなっていることも影響していたのではないだろうか。
そういった最初のブレイク期を経て、1999年には14thシングル『as A person』で心機一転。小室プロデュースから離れた彼女は、自身が作詞を手がけながらさまざまな作曲者やアレンジャーを迎えた楽曲を発表していく。彼女の魅力であるハイトーンを多用しつつも、よりシンプルでわかりやすいメロディの「as A person」や「be honest」は、今聴いても新鮮な魅力が感じられる。「第2期」と呼べるこの頃はセールス的にはデビュー時期と比較すれば決して高いものとは言えないが、華原が自分自身で「華原朋美の歌」を見つけよう、掴み取ろうとする意欲が楽曲の節々から感じられる。そうした彼女が「Never Say Never (Japanese Version)」や「あきらめましょう」といった楽曲で肩の力が抜けた歌を聴かせるようになる。しかしそれでいて、ボーカル力が90年代と比べると技術的にも表現力的にも向上している(ことに、今回シングルを発表順に聴いて気付かされた)。いよいよ彼女が「自分の歌」を見つけた、それがデビューから6年経った2001年だったのかもしれない。そういえば彼女が初のライブツアーを行ったのもこの頃。そういったことも少なからず影響を与えたことは間違いない。