関ジャニ∞がロックバンドを圧倒する日が来る? 新曲で見せた“音楽的格闘”を分析

 関ジャニ∞の、とくにデビュー当時のありかたについては、特異な道を歩んでいると言われることがしばしばあるけど、ジャニーズの歴史を踏まえて見ると、そこまで変わったものだとは思わない。シブがき隊的なノベルティ要素として、忍者的な祭りだの演歌だのといったジャポニズムが投入された、と思えば、むしろけっこうジャニーズ的な遊びかただと言える。ただし、関ジャニ∞の場合、そこに「関西」という別の変数が入ってくるので、これを処理しようとしたときに、かなりヘンテコなスタイルになる。「関西」という側面をどのように打ち出すのか。その点、やはりジャニーズWESTにも似たものを感じる。個人的には、カール・ダグラスやKC&ザ・サンシャインバンドといったディスコのデータベースを用いながら、見事に「関西」感を打ち出した(ごまかした?)「関風ファイティング」に、その頂点があると感じている。というか、単純に曲が良い。そして、服部良一トリビュートに収録された、笠置シヅ子「買い物ブギ」のR&B調のカヴァーによって、関西/ノベルティ感はとりあえず一段落したと見るべきだろう。

 周知のとおり、最近の関ジャニ∞は、みずからバンド演奏をおこなっている。初期関ジャニ∞のノベルティ感が好きなだけに、個人的には歓迎していない方向性ではある。演奏することが前提になったとき、楽曲から複雑さが抜け落ちるのがいやなのだ。TOKIOくらいの演奏技術とキャラクターとしての説得力があれば良いが、そうでないと凡庸なバンドになってしまう可能性がある。いやもちろん、紅白の演奏などとても良かった。楽器演奏をする彼らの魅力も感じないわけではない(横山裕のパーカッションとか!)。しかし、楽曲単位で見ると、以前の爆発力ほどではないとも思ってしまう。TOKIOの場合は、鉄腕DASH的なDIYのありかたが、見事にバンドサウンドの説得力になっている。大事なのは説得力だ。したがって、自主レーベル「INFINITY RECORDS」の設立は、このようなバンド形態としての説得力をもたらす一助にはなるだろう。

 ここでの筆者の立場に対しては、昔ながらのトップダウン的な芸能界を前提にし過ぎている、という批判がありうるだろう。たしかに一方で、そんな芸能文化の時代ではないという気もする。キャリアのことを考えたとき、いつまでも関西/ノベルティ路線で行くわけにもいかないのもたしかだ。自主レーベルを設立し、音楽も振る舞いも、ある程度自分たちで舵を取っていく。そのなかで周囲を巻き込んでいく。そういう態度のほうが現代的だし、正しいのかもしれない。「がむしゃら行進曲」の初回限定盤には、振り付け指導テキストが付けられていた。楽曲の複雑さとか言い募るより、そのような「恋チュン」的な流通のしかたに目配せをすることが大事なのかもしれない。それはそれで、共感はしないが理解はできる。いずれにせよ、そういうさまざまな意味において、いま関ジャニ∞に目が離せないのは、たしかだ。

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