兵庫慎司「ロックの余談Z」 第3回
ライブハウスには昔、テーブルとイスが当たり前にあったーー兵庫慎司が振り返るバンドと客の30年
その後、僕は1987年に(ブルーハーツもユニコーンもこの年メジャーデビュー、つまりバンドブームが本格化し始めた頃です)、進学のため広島から京都に引っ越すのだが、そこで関西のライブハウスは「テーブルとイス」「イス」「スタンディング」の3パターンがあることを知る。普段はテーブルとイス、人気あるバンドの時はイスだけ、もっと人気ある時はオールスタンディング、という。
またそれは、ハコのカラーによる部分もあって、たとえば蔵を改造して営業していることで知られる京都の磔磔・拾得はどちらもテーブル&イスで、磔磔はオールスタンディングになることもあったが、拾得はでっかい丸テーブルがどーんといくつも置いてある上にフロアの隅は座敷になっていたりしてスタンディングにしようがない、という作りだった。同じく京都にあったどん底ハウスというパンク系のライブハウスは、空いていようが混んでいようがオールスタンディングだった。ただ、パンク系ならスタンディングなのかというと一概にそうだとも言えなくて、大阪の西成にあったエッグプラントというライブハウス、ニューエスト・モデルやメスカリン・ドライヴのホームとして知られていたハコですが、そこに一度出してもらった時は(バンドやってたのです)パイプイスじゃなくて作りつけみたいなイス席になっていて、ちょっと意外だったのを憶えている。
そして1991年、音楽雑誌の会社に入った僕は東京に移り、それこそ仕事としてライブハウスに通うことになるのだが、そこでふたつ、初めて知ったことがある。
ひとつは、東京のライブハウスって狭い!ということだ。基本的にどこもオールスタンディングなんだけど、新宿ロフトや渋谷ラ・ママなど、雑誌とかで知っていた有名なハコに行くたびに、「あの『To-y』に出てくるロフトってこんなキャパだったの?」とびっくりしたものです(今の場所ではなく、新宿西口にあった頃のロフトです)。これは東京のライブハウスが狭いというよりも、地方のライブハウスが広いということなのだと思うが。狭いからテーブルとイスなんか置いてたら採算が合わない、ということだったのだろう。
そしてもうひとつは、渋谷クラブクアトロや川崎クラブチッタ、渋谷ON AIRといった、大きなキャパのオールスタンディングのライブハウスが存在することだ。
びっくりした。今思うと恥ずかしいが、「海外みたい!」と感動した。
そうだ。オールスタンディング=海外、本物、本格的、みたいなイメージだったのだ、当時はまだ。現にクアトロもチッタもON AIRも、洋楽のバンドが来日する時に使われるハコだった。
そして時代はどんどんオールスタンディング方向へ向かうわけだが、ここでは「なぜオールスタンディングになっていったのか」と考えるよりも、逆に「なぜそれまではなるべくテーブルとイスを置きたがったのか」という方向で考えたほうがわかりやすい。
なぜでしょう。そのほうがキャパが限られてしまって、経済的に非効率なのに。
そうです。オールスタンディング=危険、と思われていたからです。たとえば観客が将棋倒しになって3人が亡くなったラフィン・ノーズの日比谷野外音楽堂(1987年)。野音だったからイス席だったのに、一部の観客が自席を離れてステージ前に押し寄せたから起きた事故だったのだが、実はパンク系などのバンドのライブの場合、これに近いことが各地で起きていたのだと思う。